見出し画像

#1815 容姿を気にする人は〇〇!整形する人も〇〇!

整形をすることって馬鹿だと言えませんか?口悪いですけど。

結局のところ、自分を誇れる奴がその自信を正当化する理由を持っているってのが、その人が美しいと評価される条件だと思うんですよ。

議論したいです。

#1 小西行長 様

世の中で、モテる人は何パターンかあります。
そのうちの1つが、顔立ちが整った人です。顔立ちが整った人の子供は、だいたい顔がきれいな子供が多いですよね。そして、人間は本能的に優秀な遺伝子を残したいと考えるから、顔立ちが整っていた方がいいと思います。今、この世界では、顔立ちが整っていると言われている人々の特徴はある程度、決まったものです。
①顔全体のバランスがいい、小顔など
②二重、りりしい眉毛など
③鼻が高いなど
④歯並びがきれい、顎がシャープなど
⑤肌が綺麗、色白など
⑥髪型が整っているなど
このような感じである程度、決まっている形に自分から近づけると、男の人(女の人)が自分によってきてくれます。なので、今の価値観に合わせるのは重要だと思うし、整形もこの世界で生きていく1つの策だとは思います。

#4 やまぐちたろう 様

確かに、美女の評価基準(?)が、例えば平安時代と今とでは大きく変わっている、ということはよく言われることです。ですから、当時の美女、例えば小野小町が今の時代に生き返ったとして、今の我々が彼女を美人と思うかどうかはわからないそうです。
しかし、後天的な要素が大きいかどうかは別にして、ある人が美男子かどうか、美女かどうかということは、我々は直感的に判断しており、それは理屈ではないと思います。
そして、美男子であること、美女であることで、いろいろなメリットを得ている人がおり、一方ではそうではないことで不利になったり、損をしたりすることがあるのは、残念ながら厳然たる事実だと思います。
ですから、容姿を気にすることはある意味仕方のないことであり、批判すべきことではないと思います。また、整形することについても、それによって自信を得たり、損をしなくなったりすることがあるのも事実なので、否定すべきではないと、私は考えます。

#5 愛か金か 様

いやいや、何を整っているとするかっていう価値観が後天的に作られたものだから、環境によって全く異なる価値観が生まれても不思議じゃ無いし、むしろ色々あって然るべきだよねって話なんですよ。
つまり、容姿について絶対的に優秀な遺伝子っちゅうのは無いんですよ。
加えて言うと、小顔とか鼻が高いとかってのを良しとするのは日本独特なものなので、この世界ではってのは主語が大きすぎるかなぁと。色白ってのも日本の話だろうし。

って言う美の多様性についての側面だけじゃなくて、美的感覚は変えられるよねっていう側面もあるんですよ。
既に変わった美的感覚の例として、昔の日本では下膨れの顔の女性が人気だったというのが挙げられるのかなぁと。まぁ、要は美的感覚は多様である上に、マジョリティーの価値観も変わりうるってことなんですよ。

で、これを踏まえて考えると、整形とかを行うってことは美的感覚の画一化や、美的感覚の変化を邪魔することになってるんですよ。

欧州とか米国とかの学校では割とよくあると思うんですけど、広告における女性の容姿がフォトショップ等で加工されたりしていることについて、そういった容姿が”正しい”美的感覚であると錯覚してしまう人間が出る恐れがあるよねってのを中学とか高校とかで教えるんですよ。
それと同様に、整形した人間の容姿が人々の錯覚を招くのでは無いかと考えられるため、整形は倫理的に良く無いと思うんですよ。
ミクロの視点で刹那的な見方をすると、整形はこの自由だし、効果的な手段の様に見えますけど、マクロの視点で長期的な見方をすると、整形って驚くほど愚かな行為なんですよ。

と、この様な主張なんですよ。

#8 GIRON-Hg6l 様

いくら美的感覚が後天的だといっても、今の社会に合った美がある限り、それに合わせた顔になりたいのは馬鹿じゃないと思うり

社会の美的感覚なんて、急に変化するもんでもないし。

このGIRONを見る

また気になったコメントがあれば、Twitterでシェアして楽しんでいただけたら嬉しいです。

画像1

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

▼iOSの方はコチラ

▼Androidの方はコチラ

使い方や機能についてなどのご不明点等ございましたら、お問い合わせフォームよりご連絡くださいませ。

またGIRONを応援してくれるスポンサーを絶賛募集しております。
ご気軽にご相談お待ちしております!

GIRONビジネス支援プログラム


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?