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センスが良くなる 街体験  銀座花伝MAGAZINE Vol.54

#センスが良くなる #街体験#ヘタウマ#日本工芸文化#柳宗悦#用の美 


ハナミズキのピンク色は、「薄赤紫」だという。銀座松屋通りに咲き誇る花びらを見上げながら、通りにあるお香専門店の主人がささやいた。

〜紫の ひともとゆゑに むさし野の 草はみながら あはれとぞ見る〜

「古今和歌集の歌ですけどね、紫が一本あるだけで、武蔵野の草のすべてが
いとおしく思われる・・・と詠んでいます。紫は、古代、最も高貴とされた色で、優美さ、神秘さを象徴する色でした。この歌を詠みますと、一つのことを好きになるとそれに関連することも好きになっていく、そんな思いが伝わってくるようです」

ハナミズキの赤紫からその縁につながるすべてに想いを馳せてみる。
不思議なパワーがある「紫」を、街の中に探してみたくなる、初夏の銀座である。

今号では、『センスが良くなる 街体験』と題して、街の中にセンスを探す小さな旅をお届けする。私たちが日頃何気なく使っている「センス」。あなたはどんな意味で、どんな場面で使っているだろうか。「センスが良くなる」方法はあるのだろうか。そんな『問』を抱きながら、日本文化の体験、老舗店主との語らいの中にその答えを発見していく。
銀座文化情報として、「深く味わう能の世界」能楽師・坂口貴信師と国文学者・林望氏の講座(セッション)企画(6/25)をご紹介する。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。






◆ センスが良くなる 街体験

プロローグ


「これには参りましたね〜 度肝を抜かれるセンスっていうやつですね」

歌舞伎座周辺のエンジュの木の蕾が、初夏を待って淡い黄色みをおびてくる五月。九世市川團十郎、五世尾上菊五郎の功績を称えて毎年催される「團菊祭七月大歌舞伎」の帰り道、古本屋の店主がそう声をかけてきた。
通りの斜向かいが歌舞伎座という、恵まれた立地にある古本屋「木挽書店」の小林さんである。
今から5年ほど前に店をたたんだ、江戸時代からの歌舞伎を中心とした芸能書などを扱う老舗・奥村書店の後を継いで独立した。7坪ほどの縦に細長い小さな店内には、歌舞伎、文楽など古典芸能、古い日本映画、落語、演芸に関する、研究書や役者の芸談集、江戸時代からの筋書(すじがき=公演プログラム)、錦絵、ブロマイド、果ては歌舞伎俳優の隈取りを絹布や紙に押し当てて写しとったグッズ、掛け軸などが所狭しと積み上げられている。歌舞伎座の幕間に芝居好きが芝居談義に訪れる名店だ。かつては、熱烈な漫画少年だったと笑う店主は、屈託のない明るさでいつも気さくに話しかけてくる。

その店主が惚れ惚れすると手にしていたのは、扱っている書物とは全く毛色の異なる一冊の写真集だった。タイトルにはこうある。

『YOKAINOSHIMA』ーIsland of Monster-

日本列島を架空の「YOKAI NO SHIMA」と名付け、秋田から沖縄の離島まで全国58カ所を取材して、日本の"YOKAI"を写真に収めたものだそうだ。
ヨーロッパ諸国の伝統的な祭りに登場する「獣人」をおさめた代表作『WILDER MANN』につづく、フランスの写真家シャルル・フレジェの2作目の作品集だという。

これはすごいなあ!
直観でそう思った。

田畑、山々、森林、海辺など、自然に宿る日本固有の仮面神や来訪神、鬼たち。鷲(島根県、津和野)、ガラッパ(鹿児島県、南さつま)、カセ鳥(山形県、上山)、早乙女(宮城県、仙台)、牝獅子(新潟県、佐渡島)、雄鹿(愛媛県、西予、遊子谷)など"YOKAI"にはそれぞれチャーミングな名前がつけられている。このほかにもナマハゲ(秋田県)、トシドン・(鹿児島県)、アマメハギ(石川県)、災払鬼(大分県)、裸カセドリ(宮城県)、水かぶり(宮城県)、女春駒(新潟県)、黒鬼(福岡県)、大太鼓の花からい(長崎県)、ボゼ(鹿児島県)・パーントゥ(沖縄県)など180体の"YOKAI"たちが、ワンショットずつ1ページの紙面いっぱいに写っている。

