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ねえ、人生の邪魔をしないで。「普通」という言葉。

普通になりたい人と、

普通になりたくない人がいて、

「普通」とか「普遍性」とかそんな言葉が、自分の人生の邪魔をしてくるなと最近思った。

私は後者の方で、「結局、自分は普通かよ」って、人より秀でた能力や、これといった特徴のない自分に嫌気がさす時がある。

でも世の中には普通になりたいと思っている人もたくさんいて、そもそも「普通」という言葉の意味すらわからなくなってくる。

何を持っての普通なのか。

誰を基準とする普通なのか。

得体の知れない「普通」という言葉によって、自分の感情を揺さぶられたり、存在を否定されることが、たまらなく悔しいんだけど。

好きになる異性の対象や、着る服の趣味、遅刻癖があるかないか、好きなエンタメの趣味、友達が多いか少ないか、家族構成、

協調性に欠けないように、ある時は「普通」になりたがって、またあるときは、「普通」を嫌う。

全くもって不思議な言葉であり、グサッと人の感情や個性を殺す言葉である。

普通でいる必要はないんだよ。

好きに自由に生きてもいいんだよ。

昔よりも個性が強調される時代になって、むしろ個性で生きていける時代になったから、もう普通の人は時代遅れなんだよきっと。

もっと個性を活かして、自分たちのコミュニティの中で生きていけばいい。

そんなことを思っても、やっぱりどこかで「普通」という言葉が邪魔をしてくる。

「普通」という言葉に監視をされていて、自分が悪いことをしたら怒られるのではないかとビクビクしてしまう。

みんなの空想の中にいる「普通の人」。

考えれば考えるほど、気持ち悪くなってくる。


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