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①はじめに

この子育て日記は
聴覚障害と発達障害のある息子の子育てからたくさんの幸せをもらっていたなあと子育てが終わりかけの頃つくづく感じまして
当時先生との連絡帳や私の日記などをもとに、息子が成人したあたりからちょこちょこ断片を集め、文章として書き溜めていました。

最初は「きれいごと」一見よいことばかりで構成していたのですが、もっとムカついたり、なさけないことや、それこそお恥ずかしいような内容を入れこんだ方がメリハリがつくかなとも思いまして都度推敲を重ね一つの作品が出来上がりました。

(文末がです。ます。ではなく、だ。や 思う。である。など言いきり系で表現しています。)

はじめに

1997年口唇口蓋裂、背骨の側弯、聴覚障害をもった長男が誕生した。
のちに広汎性発達障害も判明。


ひとつひとつの障害に向き合いながらも、たくさんの方の助けと励ましをいただき、想像していた以上にたくましく成長し現在(28歳)は幸せな日々を送っている。

私は26歳のとき妊娠した。しかもできちゃった婚だ。

「努力して良い点を取り、良い学校に入り、安定した就職先に入ること」

さらに
「良い人を見つけ結婚し、出産すること」=これが女性の幸せという暗黙の雛形が今より濃かった時代である。

当時の私は自分の将来についてなんとなくの展望はもってはいたが、今振り返るとその展望自体は自分から出た夢ではなく、
その時代が持っていた意識そのものであることに気がついた。

それを実現しさえすれば自分も幸せになれるのだと思っていた。

また、
「幸せを得るためには自分が頑張りさえすればなんでもなんとかなるものだ」と信じこんでいた。

人生はそういうものだと思っていた。

これまでの義務教育で染み付いていた考えをベースに「努力さえすればよい」とそう思い込んでいたのは仕方のないことだったのかもしれない。

そんな私が「障害を持つ子供を産み、育てること」=「自分だけががんばってもどうにもなんにもならないこと」に思いっきり直面した。

「幸せ」は努力のみによって得られるものだと思っていた昔。

しかし決してそういうものではないと子育てを通して確信した

与えられた環境や条件など受け取ったものがどんなものであろうと、

それは後々に

「愛」とはなにか。

「私らしく生きていくということとはどういうことか」を学んでいくためのものだったのだなと改めて思う。

さらに「発達障害」という障害と向かい合うことで、改めて「集団」や「世の中」というものにおける深い意識そのものを問うきっかけとなったことで多くの気づきを得ることができた。


経験を思い起こせば簡単にトピックをあげたとしても

・生まれたわが子に障害があった時の事
・口唇口蓋裂の事(顔の奇形)
・生まれつき聴こえないとはどういうことか
・言葉(母国語)を使えるようになるには
・発達障害と社会とのかかわり
・自立への工夫・道のり

など、彼の障害を通して社会を考えるきっかけになった事が多く、ひとつひとつが非常に濃い。
様々な状況・場面において視野が大きく広がり、大変貴重な経験をさせていただいた。

大きなプラスチックケース3箱にもなる「先生方との連絡帳」「日記」「本人との絵筆談日記」を整理し、参考にしながら細かく当時を思い出している。。

母として絶望感、喧嘩、怒り、小さな喜び、大きな喜び、感動、、、様々かけがえのない経験をいやおうなくしていくわけだが、
その一つ一つの経験が「私が私らしく人生を生きる」ためにあった経験であるような気がしてならない

人生の中で子供が誕生し、
その子にたまたま障害があって、
そして子育てが中心となる時期があり、
その子育ても落ち着いた頃自分軸を取り戻し、
そしてその経験を生かし、自分の活動をしていく。

すべての経験はかけがえのない宝物に変わるものだなあと思う。


現在息子は一人で暮らし、仕事も順調である。

そして小さいときから大好きだった象や犬のイラスト活動で地域の人達と交流を楽しんでいる。

小さい頃よく見ていた象は記憶の中にあるようで、写真も何も見ないで象の家族を描くことができる。


彼はコーヒーの焙煎も習い、真剣な面持ちでコーヒーを入れるのだが、それがとても美味しい。

彼が赤ちゃんの頃、将来まさか一緒にイラスト活動を楽しんだり、お客さんにコーヒーを入れて美味しいと言われたり、一人暮らしをしたり、一人前に仕事をしたり、そんな幸せが来るとは私は想像もできなかった。

聴覚障害があるゆえに
日本語で会話できるようになるまで「絵筆談」をしていたという事は
「お互い伝える」ために必要だったから親子でやってきたことなのだけれど、それが今につながり、彼自身がイラストを描いて表現していくようになったというのは自然な流れなのかもしれない。


日常の一つ一つのことは大したことないように思えたことも、ひとつとして無駄なことはなく、すべて幸せになっていく道につながっていくものなのだなとつくづく思う。

当時愛のあるご指導をしてくださった聾学校の先生方、
適切な次へのステップを示してくださった病院の先生方、
病院に付き添ってくれた夫の兄弟、
親戚、夫、娘、皆さんに感謝を申し上げたい。


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