写真家によって「祭り」(あるいは「土着信仰」)という現実の人間の営みから切り離された"YOKAI"たちの姿は、奇怪で、美しく、力強い。「祭り」から切り離されてもなお日本各地の暮らしの原風景に息づく神々や鬼たち、生き生きとそこに在ることを知らしめるような力がある。脈々と受け継がれてきた自然への畏怖と歓びが、紙面全体に鮮やかに溢れ出ている。

シーンの切り取り方といい、鮮明な色のバランスといい、フォーカスの迫り方といい、この時しかないという刹那の美しさの極みがそこにはある、と感じた。



写真家のあまりに鮮烈な感性の前に、ひれ伏すような嗟嘆の感情が込み上げた。思わず愕然とした表情で顔を上げると、

店主はそれを「センス」と言い切った。

「言ってみれば海外の人が、日本人の原初の祭りから神様(="YOKAI"妖怪と呼ぶ)だけを切り取って、ただ並べただけの本です。私思うんですけどね、理屈抜きでひとページめくっただけで、異界へつれて行ってくれる、こういう作品こそセンスが高いっていうんじゃないですかね」

店を出てからというもの、店主は何を以て「センス」と断言したのだろう、筆者の胸に迫った感情の発端は何なのか、それが妙に気になり始めた。
「切り取って、ただ並べただけ」その言葉が耳から離れなくなった。

銀座という街で体験した「センス」にまつわるお話をもう少ししてみよう。




🌟センスのある扇子が生まれる

七夕も過ぎて、いよいよ夏本番を迎えようというある日のことだ。

それより少し前にあるデパートから、「海外の人に、銀座で日本文化を創る体験をさせたい」という相談があった。この街には、減りつつあるとはいえ大小合わせて50軒に近い老舗が営業を続けているので、日本文化を継承する老舗を見つけることは難しくないのだが、さて、「日本文化を創る」となると、いささかハードルが高くなる。創ると言うからには、客が自らの手で生み出すという要素が不可欠だからだ。

思案した結果、「扇子」を創る体験ができないか、とある扇専門の老舗に話を持ち込んだ。
店の名は「宮脇賣扇庵」。創業は文政6年(1823年)というから200年を超える工芸の老舗である。美濃国出身の初代が、近江屋新兵衛の株を買い受けて創業した。その屋号は、書画をたしなみ、文人墨客とも深い交流があった三代目新兵衛のとき、明治20年(1887年)、日本画家・富岡鉄斎により、賣扇桜という京の銘木にちなんで名付けられたと伝わる。 商標の美也古扇(美しきなり、いにしえの扇=みやこせん)は和歌の宗家、冷泉家21代、冷泉為紀(れいぜいためもと)の筆によると言うから、錚々たる文人墨客との幅広い交流を扇づくりに生かしてきた歴史がうかがわれる。

扇子は、長い時を経て完成に至った日本の美意識の集大成である。細かく数えれば80以上に分けられるというその製造工程は、すべて受け継がれた職人技による手作り。老舗店内には、舞扇や夏扇、茶扇子、飾扇や檜扇など、あらゆる京扇子、貴重な古扇の資料や芸術品なども多く、訪れる人の美意識を刺激して余りある。

畳んだ扇骨の表情も美しいが、拡げた時の折骨に沿ってなだらかな凹凸を描く和紙の風合いに、心が踊る。さらに閉じて、拡げて、扇いで・・・その変化の中に表出する美や、機能美と言ったら。

しかし、日本美の集大成と称されるこの日本工芸を素人が体験するとなると話は別。どの工程を見ても実際やるとなると、なかなか難しい。
そこで、言ってみれば扇子にとってのお披露目感の最も豊かな、拡げたときに目の前に広がる和紙に絵柄を描くことならば、可能なのではないかと相談したところ、お客様が描いた和紙を職人の手により本物の扇骨に貼り付け、扇子に仕上げる、ということはできそうですよ、と老舗から提案があったことで、ようやく話がまとまった。


