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映像作品① 水棲怪獣ヤゴン

 ようやく映像作品の話です。現在は映像メインで作品制作を行なっていますが、そのきっかけとなった作品であり、生まれて初めて作った映像作品がこの「水棲怪獣ヤゴン」です。

 今回は本作のメイキング話、失敗談等を書き連ねています。※「制作経緯」は全部読むと恐ろしく長いです。本当に暇で興味がある人以外は①、②は飛ばしていいと思います。

 まず、本作を観たことがないという方は、宜しければ以下よりご覧頂ければと思います。

本編動画・水棲怪獣ヤゴン(2018年 44分)


【あらすじ】

西暦2030年、日本は食料自給率の大幅な減少に伴い、いまだ経験したことのない食糧危機に陥っていた。
政府は対策として、大規模な国営農場を建設し、低コストかつ病害虫に強い穀物を育成するため、最先端の遺伝子工学を用いた試験栽培を行っていた。

そんなある日、農場の夜警に当たっていた警備員が怪死する事件が発生。農場の局長は「事件が世間に知れると農場の評価が下がる」として、外部には連絡せず、農場内の警備組織「特別農場防衛隊=S.F.D.F.」に事件の処理を一任する。

しかし、局長の命令を受け、出動した隊員たちを待っていたのは、まさしく地獄の戦いだった…


遺伝子操作が生んだ超生命体・ヤゴンVS特別農場防衛隊・S.F.D.F. 生き残りをかけた戦いが、今 始まる。

振り返り

 本作、水棲怪獣ヤゴンは、2022年3月現在、再生数4000以上になりました。大変有り難いことに、アメリカの怪獣イベント「G-FEST」にもゲスト上映させて頂きました。

 が、作品をご覧になった方の中には、特撮部分のチープさ、全体としての雑さが気になった方もいる事かと思います。私自身、その点は痛感しているところであり、故にあまり「自分の作品です!」と堂々と主張してこなかった作品でもあります。

 しかしながら、映像制作未経験の、それまで版画や漫画やペン画にしか触れてこなかった自分が、premere proとafter effectの使い方を必死に調べ、また造形物や衣装なども工夫してどうにか形にして、この44分の映像の中に収めた。という意味で、自分の経験の中で重要な作品であると考えています。

 この作品での数々の失敗があればこそ、これに満足せず「もっといい映像作品を作るんだ!」というモチベーションに繋がりました。

「ヤゴン」の制作経緯①きっかけ

 さて、本作の制作に至るまでをお話ししようと思います。

 まず、なぜそれまで全く映像に触れてこなかった、映像科の学生ですらない自分が、何故いきなり自主制作で特撮を撮ろうと思ったか。というお話です。

 元々僕は、小学校低学年からレンタルビデオや映画専門チャンネルでウルトラセブンや昭和ゴジラシリーズなどを好んで観ていました。また特撮の神様・円谷英二の伝記マンガが家にあったこともあり、怪獣映画や特撮の技術には興味を持っていました。一時期は「特技監督になりたい」と思っていたこともあったと思います。

 小4ぐらいの時には自分で考えたオリジナルの怪獣を粘土で作ったり、デジカメで「怪獣映画風のなにか」は撮ったりしていました。しかしながら、他の同級生と同じように流行りの漫画やアニメも好きでしたし、周りに特撮好きがいないった事から、ずーっと好きではあるものの、あえて全面に押し出す事はして来ませんでした。

 その眠っていた「好き」が目覚めたのは、高校の時でした。高校に入ると、自分よりも特撮の知識が豊富で、かつ自分で特撮を作ろうと思っている同級生がいたのです。当然、彼とはすぐに親しくなりました。

 そして、彼は高校3年の文化祭に向けて別の友人と共に特撮作品を作り始めました。(ちなみに僕は役者と一部デザインで参加しました)僕はその時まで、「自分で特撮を作ろう」とは思っていませんでした。

 ですが、身近で特撮を作っている彼らを見たとき「もっと面白いもの作れるし…!」という嫉妬に近い感情が湧いてきたのです。それが「始まり」でした。

 「特撮を作りたい!」という思いは芽生えたものの、卒業まで時間もなく、彼らの作品づくりに参加しながらソワソワしている事しか出来ませんでした。(ヤゴンの原案は既にノートに書いていましたが)そして煮え切らない感情のまま、受験期を経て大学へと進学するのでした。

「ヤゴン」の制作経緯②転機

 なんとか第一志望の美大に受かった僕は、日々課題制作に追われていました。1、2年生の時は周囲の人達との交流に重きを置いていたため、色々な企画に参加したり、また立ち上げたりしていて、せわしなさの中で映像への興味も一瞬薄れていました。

