ケトルベルスポーツスナッチの基礎
はじめに
スナッチはケトルベルのエクササイズ種目としてはスイングに並んで世界中で最も親しまれている種目の1つです。そしてケトルベルスポーツのスナッチはケトルベルスポーツの中で最も長い歴史がある種目のひとつで、昔から老若男女問わず親しまれてきました。ケトルベルスポーツの進化とともにスナッチも進化を続け世界中を熱狂させています。
そもそもケトルベルは18世紀には市場で主に作物の計量をする秤として使用されていたとされております。19世紀に入るとその秤を利用してトレーニングしたり、サーカスの力自慢たちによる見世物として巨大なケトルベルをリフティングしたり、バリエーション豊かにケトルベルの歴史は発展していきます。
19世紀後半に入るとロシアとヨーロッパでケトルベルが競技として使用され始めます。1885年に「アマチュア陸上競技サークル」 (Кружок любителей атлетики) が設立され、競技のケトルベルスポーツ (гиревой спорт)がはじめて行われたとされています。そして1948年10月24日、重量挙げ専門家の後援のもと、アスリートが2プードの重量で競技する最初の競技会が開催されたとされています。この時はまだ正式なルールはありませんでしたが、それ以降このような競技会が継続的に開催されるようになり、多くの選手たちと大衆を惹きつけていきました。前述のプードとは16.38キログラム (36.1ポンド) に相当し2プードだと32.76に相当します。1960年代に入るとケトルベルリフティング、もしくはケトルベルスポーツという名前でロシアと東ヨーロッパを中心に組織化され人気のスポーツとして発展していきます。しかしこの頃はまだロングサイクルは正式な競技種目ではありませんでした。この頃の正式種目はジャークおよびスナッチのみであったとされています。
1989年に今日行われている形とほぼ同じルールで10分を競技時間の上限として行われるようになります。現在スナッチは男女ともにスナッチの単独種目がありますが、かつては男子ではバイアスロン種目を構成する1つの種目でした。つまりスナッチのみで競技することはありませんでした。女子の場合では、現在はダブルロングサイクルやバイアスロンがありますが、かつてはそれらの種目はなくスナッチ単独種目のみで競っていました。現在は男女関係なく個人種目は、ジャーク、スナッチ、ダブルロングサイクル、バイアスロン(ジャーク+スナッチ)、オールアラウンド(ジャーク+スナッチ+ロングサイクル)、の5種目に分けられています。この他に12分の競技時間で行われるミリタリースナッチや、2つのケトルベルを使用して行われるダブルハーフスナッチという種目も誕生しました。またスナッチはマラソン競技としても楽しまれており近年競技人口が加速的に増えております。またロシア国内ではケトルベルジャグリングが正式な種目として採用され、ますます競技人口、競技バリエーションが増えました。
ケトルベルスポーツは比較的若いスポーツで、ここ数年でより幅広く彩り豊かに進化をしてきました。これからもきっといろんな変化、進化をしてますます世界中に愛されるスポーツとして発展していくことが予想されます。
インターナショナル・ユニオン・オブ・ケトルベル・リフティング、IUKLが主催する世界大会も毎年老若男女国籍問わず出場人数が増えております。現在、世界大会は通常4~5日間連続で行われ朝の早い時間から日が落ちた夜の時間まで長く開催されます。その間に出場する選手は500人近くにも及びます。そして最大で同時に6人が一斉に競技を開始します。会場中に響き渡る歓声、選手の雄たけび、ジャークの時にはケトルベルが激しくぶつかりあう音や選手がバンプした時に鳴る大きな足音が鳴ります。スナッチの時、死力を尽くして戦う選手の握力は時に限界を超え意図せずケトルベルを落下させてしまうことがあります。激しく地面に落下したケトルベルは大きな音と衝撃を出します。その音で一層応援はボルテージを増すのです。
選手たちは皆大量の汗を流し、時には手のひらのマメが潰れて血を流しながら、時には涙を流しながら10分間プラットフォームの上で競技をします。
そして競技が終わるとお互いに笑顔で称えあうのです。そこには言葉の壁も国籍の壁もなく、ただ一つ同じケトルベルスポーツという競技で心を通わせ互いに死力を尽くして戦い抜いたお互いを一点の曇りもない笑顔で健闘しあうのです。まさにノーサイドで称えあうのです。こんなにも美しくかっこいい競技が他にあるでしょうか。
目次
スナッチとは