京趣扇(宮脇賈扇庵)初夏


扇子に絵を描く、世界を描く

企画への参加者募集が始まって、すぐに10名の外国の方からお申し込みがありました!と担当者からの連絡を受けて、名簿を見て驚いた。中国の方をはじめとするアジア圏が8人、アメリカ人が2人、その辺りは予想通りだったが、驚いたのは全ての申込者が20歳代の男性だったことだ。もちろん、一人一人個人参加の人たちである。

どんなルートで日本のデパートの「日本文化体験」に申し込むことになったのか、その背景に興味があるところではあるが、ひとまずそれは置いておくとして、その体験の場で浮かび上がった、「センス」について話を進めてみたい。

「宮脇賈扇庵」の扇子マイスター増田さんに、「扇子」とは何か、扇子の美の見所などについてまず講話をしていただく。参加者の半分は日本語が分かる方々だったが、残り半分の分からない参加者のために英語通訳をつけた。

和紙の絵柄については、典型的な季節感を動植物で表したもの、四季の風物詩を描いた風情のあるものなど、日本文化の象徴とも言える描き方の例をいくつか本物の扇子を用いながら説明されていく。

例えば、夏の季節だと、露草や蛍があしらわれることが多い。ひゅっとした伸びやかな青葉に留まる黒光した蛍から放たれる光の構図などは、日本の夏の象徴だ。

大概の人々は、そうした見本の絵柄からいくつか選んで、気に入った一点を写すことから始める。まずは模写からと学校で習った名残だろうか、芸術の王道を行こうとされるからだろう。

そして、「上手い絵」を描こうとする。
「上手い絵」とは、対象とそっくりに描くこと、だと考えている方が多いのも事実だ。写真に撮ったように描ける、まるでコピーのように描ける、が「上手い」の定義になっているからだ。
しかし、そうは言っても、写真のようなものだけが「上手い」わけではないと思っている人々も少なくないようだ。例えば、日本人に人気のある、モネやゴッホの絵は、写真のようではなく、個性的な味がある。モネ代表作「睡蓮」などを観ると、散らばったタッチが組み合わさっていて、ものの輪郭などははっきりしていない。ゴッホの描く建物などは、歪んでいるし線は波打っていて、まるでエネルギーが充満しているような表現だ。

とはいえ写真的な再現性=「上手い」という価値観は、やはり世間では大変根強いということがいえそうだ。絵筆を持つと、多くの人たちが強力にその方向、つまり再現性をメインにして絵を描こうとするからだ。


上手く描かない

ところが、その扇子作り体験において、こうした思い込みとは異なる方向で参加者が少なからずいたことに、驚かされた。

多くの参加者が鉛筆で下書きをする。その青年も最初は“再現”を試みているように見えたが、直ぐに筆をおいてしばし考え込む。その内に、和紙を手に持ち表面をなで始める。それから裏返したり、紙の弾力を確かめるように両手を持って折れる寸前まで曲げてみたりするなどして形状を楽しんでいる。まるで和紙で遊んでいるようだ。と思ったら、顔に近づけ香りを嗅いでいる。

それからおもむろに、筆を取って古典的な千鳥(見ようによっては手裏剣)図柄のように見える形を描き始めた。その形が小さくなったり、大きくなったりして、それはまるで、千鳥が山の向こうからこちらに向かって羽ばたいて来ているようにも見える。一つ一つ手描きされたその形は、整っていないし、時に筆の毛先のばらつきなども加わり掠れている。
その絵の中心には、紫を含んだ暗い青藍色と古代の藍染めの渋い藍色・次縹(つぎはなだ)が濃淡に重なり合い、輪郭もにじんだ雲形が描かれている。右下と左下には薄浅葱(うすあさぎ)色がそれぞれ一つずつ円く塗られている。よく見ると、その水面から古びた杭がひょい、ひょいと頭を出しているかのように、あるいはかすかに紅がかった淡い空色・紅碧(べにみどり)が、散っているかのように描かれている。

はっきり言って、一つ一つの要素は子供が描いたように素朴で拙い。なのに、絵の中に世界がある。
この「世界を感じさせる」ー というのが「センス」の発露に繋がっているのではないか、ここでそんな発見をして嬉しくなった。