 しかし、ここでまた「きっかけ」がありました。それは2年生の時に見た、先輩の進級制作でした。その先輩はサークルの一個上の先輩で、映像科の人でした。アクションものの映像作品を得意としていて、自分で体を張ってアクロバティックなアクションをする人でした。アクションは勿論のこと、カメラワークや演出もセンスの塊のような人でした。

 その先輩の進級制作を見たとき、その内容に感嘆したのは当然として、作品を見ている周囲の人たちが「すごい」と口を揃えて言っていた事に意識がいきました。ここでまた、「俺にだって…!」という嫉妬が芽生えたのです。思うに、僕の原動力は全て他者への嫉妬だと思います。

「ヤゴン」の制作経緯③制作開始 

 「作るぞ!」という明確な意志を持った途端、すぐに制作に向けて動き出しました。大学3年の芸術祭(学祭)での上映を目標に定め、まず「どんな話を作るのか」という点を考えました。そして、やはり高校の時にある程度設定を練っていたシナリオを形にする事にしました。

 もともと武蔵野美術大学には有名な特撮サークルがあり、その団体はオリジナルのヒーロー特撮を毎年作っています。そこで「同じような巨大特撮を作ったところで、彼らの二番煎じとしか見られない。だったら、巨大ヒーローばかりが特撮の形ではない、等身大のクリーチャーと人間との戦いを描いてやろう」という、ここでも嫉妬に似た対抗心を燃やしていました。

 さらに、彼らとの差別化を図るために、着ぐるみではなく“ストップモーション”を用いた映像を作ろうと思いました。ストップモーションであれば、着ぐるみと違い人が中に入る造形にする必要がないので、造形の自由度が広がるという面もあります。

怪獣デザイン

ストーリーや撮り方が固まったので、デザインの段階に移りました。頭の中のイメージや、作品のコンセプトを元に怪獣のデザイン画を起こしました。

そうして出来上がった第一稿がこちら。

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第一稿が描き上がったとき、僕はなんとなく「古くささ」を感じました。“ヤゴン”のイメージとして、「和製エイリアン」のようなイメージがあったので、もっとそちらに近づけようと思いました。また、より人間っぽくする事で、不気味さを出せるのではと思いました。

そして描き直した決定稿がこちら。

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このデザインは、「ミミック」というクリーチャー映画に出てくるゴキブリクリーチャーに影響を受けていると思います。ともかく、ようやくこれでデザインが決定しました。デザインが決まったので、続いて立体化へと段を進めました。

造形物制作

 デザインしたものを立体に起こす事になったものの、僕はそれまでマトモな粘土造形はした事がありませんでした。まして、ストップモーションで動かせる作りにしなければなりません。ネットで情報を集め、どうにかこうにか形にしていきました。

 まず骨組みを考え…

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本番前のモデリングをし…

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石粉粘土で本番造形をし…

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着彩してようやく完成です。

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ストップモーション用の他に、水中用の操演人形、アップ用の人形も作りました。

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ここまでは、全て僕1人で行いました。もちろん、他の人に依頼すればもっとクオリティの高いものが出来たのは自明の理です。ですが「自分がどこまで出来るか」を試したかったし、なによりも作ってみたかったのです。

 しかしながら、この、人形を石粉粘土で作った事が、撮影を大変に困難にする結果となったのです…… (詳しくは「撮影」の項目で。 )

怪獣の造形の他に、登場する特殊部隊のヘルメットなども、少林寺拳法の防具を改造して作りました。

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僕が担当した造形物はこれぐらいです。あとは、細々としたものは友人に手伝ってもらったりしました。(ちなみにその友人は、高校の時特撮を使っていた彼です。そして今現在は彼と一緒に新作を作ってます)

絵コンテ

造形物と前後しますが、並行して絵コンテも描いていました。とはいえ、描き方なんて分からないし、これまたネットの情報を頼りにそれっぽく描いていました。ちなみに本作には「脚本」というちゃんとした形の物は作らなかったので、コンテにセリフ等全て書き込み、撮影時にも台本の代わりにコンテを使っていました。

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ストップモーション撮影

いよいよ撮影の段です。撮影時にも数多くの試行錯誤がありました。

 まず肝になるストップモーションの撮影ですが、ストップモーション用の人形を石粉粘土で使ったことが仇となり、重量がありすぎて上から吊らないと自立できない状態でした…

    こういう場合「吊り具」を用いるようですが、amazonを探してもそんな専門的な道具はありません。仕方ないので、プロジェクター固定用の回転台とミシン用のボビン、物干し竿で自作しました。

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(上に見える装置が吊り具です) 

コマ撮りで動かす際には、腕を1センチ上げるごとに、吊り具にくっつけたボビンを回し、釣り糸を巻き上げて調節しなければなりませんでした。しかも、釣り糸はたまに切れる事があり、そうなったらそのアクションは初めから撮り直すしかありませんでした。

