「すずめの戸締まり」を観たお話

 「すずめの戸締まり」を観てきた。私はそんなに多くの作品を知っている訳ではないから、他作品との比較はできないけれど、本作の設定・脚本は私にとても馴染んで、心地良いなぁ、と素直に思った。以下ネタバレを含むので、未鑑賞の方は読まないで欲しい。

 冒頭の数分でだいたい世界観がわかるくらい、テンポよく話が進む。後ろ戸、ミミズ、要石、閉じ師。なかなかファンタジーな設定ではあるけれど、気づいたら没入できていた。

 かといって、冒頭の描写だけでは、幾つか疑問が残る。どうして扉があるのは廃墟なのか、どうしてダイジンは要石の役割から逃げたのか、ダイジンは何者なのか、すずめは何の因縁があって草太や後ろ戸と関わることになったのか、どうして椅子は3本脚なのか、など。

 そういう疑問への答えが、少しずつ、わかるような、わからないような形で、描写されていく。惹き込まれていく。その感覚も心地良かった。

 本作で伝えたいことは何だったのだろう。自然、すなわち、どうしようもない脅威への畏怖、そして、「それでも人生って良いよね」という人生賛歌だと、私は思う。

 自然現象は、現在も尚、人類の理解が到底及ばない。もちろんわかってきた部分も多いけれど、まだ全然だろう。本作で題材にされている地震だってそう。私自身は、宇宙の広さを時折想像しては、恐ろしい気持ちになる。
 昔の人たちは、自然災害を蛇に見立てていた、と日本史の授業で聞いた気がする。太刀打ちできない自然を、せめて目に見える形にして、人類は気持ちを落ち着かせていたのかも。本作で地震の原因を「ミミズ」として描いていたのも、そういう人類の営みの描写なのかな、なんて思ったりした。

 ただその中で人間はもがいて生きている。長生きしてもしなくても、自然から見たら何も変わらないくらい些末な存在だろうけれど、それでも人間は、一日一日を必死に生きている。人それぞれに人生がある。そこに命のきらめきがある。
 すずめや草太が後ろ戸を閉めるとき、何人もの人の生活の声が聞こえてきた。閉じ師として人類を代表して、自然へのせめてもの抵抗をする上で、「一人一人が毎日を生きている」と思い出すことが、彼等にとって後ろ支えになったのかもしれない。

 最後のすずめの言葉。細かい言い回しは忘れたけれど「きっとこの先、貴方も人を好きになったりする、幸せな未来が貴方を待っている」といった意味合いの言葉。これは、本当に、私の心臓にぐさりと刺さる言葉だった。

 自然現象に限らなくても、それでもやっぱり、生きているとどうしようもない不幸に見舞われることはある。抵抗し得ないことに襲われて、哀しみに暮れ、まったく未来を考えられなくなることもある。自分の矮小さに耐えきれなくなりそうになる。

 でも、きっといつか幸せになれる。根拠はないけどきっとそう。命の一つ一つは、ささやかだけれども、燦々ときらめくことができる。本作で伝えたかったのはそういうことなんじゃないかと思う。

 
 何かを鑑賞したら、極力感想を書くようにしている。そうしないと流れていくだけだ。感じたことをしっかり血肉にするには、文章にしてみるのが一番いい。
 ついつい、他の方の感想とか、「あの描写はどういう意味だったのか」とかをネットで調べてしまいそうになるが、それは自分の感想を書いてからの方が良さそう。そうでないと、何かを鑑賞したときの、こころの動きすら、他者の影響を受けてしまう。それはとても寂しい。自分が良いと思ったものは良い、その裏も然り。それでいいと思う。

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