ヘタウマだから、いい


見つめ続けているうちに、そうあのピカソを思い浮かべてしまった。

西洋の美術史などを辿ると、一般的には、20世紀初頭から1960年代まではモダニズムの時代、1970年代以降はポストモダニズムの時代と言われている。19世紀までの「意味やメッセージ、物語」を伝えるものから、「その存在自体に面白さ、存在意義」があるという流れが生まれたことがそれに示されている。より自由に音や形を構成していくようなうねり「モダニズム」は、その頃から「意味から離れた」作品に内蔵する存在の面白さ、が追求されるようになり、後期のピカソの絵はその中にあるという。

これがいわゆるあの「ヘタウマ」というものなのか。

センスは、ヘタウマに発芽するーそんな発見が胸を高鳴らせた。


センスの発見

「扇子を創る体験」は、好評の内に終わった。

出来上がった和紙を京都の職人に送り、扇骨と合わせる工程を施すことになる。骨作りと言われる工程で若い竹を仲骨に薄く細く加工し、親骨(扇子の両側の太い骨)には彫細工や塗り工程を施し、要(かなめ)の部分で束ねることにより、まずは扇子の土台が出来上がる。
和紙(の部分)は、本来は3枚重ねで職人がそれぞれに上絵を描くのだが、今回は一番上になる絵は参加者の作品を使い、無地の和紙2枚を添える。和紙を渋引きした型紙2枚で上下から挟み蛇腹状に折り目をつける。

最後の仕上げ工程では、わしの折り目の部分に仲骨が通るように息を吹き込み、水糊をつけた仲骨を差し込み接着する。親骨は熱して内側に曲げて紙を接着し、形を整える。

こうして扇子が出来上がる。随分とざっくり工程を説明してしまったが、一本の京扇子が出来上がるまでには、実際には88の工程を経るという、大変綿密な作業である。


それぞれの参加者宛に出来上がった扇子が送られた。担当者から、「とても皆様喜んで下さって嬉しいです。他ではなかなかできない体験と評価を頂きました」と連絡が届いた。

今回のお礼を伝えるために職人に直接お電話を差し上げた時のことである。
かなりアバンギャルドな絵柄も多かった今回の作品たちに、張り合わせなど仕上げる工程でご苦労があったのでは、と恐縮しながら伺うとこんな言葉が返ってきた。

「直観的な絵柄に出会えて、とても楽しかったですよ。私どもはどうしても、長年培った和歌の世界の再現に拘ってしまいますが、こうした自由な表現に出会うととてもワクワクします。絵に凹凸があって、強弱があって、いやー勉強になりました」

200年の伝統を支える扇子職人は、どこまでも謙虚で、変化を厭わない人たちだった。


美也古扇 京扇子(宮脇賣扇庵)



🌟直観に生きる ー下手を生み出すセンスー

老舗扇子職人の話の中で気になった「センス」に関わるキーワードがあった。

直観的な絵柄」
「自由な表現にワクワク
「絵に凹凸強弱がある」

これが、「センス」を開花させる要素なのかもしれない、そんな予感がしたからだ。

銀座8丁目の見番通りを新橋方向に100メートルほど歩くと、出世街道に繋がる小路に出会う。見過ごしてしまうようなその小路を右手に入ると、小笹寿しの白い暖簾が揺れている。カウンターだけのこの小さな店は、ミシュランの星の話があったときに、常連さん優先を理由に掲載を断ったという曰くのある名店だ。知る人ぞ知るこの小路には、他にもビストロ「カシュカシュ」がある。店名の由来がフランス語で「かくれんぼ」というだけあって、その料理はどこか秘密めいた創作感にあふれていて、15席の店内はいつも満席だ。そして、創業115年になる浮世絵の専門店「渡邊木版美術画舗」の店内に並ぶ、北斎ブルーを横目にしながら並木通りに出ると、目指す老舗はもうすぐである。

直観の栖(すみか)

外堀通りに沿って、間口の広いその店先には民藝の器や生活用品がところ狭しと並んでいる。美の思想家・柳宗悦の店「たくみ」には、国内はもとより海外からの客も多く、店内はいつも賑わっている。「用の美」を見出した人物の空気感に少しでも触れようという人々が足を運ぶ「聖地」である。