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 本編を見て「ストップモーションとして動きが雑すぎる」と思われた方は多いかと思います。その背景には、人形制作段階で素材選びを間違ってしまったが故に、およそ初心者には困難な撮影となってしまった事があるのです…

ヘリコプター炎上

Twitterやスペースで度々触れていますが、本作で個人的に「1番上手く行った」と思うのはヘリコプターが燃えるシーンです。

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これは、緑色の画用紙の上で実際にヘリのプラモデルを燃やしたものを合成しました。実家のベランダで撮影したので、部屋の窓がススだらけになって大変でした。

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ドラマパート撮影

特撮部分は、残念ながらお粗末な面が多々ありますが、ドラマパートは比較的イメージ通りに行った箇所が多かったです。役者の方も良い演技をしてくださった事もあり、ドラマ部分は「見られる」出来にはなっていると思います。

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芸術祭での上映

 遂に作品が完成したのは、目標としてた芸術祭当日の昼を回った時でした。実はかなり土壇場でトラブルに見舞われ、前日までストップモーション部分の撮影を3徹で行っていました…  締め切りを過ぎての完成となり、その点も反省しかありません。

 いざ完成し上映したものの、やはり来場者にはクオリティに落胆する方も多数いました。そして、それは自分自身も同じでした。同時に「次はもっと上手く作ってやるぞ…」という感情が湧いてきました。本来、映像作品はコレ一本作れば満足という心持ちでしたが、出来に納得がいかず、図らずも「次」を作らざるを得なくなっていました。

自怪選、一次選考落ち

 芸術祭も終わり、僕の頭の中にはもう「ヤゴン」はなく、次の作品の案出しに夢中になっていました。しかしそんな僕に、出演者の1人が「自怪選に出してみないか」と声をかけたのです。

 僕もその時初めて知ったのですが、ウルトラシリーズの監督を務める田口清隆氏が主催の「全国自主怪獣映画選手権」という大会があり、そこには全国の自主怪獣映画メーカー達が作品を出品しているというのです。

 僕は正直ヤゴンの出来に満足していませんでしたし、最初はエントリーを躊躇いましたが、周囲の後押しがあって、応募する事にしました。

 結果は一次選考落ち。理由としては「他の作品に比べて尺が長すぎる」という事でした。確かに尺の問題もあったかもしれませんが、去年の自怪選では同じ尺の作品が優勝していましたので、今考えてもやはり単純なクオリティの問題だったと思います。

ヤゴン、海を渡る

 自怪選にも落ち、いよいよ僕はヤゴンから目を背けるようになっていました。ところがここでまた転機がありました。

    実は、ヤゴンを海外の方にも見てもらおうと思い、自力で英語訳をつけた英語字幕版をyoutubeで公開していまして(中高で英語の勉強を頑張っていた甲斐がありました)、その字幕版を、たまたま海外の怪獣ファン達のイベント・g-festの広報担当の方が見ていたのです。そして「是非g-festで公開してみないか」と声を掛けて下さったのです。

 僕は、またも躊躇いました。周囲からは「評価されることをビビるな」と言われましたが、そういう事ではなかったのです。半ばコミケのような同人イベントだったとしても、仮にも、日本からゲストとして上映させて頂くのです。つまり、大袈裟な言い方をすれば「日本の自主怪獣映画を作っている者の代表」とも捉えられると思ったのです。

   そう考えた時「自分レベルのものがお呼ばれされて、お粗末な作品を見せてしまったら、それは日本の自主怪獣映画界隈の恥晒しではないか」と考えたのです…

   しかし、海外で、大人数の前で上映会をして頂けるなど、普通あり得ないチャンスである事も事実。どうにか自分を奮い立たせ、出品を決めました。

 結果、広報担当の方には「非常にウケていた」と言って頂けました。もちろん、その言葉を鵜呑みにはしていませんし、中にはクオリティを良く思わなかった方もいると考えています。しかしながら「海外での上映」という機会を頂けたのは、大変栄誉であるし、ありがたい事だと思っています。

これはその時頂いた賞状(?)的なものです。

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まとめ

 ここまで読んで頂けた方には分かると思いますが、僕自身は本作「水棲怪獣ヤゴン」には、誇らしいという感情は持てません。欠点だらけの作品だと思っています。

 しかしながら、それ故に多くの学びがあり、次に繋がる一歩になったと言うのも事実なのです。また、この作品の完成も、自分1人の力ではなく、手伝ってくれた友人ら、出演者の協力あっての事だと思います。ですから、彼らに感謝しつつも、自分の中で「意義のある作品」として留めています。

 そして、本作の不完全燃焼感が次の作品「彗星怪獣ハレー」の制作に繋がっていくのです。それは、次回の記事でお書きしましょう。では、ここまで長らくお読み頂きまして、本当にありがとうございました。

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