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結果行動なのかも、まじで。

最近「「行動」することを生活の最優先にすること」が一番大切なんじゃないかと思う。
そう思った理由について述べたい。

大前提に私は何かをやるに当たってまず行動するタイプではない。まず考えるタイプだ。
失敗が怖いし、成功する為に徹底的に調べる。調べた上でデータを集めるだけでなく、成功者から直接経験談を聞いたり、取り組むジャンルに関係した話を本題から多少ずれていたとしてもかき集めて頭の中で計画を練る。これは実際に人と会う場合もあれば、youtubeなどを中心に映像で見ることもある。
成功する為に必要な要因を導いた上で、失敗に繋がる絶対にやってはいけない決めごとを作るのが私の形だ。
ここまで聞くと計画を練って目的を目指す事ができる素晴らしい人間に聞こえると思う。しかし実際はというと、人一倍調べるので雑学王のように知識は増えるのに、後ろを振り返ってみると「自分が誇れる」「これは誰にも負けない」といったような要素が何一つ残っていないという現実が存在している。
何も残っていない今の自分がなにより嫌いだ。
この原因は私の「行動」に取り組む回数が少ないからだと感じている。

「行動」がなぜ必要なのか。私は2点理由があると感じている。
それは
「使う機会(アウトプットする機会)が必要」
「知識に何かプラスアルファがあることによって変化が生まれるから」
の二つだ。

まず一つ目の「使う機会(アウトプットする機会)が必要」に関して、これは単純に知識がパンパンにあっても、それを使う(アウトプットする)環境がないと、自分の知識として定着しないことが挙げられるからだ。

この「ラーニングピラミッド」を知っているだろうか。アメリカ国立訓練研究所から出された学習モデルのことであり、簡潔に言うと「人に教える事が記憶を最も定着させる」というものだ。
この表を見れば分かるが、下に行けばいくほど想起→アウトプットの回数が増えている。これは記憶の定着に最も重要なのは「繰り返し定着させること」であり、本当に大切な情報だと脳に認識させる事が大切になる。
繰り返しの刺激を脳に与える事を考えると、インプットよりもアウトプットをより重要視すべきなのだ。

アウトプットを私生活で行うとなると、切っても切れないのは人と出会う事だと私は考えている。得た知識を使う場面は決して人ではなく目の前のパソコンに対してでもでも良いが、単調な答えになってしまうのは想像に難くない。正しい答えが来て終わりであり、キャッチボール、すなわちアウトプットの連続性を生み出すことができない事が何よりの問題だと私は考える。
自分が予想だにしない返答や、相談相手が実際に経験した事例から与えてくれる学びはなによりもの財産になると思う。

行動が必要だと思うもう一つの理由「知識に何かプラスアルファがあることによって変化が生まれるから」に関して、私自身の経験から知識だけでは目の前の物事を変化させる事ができないと考えている。

これは一言で言うと、「知識だけでは何も集まらない」。どれだけ本を読んで学びを得たとしても、「知識」+「行動をして結果を得る」=「お金・人・価値が集まってくる」と考えている。
自分の経験上、知識があってトークスキルがあれば人間的にモテるし、いろんな人に求められるようになる。また、本当の自分以上の実力があるように見て貰えるようになるし、おもしろいやつだと捉えて貰う事ができる。
だが、人間的におもしろいやつだと捉えられたとて、相手から仕事的(スキル)な面で尊敬できると思われることはマジでない。また、自分と同級生or年下の仕事的(スキル)な面で尊敬できる人にあった時に、本当に自分の無力さにあきれて絶望する事になる。
何より、私が一番本当にやばいと思うのは、どれだけ人から連絡が来たとしても「これできる?」といった「目の前の壁に対する問題を解決する相談」に関連する事で頼られることが全くないことだ。
これは人間としての価値はあっても、存在する価値が非常に低い状態だと私は考えている。

行動すべきだと考える二つ目の理由を読んで、私が病んでるかもと思った方は心配しなくて良い。私は基本的にその日アホほど悩んでも寝たら8割方すっきりするし、本当に引きずったとしても3日間ぐらいのもんなのだ。
でもこれこそが大問題で、自分がやばい!変わらないと!と思っても次の日には忘れてる(熱量が減ってる)から、結果何も変わらない。これは本当に直さないといけないと感じている。
自分の得意分野である「人間的な価値」をより向上させる為にも、存在価値を高めるための行動が非常に重要だ。

以上から、私は「得た知識をアウトプットする機会を増やす事」と「自分の存在価値を高める」為に積極的に行動していく。

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