豆知識:柳宗悦(やなぎ むねよし)

美術評論家、哲学者。学習院高等科在学中に武者小路実篤、志賀直哉らを知り、文芸雑誌『白樺』の創刊に加わる。東京帝大文学部哲学科を卒業。朝鮮陶磁器の美しさに魅了されるとともに、無名の職人の手による工芸品の美を見出す。大正14(1925)年に民衆的工芸を意味する「民藝」の語を作り、民藝運動を開始。数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集、旺盛な執筆活動を展開していった。昭和6(1931)年雑誌『工藝』を創刊、11年に日本民藝館の初代館長に就任。32年文化功労者。妻は声楽家の中島兼子。


小鹿田焼 茶碗



下手物好きー柳宗悦の美意識の真髄 


意外かもしれないが、柳宗悦が追い求めたのは、実は「下手」(げてと読む)だった。下手物(げてもの)とは、ごく当たり前の安物の品を指して使う言葉である。
宗悦は、それまで美とは関係のないとされていたものをこそ各地に探し求めたのである。鄙びた村はずれにある荒物屋までも訪ね歩き、「下手物好きの旦那さん」と呼ばれながら、店奥に眠る器を掘り漁り発見した。粗末に扱っていた荒物屋の店主が埃を払って恐縮しながら宗悦に手渡すと、それはそれは嬉しそうに抱きかかえて店を後にしたという逸話が残されている。

その越後の山村での出来事について、自ら次のように書き留めている。

「塵に埋もれた暗い場所から、ここに一つの新しい美の世界が展開せられた。それは誰も知る世界でありながら、誰も見なかった世界である。」
        ー 「下手もの・美」1926年 越後タイムズ 宗悦37歳ー

利休以上の審美眼を持つと言われた宗悦が収集した品物は、日用の雑器だった。それは、名もなき工人たちの手によって生まれた、民衆的工芸、後に「民藝」と呼称される器である。数多(あまた)ある同類の民芸品の中から、自らが直観した物のみを手に取り、収集し続けた。

『「民藝」が美しいのではなく、「民藝」は美しいものが生まれる土壌だ』と唱え続けた美意識。

自らの「直観」を頼りに、朝鮮陶磁や木喰仏、日本の民藝などに次々と美を見出した。この前人未到の業績を成し遂げた宗悦は、「直観とは文字が示唆する通り『直ちに観る』意味である。美しさへの理解にとっては、どうしてもこの直観が必要なのである。知識だけでは美しさの中核に触れることが出来ない」、そして「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事である」と述べている(『直観について』、1960)。

自らの思い込みを排して「直観で物を見なさい」ーそのことを伝え続けた思想家だった。


岐阜・髙山 春慶塗 宗閑盆


日常に生きるエピキュリアン

柳宗悦の店「たくみ」を切り盛りする店主・野崎潤さんは、先代社長・志賀直邦氏から4年前に店を引き継いでいる。先代は、志賀直哉の甥にあたり、白樺派や民藝の人々に囲まれてその最盛期を生きてきた。それを引き継いだ現店主は宗悦の創業の魂をどのように受け継いでいくか、そればかりをいつも胸に経営していると話してくれる。

筆者が企画した散歩ライブで、その野崎さんからこんな話を聴くことができた。

「柳の手仕事の『美』への審美眼を自分たちも身につけながら、職人たちが真の物を創るお手伝いをする。買い手は正しい品が欲しく、品物はいい買い手を求めている。活き活きした健やかな手仕事を発見し、買い手に届ける。「たくみ」はこの仲立ちになる役を背負って創業された店です」

そんな紹介の後に続いた話は宗悦の等身大の姿についてだった。

「民藝の理論などを聴くと、難しい美意識と誤解される方が多いので申し上げますと、宗悦は決してミニマリスト(必要最小限のもので生活するスタイル)ではありませんでした。

日本全国や台湾、韓国を旅する「足で考える」人でしたが、「工藝のユートピアを作るんだ」と静岡のいちご畑の真ん中に家を移設したり、地方独自の料理を探し琉球料理や台湾料理に舌鼓を打ち、酒は呑まず甘いものには目がなかったという面もあり、各地の甘味を丹念に味わい、その記録も残しています。そこから京菓子やへこし(福井県の郷土料理)に強い関心を持った時期のあることも分かります。