スナッチはケトルベルスポーツの種目の1つで、1つのケトルベルを片手で頭上まで振り上げる種目です。ケトルベルスポーツは持ち上げたケトルベルの重量を競うのではなく10分という時間制限の中で何回連続でケトルベルを持ち上げることが出来たかを競います。競技中、1度だけケトルベルを持つ手を変えることができますがその1度を除けば持ち替えることが許されず、またケトルベルを床に置いて休むことも許されておりません。ケトルベルを床に置くとそこで競技が終了し、それまで連続で持ち上げた回数が自身の記録となります。また競技中ケトルベルを持つ手をケトルベルを持ったまま下垂させて休むことも許されておらず反則行為となります。フィクセイションと呼ばれる頭上でケトルベルを持つ姿勢で休むことは許されており、スナッチではこの姿勢が唯一静止することが許される姿勢となります。この姿勢以外ではケトルベルを常に動かし続けていなくてはならないので全身の筋力だけでなく心肺機能も極限まで疲労するまさにウェイトリフティングとマラソン競技が合わさったようなスポーツです。
現在では男子でもスナッチオンリーが誕生しましたが、やはりそれまでの長い歴史から女子選手ではバイアスロンよりもスナッチオンリーの方が、男子選手ではスナッチオンリーよりもバイアスロンの方が人気があるようです。選手層も厚く、競争のレベルも高いですし、歓声の大きさや、オーディエンスの熱気も高いです。
男子のバイアスロンスナッチはバイアスロン種目の2種目で順位が決着する種目なので選手も残る力を振り絞り全力で競います。ジャークで順位を上げられなかった選手が、スナッチで大逆転勝ちということもあります。記憶に新しいところでは昨2023年開催されたロシア選手権の73kg級バイアスロンでは、ジャークの1位はスリマノフ・モフサルで145ptで2位のラサディン・アンドゥリーは123ptで大きく差をつけられておりました。ラサディンがスナッチでこの差を埋めスリマノフに同点に追いつくためには彼よりも44回以上多くスナッチをする必要があり、逆転には45回以上多くスナッチを行わなければなりません。これは容易なことではありません。
しかしラサディンはスナッチの名手です。ワールドレコードホルダーでもあり73kg級で世界で初めてスナッチ200回の壁を超えた選手です。スリマノフのスナッチは143回で終えたので187回以上スナッチを行わなければ逆転勝ちはできません。これは非常に難しいものでしたがラサディンは見事に197回という大記録を達成し大逆転をすることができたのです。ラサディンの見事な大逆転劇に観衆は大いに沸きました。
女子選手のスナッチオンリーもすごい人気です。女子選手の種目はバイアスロン、ロングサイクル、スナッチの順番で歴史が浅く若いです。つまりスナッチが最も古典的かつ歴史がある種目となります。当然選手層も厚く競技レベルも高いですし、応援の熱気もすごいです。バイアスロンスナッチとは違い、スナッチの1種目で順位が決着するので緊張感もあります。また近年ではスナッチのペースがとても速く少しのミスで順位がガラッと変わってしまうような1秒も目を離すことができないスピーディーの試合が増えました。2024年のロシア選手権ではワールドレコードホルダーのクセニア・デジュキナが出場。下馬評通りクセニアが1位のまま9分過ぎまで試合が展開します。
しかしここでクセニアがまさかケトルベルを床に置いてしまいます。
こうして残り1分で順位は2位へと転落。10分が過ぎた時には順位は3位にまで後退してしまいました。このように最後の最後まで目を離すことができない熱い試合があります。
スナッチは非常に長い歴史があるにも関わらず毎年のように世界記録が更新されています。95kg超級のイワン・マルコフは2017年225回の世界記録を打ち立てました。それから僅か3年後の2020年にはさらに記録のを伸ばし230回、そしてその翌2021年には231回、そして更ににその翌2022年に236回にまで記録を更新しました。わずか5年の間にここまで記録が更新されているのです。
スナッチの世界記録
男子
女子
理想的なスナッチ
スナッチはケトルベルスポーツの種目の中で最も多様性がある種目です。ジャークやロングサイクルも選手によってフォームは様々ですが、ある程度の型が決まっております。ある選手とある選手のフォームは全然似てないが他のある選手とは非常によく似ているということがあります。しかしスナッチは非常に多様性があり選手の数だけフォームがあり、1つとして同じフォームはないと断言しても良いかもしれません。膝を曲げる選手曲げない選手、カカトが浮く選手浮かない選手、足幅を変える選手変えない選手、前を向く選手横を向く選手下を向く選手、ケトルベルを持たない手を大きく振る選手振らない選手、ケトルベルを持つ方の腕の肘を曲げる選手曲げない選手、例を挙げればキリがありませんがそれだけ多様性がある種目なのです。そのため選手の個性が出やすいので名前がつくこともあります。左右に大きく身体を揺らしながらスナッチをするイワン・デニソフのスナッチは「デニソフ・スナッチ 」と呼ばれます。
