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人生が好転しないのは、なにかおかしいのだろうか

郵便局のアメ

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郵便局においてあるCUBYROPを大量に持ち帰る子供だった
郵便局側はからはいやらしい子供に映ったかもしれない。
がめつい性格をしていたと思う

彼はあの時、達成感を得ていた
擬似的に社会から何かを獲得するという達成感だった。

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我々は、よーいどん、で社会人となり、
今まで過ごしていた表側から一転、
裏側で表の世界を支える柱の一本に変わってしまう。

これまでの過ごしていた地盤が消えるかのような感覚に陥り、
元いた場所が、実は、道があるようでない、
答えが存在するかもわからない無法地帯であったことを知る。

社会の一部となった我々はややもすると、歯車として機能し始める。
早くも自分の現状と立場を理解し、その役割と責任を認識して遂行する
そうでない人も、働くことが必要となれば、必要に応じて役割を担おうとする

誰にでも共通する事項として、
我々は欲求に従う生き物であるということがいえる

一般的で、自明な理論だ。
我々は様々な環境下で、様々なプロセスで生活する
生活の中で様々な欲求が生まれ、それを潜在的に満たそうとするだろう

ここで有名なマズローの欲求5段階説、を導入してみよう

マズローの欲求5段階説

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現代の日本社会では以下の2つは基本的に保証されている。
・生理的欲求
・安全の欲求

新入社員は社会で通用する人間になりたいと思い苦労することだろう
この欲求を「社会的欲求」という

これは仕事をしてお金を稼げるようになりたい、おそらく誰もが抱く思いであろう
多くの人はここで今までの生活とのギャップを経験し、今までに味わったことのないような苦労をする。「縦」の世代による格差、「横」の同世代の間での格差を垣間見、
自分がどういう位置にいて、どれほどの役割を担っているのかを正確に把握するだろう。

厳しさに打ちひしがれ傷つきつつも、折り合いをつけるだろう。
社会から何かを獲得したと理解した時、初めてこの欲求は満たせる。

社会的欲求を満たすことができれば、社会人としては一人前とみなせる
次は何を考えるだろうか。

さて、ここから先は曖昧な領域だ
正当な評価をされたいと願うものだ。

「誰かに疑われたくないし、素晴らしい人間であると思われたい」
これを承認欲求とよんでいる

承認欲求が特殊な点として、
初めて他者が介在する欲求、といえる点だろう

誰かに認めてもらいたい、とはどういうプロセスだろうか
社会的欲求の上にあることから、逆算して以下のことは最低条件であると言える。

・生きていられる状態
・安全な環境にいる
・社会性がある 

いずれも直感的に理解できる項目だと思う。
これらは承認欲求が発生する条件と言ってもよいだろう。

「承認欲求が満たされない」という悩みは現代的だが、
段階説に従えば、
「条件が満たされていないから」と単純化することができる

ここで、自己実現の欲求について考えてみる。

さて、「自己実現」とはなんだろう?

正直検討もつかないというのが本心だが、
実際に、とらえどころのないものなのではないだろうか。

例えば、世界的な大スターになった大谷翔平は、
自己実現をしてしていると言えるだろうか。
ホームラン46本、投手として9勝を挙げ、MVPも獲得した

彼は私の中で最も自己実現をした、と考えられる対象なのだが、
果たして彼は自身を「自己実現した」と言うだろうか
おそらく言わないだろう。というのも彼はまだ道半ばで成長途上、
更に偉大な記録にも挑んでゆくだろうと思われるからだ。
(現に国民栄誉賞を断っている)

何をもって自己実現したというかは、結局本人次第であり、
想像したところでわかるものではない、と思う。
そして自己実現が何を意味するのか、これも個々人によって異なるのではないだろうか

自己実現とは何者か

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マズローの欲求5段階説に戻ろう。
ピラミッドの頂点、「承認欲求」が満たされると
「自己実現欲求」を目指すという構図となっている

では改めて「自己実現欲求」とはなにか
自己実現欲求とは「自分の世界観や人生観に基づいて『あるべき自分』になりたいと願う欲求」とされている。

字面だけでは意味不明である。
これまでの原理的な観点に立ち返ると、承認欲求が満たされることが条件となるはずだ。
つまり「承認欲求が満たされた人間」は「自己実現欲求」というものを理解できるのでは?
という単純な疑問が浮かぶ。

ある程度見渡せば、該当するそれっぽい人はそこら中にいる
親兄弟、友達、SNSの知り合いでも誰でも。

「あなたは承認欲求がみたされていますか?」
「あなたは自己実現欲求を持っていますか」

片っ端から聞いていくのもよいが、あまり良くないと思っている。
「あなたは社会性がありますか?」
という質問に近い内容で、おそらく皮肉に聞こえるからだ。
「それが聞きたくば、実践で確かめよ」と遠回しに怒られるだろう。

「自己実現」を達成した人間は、どんな顔をして、何をしているのか

いわく「理想の実現」「自己超越」「ありたい自分
などという言葉で言い表される。

つまり、理想の姿と重なった自分を、客観的に観測する自分がいる
ということだろうか
なんとも厄介な話だ

なぜなら上記の彼は理想を叶えてしまっているのだから。
自分が理想を叶えるのか、理想が自分のレベルに還元されるのか
その時、理想は理想のままなのか、なにか別のものに変質しているのか

「超越」という言葉を使わざるを得ないのも納得の不思議世界だ。

郵便局のアメを持ち帰る姿では決してないのである

まとめ

「自己実現」

最近よく聞くようになった言葉だけど、それって何?
という素朴な疑問。採用担当者に問いたい。

「きっと今はまだわからないもの」と結論づける。

「自己実現」なる曰く形容し難く、近寄りがたい欲求
しかしそれは自身の体から生み出されるという

なんとも不思議なこの欲求は本当に実在するのか
万が一生まれ落ちたとしたら、何が起こるのか、
その時果たして自分は自分でいられるのか

興味は尽きない

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