日々の暮らしを大切にする姿勢は、ファッションにも現れています。宗悦だけでなく、濱田庄司や宮本憲吉、河井寛次郎らのいわゆる民藝同人たちのファッションセンスは当時群を抜いていたようです。そのセンスは、宗悦を介して志賀直哉に会いに出かけた小林秀雄にも影響を与えたといいます。
戦後すぐ、まだ円が安い時にヨーロッパを旅した宗悦は、ロンドンのボンド・ストリートで服地を買い求めていたほどなんです。

 気難しい面もあり、いつも考え事をしている姿は、兼子夫人にとっては自己中心的と捉えられ、家庭では人気がなかったことも事実ですが、そうした人間味も含めて、信仰や宗教的な諸テーマに思いを巡らし読書、思索に余念がなかった姿、民藝の美に感動し、それらを縦横に用いて日常を楽しむエピキュリア(人生を楽しむ人)として日々を生きていたのだと思います」

店主に、不躾ながらセンスって何なんでしょうね、とそんな曖昧な質問をしてみた。

「私はセンスというのは、“直観的に分かる“ことで、いろんなことにまたがる総合的判断力のことじゃないかと思うんです」

そして、続けて、

「私たちは、作り手に対しては観る者です。作り手が、発起し材料を集めて組み立て、そして仕上げていくという過程に目を向けられるかどうか、そこがセンスの入口だと思っています。そこまで想像して物を選んでいく、そこが大事だと思っています。」とはっきりとした言葉で話された。

「直観」とは辞書によると、「感覚」と「思考」を結びつけることだと説明される。宗悦が培ってきた直観を知ると、その意味が具体的にイメージできるようになる気がした。



🌟センスが良いということ

改めて「センス」とは何だろうか。

その問に答えるために、まずは簡易な辞書(ウイズダム英和辞典)でその定義を調べてみると次のようだ。

■(生まれながらの)感じる「知る、わかる、判別する」力、心、感覚

では、英語において最大の権威ある辞書「オックスフォード英語辞典」ではどうだろう。


■・とりわけ直観的な性質で、ものごとを正確に知覚し、識別し、評価する能力。
  
  ・特定の事柄、活動領域などに関する直観的な知識または能力。特定の状況においていかに振る舞うべきかの直観的知識。(服のセンス、色のセンス等に使う)

  ・抽象的な概念、とりわけ高い価値を持つとみなされているものに関する知覚や観賞の能力。(ユーモアのセンス、等に使う)


では、Chat GPT に同じ質問をしてみよう。

■センスは、人が美的な感覚や判断力を持っている能力や傾向を示します。一般的には、センスの良い人は、デザイン、ファッション、芸術などの領域で優れた判断を行い、美しさや調和を感じられる傾向があります。センスは主観的な要素も含んでおり、個人の好みや感性によって異なる場合があります。しかし、一般的には、バランス感覚や色の組み合わせ、素材を適切に判断する能力がセンスと云われています。


私たちが通常何気なく使っている「センス」という言葉を辞書によって因数分解してみると、共通に「直観力」「判断力」ということがその概要だと分かる。

これまで、「扇子」「うつわ」を通じて発見した「センス」の発露。具体的にセンスが良くなる道筋が見えた気がして、少し昂然たる気分になった。


凹凸とリズムがある人

木挽町の古書店には今日は一人の客もいなかった。店内を覗くと、店主が手招きしている。

せっかくなので、この間の写真集のお礼を言いながら、実はあれから「センス」についていろいろ考えてみたんですよ、と語りかけてみた。

「あの本から、それほどの触発を受けてくださったんですねー。ご紹介冥利に尽きますよ。お話しして良かったです。」

と満面の笑みを浮かべながら、通路に置かれた小さな丸椅子を勧めてくれた。そして声を少し潜めて、

「実は、あの写真集に『土地の鬼や神様のことを化け物だと言うなど、言語道断!』 と苦言を言うお客さんもいらっしゃるんですよ。どうしてですか?とお尋ねすると、その方は  YOKAI妖怪=化け物と受け取ったとおっしゃる。最初の言葉の印象が強いのでしょうね、一度思い込んだら、いくらお話ししても思い直すことはされませんでした。やっぱり、あの写真集のような物事を抽象化して表現する作品というのは、分からない人には分からない、そんなハードルのようなものを感じますね」

