言葉の重み

最近、ネット上や学校等で「死ね」という言葉がよく使われている

何十代の人からすれば「軽々しくそういう言葉を言うな」というのが正常な感覚なんだろう。

タイトルにある通り、言葉には重さがある。

10をMAXとして、例えば冗談に対して笑いながら「死ね」と返せば重みは1とか2とか、そのくらいだ。ゲーム中に敵に「死ね」と言っても同じくらいだろう。

しかし例えば目の前で家族を殺されて、犯人に対して絞り出した「死ね」の重みは10に近いというかほぼ10だろう。

これをふまえて、現実世界での「死ね」について考えてみる。

例えば真顔で死ねと言われるとどうだろうか。
真に受けるだろうか、それともなにか「真顔で死ねと言わなければいけない」遊びのようなものをしている可能性もある。しかし普通は「これはマジだ」と10とか9とかで解釈することが多い。

冗談に対して「死ね」と笑いながら返せば、言われた側も冗談だと思い、1とか2とかで解釈するだろう。

しかし誤解というのも生まれうる。

人によって感じ方は違うし、笑いながらでも「死ね」と言われると傷つく人が一定数いうる。

また、逆に言った側は言った側で笑いながらでも10の意味で言っているのかもしれない。

面と向かっていても背景から読み取る言葉の意味を理解するには、ある程度話し相手と仲がいいとか理解している必要があるだろう。

ではインターネット上ではどうだろうか。

顔すら見えず淡々とした「死ね」という文字情報のみが画面上に表示される。さて、この「死ね」は一体10段階でいくつくらいだろうか。

もちろん文脈もあるだろう。
ネタのレスに「死ね」と出てくればまあ冗談と解釈するだろう。

しかしインターネットはそんなにわかりやすいものばかりではない。

どんどん10から1の段階付けは難しくなり、相手を理解するというのも難しいだろう。声色や表情が見れないインターネット上で「言葉の重み」を理解することは難しくなる。

これは決して「死ね」に限ったことではない。「バカ」「アホ」「カス」などの暴言だけでなく、「ありがとう」や「ごめん」だって皮肉と捉えれるかもしれない。

インターネット上での表現方法は、現実世界と同等以上に発達した。

絵文字なんてものが開発され、様々なネットスラングが生まれた。

しかし1回誤字をすればそれだけで意味は大きく変わる。また、それに言葉の用法の間違えが重なれば悲惨なことになる。

そういう小さな間違いの連続で、意味は大きく変容する。たった1未満の解釈の違いが、しまいには102まで近づきうる。

こんなことはみんな3秒考えれば思いつく。しかし、日々インターネットを利用している時に意識をする人は少ない。

当然日常生活でもだが、1とか10とか、言葉の重みは厳密に理解し、理解させるようにする必要があるだろう。

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