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エッセイとイタリアからのおいしいもの

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日々の何気ない事柄、ふと道で思いついたことを書き綴っている、そのエッセイとともに繰り出されるイタリア料理のレシピ。色々と考えていると結局何かおいしいものにたどり着きます。Prim…
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#イタリア料理

りんごとバターと砂糖のにおいが立ち込める部屋での1日

また雨に閉じ込められてしまった。我が家は角地なので、余計に四方を水責めされているような感覚に陥る。こういう雨の壁って、通り抜けても通り抜けてもまだあって、地獄にもし入ったら、死んでも死にきれないってこういう感覚と似ているのかなーと想像が飛ぶ。そしてこんなときに限ってラジオからは「帰って来た酔っ払い」が流れる。私の中にはおそらく自分にも見せられない不安がきっと一日中くすぶっていた。 「雨に唄えば」みたいな明るさで雨の中を楽しめるのは、心に余裕があるときだと思う。それに昨日はと

ああ結婚(Matrimonio all'italiana) デ・シーカ

 先日ヴィットリオ・デ・シーカの「ひまわり」を見て、またソフィア・ローレンxマルチェロ・マストロヤンニの黄金コンビの映画がみたくなり、「ああ結婚(Matrimonio all'italiana)」(1964年)を再見しました。 ↓↓ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」のレビューはこちら  この映画は「ひまわり」よりも以前の映画ですが、やはりデ・シーカらしく、コメディタッチでテンポよく進みながらも最後感動で涙してしまう、そんな映画です。当時はデ・シーカの新境地と言われ

ひまわり(I girasoli)  ヴィットリオ・デ・シーカ

 ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』(1970年)、今映画館でもHDレストア版が上映されているよう。大きいスクリーンでみると、このポスターにも登場する広大なひまわり畑とか、モスクワの巨大な街の感じがより一層感じられていいかもしれない。この映画をおすすめしたいのは、夏らしさというよりかは、戦争を考える映画として。(戦時中の実際の映像もところどころ挿入されている)  ポスターしか見たことのない人は、この広大なひまわり畑を見て、夏らしさを感じたり、あるいはマストロヤンニと

夏休みを感じられる映画 (ベルトルッチ作品「魅せられて」)

 「魅せられて」(1996年 ベルトルッチ 監督作品)を再見した。朝5時前に起きた息子が、このDVDを何気なく持ってきたから、まだ朝は曇っていてそんなに日差しも入ってなかったし、スクリーンで見てみた。トスカーナの田舎の風景が目に優しく、なかなか外に出られないこんな日々でも夏休みの気分に浸らせてくれた。  先日もここで紹介した映画なんだけれども、この映画は見れば見るほど興味深い映画だったと気づく。たぶん最初に見たときは高校生の時とかなんだけれども、その時にはただのティーンの恋

11種のハーブ酒

 私の子供にはジブリ映画(イタリア語版)ばかりを見せているのだけれども、一番好きなのはどうも「魔女の宅急便」続いて「紅の豚」「崖の上のポニョ」。一番楽しそうなのはダントツ「魔女の宅急便」。もう始まった途端、あの緑いっぱいの草原でキキが頭の後ろに手を組んで座っているところから、表情が晴れる。そしてキキが実家から飛び立って、ユーミンが歌う「ルージュの伝言」が流れる出すと満面の笑顔で見始める。小さい体をリズムにのせながら。  私の知人のイタリア人は結構の確率で 「キキの街は絶対

自転車泥棒(Ladri di biciclette)

 自転車を盗まれることは今のローマでもきっと珍しいことではない。しかし今なんかと比べ物にならない、戦後すぐの市民にとっては大事だった。  イタリア敗戦後すぐの、まだまだ荒廃しているローマを描いている。Casa publica(公共団地)が郊外の何も無い更地に建てられていて、失業者がたくさん職業安定所の周りでわらわらし、自分の名前が呼ばれるのを待っている。奇跡的にも仕事を紹介されたリッチだが、「自転車が無ければ仕事は他の奴に譲る」と職員から言われてしまう。しかしリッチは自転車

重曹中毒

 以前に「シャドーワーキング」について書いたことがあったが、(もはや"夫が家事をあまり仕事と認識していない"という愚痴のような記事だったので、恥ずかしいあまりだが)あれから夫もだいぶ変わり、言われなくても「名もない家事」をやってくれるようになった。  きっかけは夫と、子供の保育園の送り迎えの分担に関して、一悶着あり、私が 「あなたは家事をやる能力が著しく低いから、私がやるしかない」 という言葉を吐いたときだったと認識している。それから彼は言われなくても、私が密かに山のよ