と苦笑された。

「とはいえ、やっぱり私にとって、あの本は最高のセンスの本です。
特に感じるのは、表現に凹凸があって、リズムの強弱みたいなものがあるんですよ。ほら、印刷物は2次元ですから、平面的に感じるのは普通なんですけれど、あの紙面からは3次元を感じる。そこには、リアルでしか鑑賞しようのない「音」なんかまで聞こえてくるような気がします。

仕事柄多くの歌舞伎の役者さんにお会いしますし、芸を直に観ることも少なくないのですが、色々な方がいて見た目はそれらしいのですがどうしても観客に演技の勢いみたいなものが伝わって来ない人がいる。そうかと思えば、坂田藤十郎や尾上菊五郎、中村吉右衛門らみたいに、地響きを感じるような芝居をされる方もいます。

どこが違うのかなーとよく考えるんですが、芝居に『凹凸とリズムがある』、そこが一番違う気がします。あえていえば、そこがセンス、と言うことでしょうかね」

そういえば、宮脇賣扇庵の職人さんの話の中にも、同じ言葉があったことを思い出した。点と点を繋いで思考を線にできる人は、物事を捉える道筋が見え、対象を深掘りすることができるようだ。捉え方や視点も直観的選択する作業ができる人たちなのではないだろうか。そんな人々との会話から、段々と筆者の中で、「センスの哲学」が膨らむ実感を覚えた。

 

エピローグ

センスの良し悪しは、生まれもった才能である、と言い放つ方も多い。あるいは、環境、つまり小さい時からの積み重ねに左右されるもので、育ちの良さに結びつけられ、文化資本の豊かな家庭に育てば備わるもの、と身も蓋もない言い方をされる人もいる。ただ筆者は、その部分があることを否定はしないが、特に文化資本については、人生の途中から形成することはいくらでもできると考えている。いや、そうであって欲しいと願っている。

大人になってからでも、量を積み重ねる中で判断力のポイントを学び、そこから更に量を積み重ねて判断の質をアップさせていくことができるはずだ。

絵画でも音楽でも書物でも、芸術的なことから生活の暮らし方などにおいても、何かに対峙するときに、「直観」で捉えることを心がけ、対象の中に3次元の要素「凹凸」「リズムの強弱」を発見してみる。そこに、ヘタウマを見出す。

それを積み重ねるだけでも、大いに「センスを磨くこと」になりそうだと思うのだ。

                                   


◆ 銀座文化情報

🌟深く味わう能の世界 

〜『道成寺』の背後にあるもの〜 築地本願寺銀座サロン講座

重い習いの名曲『道成寺』を、一つは国文学者の立場から文学の側面を腑分けて解説すると同時に、演者・能楽師の立場から実演を交えて、演能に当たっての心と技について語る。「能の魅力を深掘り」セッションをお楽しみ下さい。

と き:2024年6月25日(火)14:00〜16:00
ところ:築地本願寺銀座サロン(会場参加&ライブ配信あり)

【講師】
坂口貴信
(さかぐち たかのぶ):観世流シテ方能楽師
昭和51年福岡市生まれ。東京藝術大学邦楽科卒業後、二十六世観世宗家に入門、平成22年独立。重要向き文化財総合指定保持者。令和6年第31回福岡県文化賞。令和6年9月21日「坂口貴信独立15周年記念」三人の会特別公演『道成寺』公演を予定。

林望(はやし のぞむ):作家・国文学者
元東京藝術大学助教授。各流の能楽公演において解説講演多数。『謹訳源氏物語』『謹訳世阿弥能楽集』等著書多数。通称「リンボウ先生」。


