被害者

母と自分は本当に親子なのか疑問に思うことが多々ある。愛情は実の子の証明には有り余るほどあり過保護と言っても過言ではないのだが、性格と容姿は全く一致していない。母は未だ人の邪悪な心を悲しんでいて、自分の善良さを疑わずその豊かな感受性の行き場がなかったのだと思う。

対して私はどうなのだろう。人には邪悪な心があるとわかりはじめたとき、反発することなくそれはするすると心の中に収まっていった。全てただの過去と言ってしまえば楽なのかもしれないが、虚言癖、虐めてしまった罪悪感、被害者ぶりたかったあの頃。過去であっても自分であるし、自分の犯した罪は忘れてはいけないのだ。そうしていくうちに自分が母に似ていないと気づいていった。

わたしは父親に似ていた。母曰く、父は外面の良さに甘えて、自分の引き立て役となる存在を容赦なく利用する人らしい。ゾッとした。被害者ぶるのが上手かった自分の得意分野だった。ただ私の場合小学生の頃に「これではいけない」と思い、必死に抗っている。父ほど要領が良くなかったせいかもしれないが。

被害者になれば加害者より優位に立てる。なにもない自分にとって、ある意味あの行動は自分を守るための防衛だったのかもしれない。

なにがいいたいかというと、私は被害者に擬態するのが上手い加害者なのだ。未だに過去の被害を今も引きずり誰かの良心を搾取して生きている。誰かからの小さな加害をため込み、被害者として生まれ変わる。まるで他の生物に卵を産みつける蜂のようだ。本当に私はハエのような弱者なのか?邪悪さだけはハチのような強さを持っている気がする。

本当に父親と似ていて反吐が出る。

母は私がいない方生活の方が楽しそうで、それがちょっぴり切なかった。自堕落な生活を送る私が悪いのだが、このような人間をうんでしまった母という最大の被害者にとって自分が不要である気がすればするほど、父親を憎む気持ちが加速していく。それは父に自分を投影しているからだろう。

私はきっと明日も祈る。どうか早く死ねますように。それと同時に少しだけ願ってしまう。これが思い込みでありますように。


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