Formaggioの作り方

 いつも私が使っているイチョウの小さいまな板がある。これは私の実家の銀杏の木を切らなければならなくなった時に、父が切って、やすって、きれいにしたものだ。あの木はいつも2階の私の部屋から見える、本当に黄金に輝く、何か大きい浮遊体のようだった。父が幼い頃、昔はとても深く見えた、あの森で苗を見つけて、家の庭に植え替えたものらしい。(しかしその話は父本人が覚えておらず、誰が言ったのか、我が家に伝わっている話なだけで、真相は藪の中なのである。)  母は、父の思い出の木なんぞを感傷的に

シャドーワーク・サンドバッグ打ち

 昨日、洗濯を取り込むのを忘れてしまった。夫も気付いてくれなかった。幸い今日までかんかん照りだったので、朝に取り込んでもまだ、洗濯物は太陽の匂いがした。  最近よく聞くようになったシャドーワークという言葉。いわゆる「名も無き家事」である。こういう言葉が生まれて本当によかった。自分の行っていた細かな「何でもない事」が、少なくともカテゴリー化されることで、「何でもある」ことに昇級したから。子育てに勤しんでいる人もそうでない人も、これで気持ちだけでもホッとした人が多かれ少なかれい

涙の理由

 電車通勤がなくなってから、イヤホンを耳にしなくなった。私はいつもラジオを通勤中に聞いていたのだけれども、イヤホンは耳に悪いし、そもそもベビーカーで子供を連れながらのイヤホンは危なくてしていられない。なのでここ2年ぐらいはずっと、自分の聞こえるレベルの音量でラジオをかけ、流しっぱなしでバッグの中に忍ばせている。近所を歩くときだけだけれども、迷惑だろうか。自分としては、そんなに喧しいラジオを聞いているつもりはないので、迷惑にならない程度にかけていると思っている。それに私は歩くの

幕開け

 ベランダのプランターで房なりに育ったトマトが、赤く色づいてきた。友人は自分の子供にそれを指差し「しゅうかく」という言葉を教えようとしていた。1歳10ヶ月なのに助詞も正しく使うほどよく喋れる子で、小学生の頃に読んだ「天才えりちゃん、金魚を食べた」という本を彷彿させる。お母さんが、地味ながらも丹念に子供に話しかけをしているのをよく見ていたし、ご両親共々才能のある人たちだから、他人の私まで期待を寄せてしまうような女の子である。いつも綺麗な色のふわっとしたスカートを着て、あのウィス

一面葡萄畑の中で

 縁の下がいっぱいになっていたので整理していたら、最近久しく見ていなかったボトルのガラス容器が見つかった。中にはやや緑がかった黄色の液体が入っている。なんだっけ、これ。梅酒は別の容器に入ってるしな。梅酒が変色しちゃったのかしら。それともずいぶん前に作ったリモンチェッロ??  これは果たして飲めるものなのだろうか、夫とおそるおそる飲んでみる。夫はそんな忘れ去られているものは腐っているものに違いないと、かなり試飲に抵抗していたが、無理やり付き合わせる。最初はリモンチェッロだと思

Sicilian Ghost Story

 この前も子供を育てることについて少し書いたけれども、夫とはたまに子供をどこで育てようという話になる。私は鼻息を荒くして日本の学校に通わせたくないの一点張りで、たぶん私のことをちょっとイタリアかぶれだと思っている夫は、「けど、イタリアの学校も別によくないよ」となだめる。 >>過去の参考記事  イタリアの学校は、もちろん地域によって全く異なると思うのだけれども、日本の学校のように全体主義、不自然な平等主義ではないし、子供たちがわりと楽観的なような気がする。(日本のうちの近所

感情が見える人

 最近の自粛生活になって良かったことの一つとして、庭の植物に水を朝と夕1日2回あげられているということがある。出勤しなくていいから朝に余裕があるし、夕方日の暮れる前には家にいてご飯を作っているから、それらのタイミングにプランターや庭に水をやれることは植物たちにとってすごく良い。だからいつもは咲かない花が咲いたりしたのかも知れない。(3年前にもらったカーラーがいきなり咲いた話)  家庭菜園がうまくいっているのは、我が家の日当たりがいいせいでもあるけれど、けれどなんとなく、なん