能楽百番「道成寺」

【あらすじ】紀伊の国、道成寺では、春爛漫のある日、再興した釣り鐘の供養が行われることになった。住職は、訳あって女性が来ても絶対に入れてはならぬ、とお触れを出すが、一人の白拍子の女が供養の舞を舞わせてほしいと寺男(能力〔のうりき〕)に頼み込み、供養の場に入り込む。
女は独特の拍子を踏み、舞いながら鐘に近づき、ついに鐘を落としてその中に入ってしまう。
ことの次第を聞いた住職は、道成寺にまつわる恐ろしい物語を語り始める。それは、昔、真砂(まなご)の荘司(しょうじ)の娘が、毎年訪れていた山伏に裏切られたと思い込み、毒蛇となって、道成寺の鐘に隠れた男を、恨みの炎で鐘もろとも焼き殺してしまったというものだった。
女の執念が未だにあることを知った僧達は、祈祷し、鐘を引き上げるが、鐘の中からは蛇体に変身した女が現れる。争いの末、毒蛇は鐘を焼くはずが、その炎でわが身を焼き、日高川の底深く姿を消していくという物語。

【能舞台のみどころ】

道成寺は、能のなかでも大曲のひとつである。
この曲の見せ場のひとつである乱拍子(らんびょうし)は、シテと小鼓で演じられ、15分ほども両者の息使いだけで間を合わせ、続けていく難所である。この場では、小鼓はシテに向かい合うように座り直し、集中した世界を創っていく。他に、特殊で華やかな囃子の手も多く、道成寺ならではの見せ場がたくさんある。
最大の山場ともいえる鐘入りは、落ちてくる鐘に、シテが飛び込む大変危険な演技である。鐘はとても重く、タイミングが合わないと、大きなケガを負い、死に至るような危険もはらんでいる。鐘入りで鐘の綱を手放す「鐘後見(かねこうけん)」は、シテに次いで重い役割といえ、力量のあるベテランが務めることになっている。
後場への面・装束の付け替えは、シテが鐘の中で、たったひとりで行う。後見なく、ひとりで装束替えを行うものは、現存する曲では道成寺ただひとつだと言われている。そのほか、シテは、鐘の中で、地謡に合わせて鐘を揺らす、鐃鈸(にょうばち)を鳴らすといった特殊効果を務めなければならない。
「道成寺」は、鐘にまつわる物語であり、始め鐘後見によって鐘が吊り上げられ、曲中、鐘入りがあり、また鐘楼へ戻るといった具合に、ある意味、鐘が主役を担っている。一般に、舞台を水平に使う能の中で、「道成寺」は、空間の垂直性に目を向けた、新たな試みに挑戦している演目である。

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◆編集後記(editor profile)


「センス」の言葉を深彫りする中で、思い出したのはピカソの「海辺の母子像」(1902年油彩)だ。
この作品は、ピカソの「青の時代」の代表作であるが、観る者によって多様な解釈が浮かび上がる作品としてとても有名である。

ポーラ美術館で実物を見た時の驚きは今も忘れられない。
スペインに生まれたピカソは、親友カサへマスの死をきっかけに、生と死、貧困といった主題に傾倒する。画家の心象の変化を映すように、その絵画からは明るくあたたかな光と色彩が消え、しだいに青い闇に覆われていく。
ピカソ20歳のこの作品は、その後の「青=ブルー」といえば、空や海の連想から純粋さ、静けさというイメージから「憂鬱」「不安」「メランコリー」を併せ持つイメージの宝庫となっていったのだ。

作品を観た人の視線、感覚、感情を多方面から惹きつける理由はその点にあるらしい。

筆者の驚きの理由はもう一つあった。
青い波が打ち寄せる浜辺に佇む母子のその作品の「質感」である。これは画集では分からない、実物ならではの衝撃と言っても良い。
一見平坦に塗られているように見えるこの絵に近づくと、実際には所々に絵の具がぶ厚く塗り重ねられ、迫力ある重厚感の秘密はこれだと実感した。その場にいらした学芸員に伺うと、「この絵の下には別の絵が描かれていたようです。透過X線調査で分かっているんですよ」とのお話。

何層にも重ね塗られた絵の具の奥底から、作家の心象を辿るような「叫び」の声を聞いたのは思い違いではなかったのだ。
「この作品はすごいなー」と衝撃を受けた『直観』と、作品の凹凸の中に、『リズム』を発見した瞬間だった。

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           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊


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