ドロップの直前に大きく上体をのけ反らせるアントン・アナセンコのスナッチは「アナセンコ・スナッチ 」と呼ばれます。
では理想的なスナッチのフォームとはどのようなものなのでしょう。セルゲイ・ルドネフのスナッチは全身の力が抜けたようなフォームですが、イワン・マルコフのスナッチは全身余すことなく力が入っているような印象を受けます。両者のフォームは全く似ても似つかないものですがどちらの選手もスナッチで素晴らしい成績を残しておりどちらのスナッチのフォームも理想的と言えます。つまり理想的なスナッチのフォームはひとによって全然違うものであり選手の数だけ理想のスナッチの形があるとも言えます。しかしそれではスナッチの解説をすることは非常に難しくなってしまうのでここでは最大公約的なスナッチを理想的なスナッチと便宜上呼ぶこととし、そのフォームについて解説したいと思います。
スナッチの運動解説
スナッチは以下のフェーズに分けることができます。
リフトオフ
バックスイング
フロントスイング
アクセラレーションプル
ハンドインサーション
キャッチ&リカバリー
フィクセイション
ドロップ
ハンドイジェクト&キャッチ
バックスイング
上記のフェーズの1~7までが上昇フェーズです。そして7~10が下降フェーズです。その後2へと戻り再び上昇フェーズと続きます。
正面から見た時のスナッチ
まずは正面から見た時のスナッチの動作を解説します。
上昇フェーズ
1 リフトオフ
リフトオフとは床に置いてあるケトルベルを持ち上げる局面です。床に置いてあるケトルベルのやや後方に立ち、そのまま身体を前屈させハンドルを握ります。この時のケトルベルのハンドルを握る位置ですが、小指がハンドル内側の側面に当たるようにやや小指側寄りの位置を握る選手が多いです。
ただ63kg級のバイアスロンスナッチの世界記録を持つジョニー・ベニーゼのようにハンドルの親指側の位置を握る選手もいます。
ハンドルを握った際膝はやや曲がっております。そこからやや後方に重心を移行させながら膝関節を伸ばしケトルベルを地面から浮かせます。やや後方に重心を移すことにより、ケトルベルは自然に両脚の間を通過し後方へと推進します。スナッチは遠心力を利用してダイナミックにケトルベルを挙上するのが特徴ですが、唯一リフトオフの際は遠心力を大きく利用することができないので、最もケトルベルが重たく感じる瞬間と言うこともできます。
2 バックスイング
リフトオフの後、すぐに前方にスイングするのではなく予備的に後方にスイングします。重心を後方へ移しながらデッドリフトのファーストプルの要領で膝関節を伸展させケトルベルを地面から浮かせ、その後ケトルベルの前方への加速をより容易にするために更に後方へバックスイングします。そのためにバックスイングの最終点で一度膝関節を完全に伸展させます。この時上体は更に前傾させます。このようにすることで更にケトルベルを後方にスイングさせることができます。この時ケトルベルを持っている側の足のつま先が浮く方や、両足の爪先が浮く選手もいますが、これは勢いよくバックスイングできている証拠なので全く問題ありません。
バックスイングする時のケトルベルの向きですが、ハンドルを握る手の小指が前を向くようにスイングする方、親指が前を向く方、手の甲が前を向く方と様々です。特にどれが理想というものはなく、やりやすいやり方でやるのが一番ですが、手の皮が剥けやすいという方は注意が必要です。たとえば小指の付け根の皮が剥けやすい、マメが出来やすいという方は少し小指の方を前に向けてスイングすると解決できるかもしれません。反対に人差し指が剥けやすいという方は親指側をやや前方に向けてスイングすると解決できるかもしれません。いろいろな角度でたくさん試して自分に合うスイングを見つけましょう。右手と左手でやりやすいスイングが違う場合がありますが、特に気にする必要はありません。人間誰でも多少の左右差はあります。特に肩関節は左右差が出やすい部位でもあります。余程の左右差でない限りは特に気にする必要はなく、どちらもやり易いスイングの方法を選択するようにしましょう。
足幅も自由です。足幅が広い方も、狭い方もいます。足幅を決定する基準ですがバックスイング、ドロップ、アクセラレーションプルがやりやすい足幅が理想です。スナッチの動作途中で足幅を変える選手もいます。オレグ・シェルビンはアクセラレーションプルの後に素早く足の幅を狭くし、ハンドイジェクトの後に素早く足の幅を広くします。
バックスイングの最終局面、その後のフロントスイングで爆発的な加速力を得るために膝関節をやや屈曲させ、アクセラレーションプルへ備えます。
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