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銀座花伝MAGAZINE vol.8

# いつも、これからが本舞台  祈りの能に懸ける 能役者 坂口貴信

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ようやく歌舞伎座の公演が再開し、緊張の中にも、少しずつウィズコロナの新しい生活スタイル第2段が始まりました。銀座の経済も縮小傾向が続くものの、老舗専門店の名品を集めた「銀座玉手箱」が皆様の応援で完売したという嬉しいニュースに勇気づけられます。そして、観世能楽堂の舞台にも灯が燈ります。「世の中が戦災や災害で疲弊した時こそ、文化の底力を見せたい」力強い能役者の覚悟がそこにはあります。銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。

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能の美意識に幼い頃から慣れしたしみながら「日本美」を語り続け
た白洲正子が、能の未来について「これまでの限られたパトロンが
所有物化する時代は終わり、私たち観賞家自身がパトロンの時代を
迎えたのです」と高らかに宣言したのが、第二次世界大戦真ただ中
の時でした。(「お能」白洲正子著1943年)
世の中がモノ中心から「感性」の進化の時代に移り、能楽に観賞の    喜びだけでなく、人間性の成長や学びの楽しさを体験したり、感性
が磨かれる幸せを享受しようとする人々が増えています。
観客が変れば能舞台も変る。
テクノロジーが進んで生まれる斬新なメディアによって益々拡大す
る個人の時代。素敵な「日本文化のパトロン」になるための、ひと
りひとりの感性の旅が始まっています。
能のさらなる「進化」もこれからです。
観客に、斬新な驚きにあふれる芸で至福の時間を届ける、観世流シ
テ方 坂口貴信師。700年の歴史を紡ぐ能の未来を担い、異次元の
芸を磨く心情、未来の能のイメージを創ろうとする挑戦について伺
うインタビューの第3回目(最終回)をお届けします。



◆「能のこころ」特集 坂口貴信インタビュー第3章

M8能楽堂青空

1  名人からの学び—壁を飛び越える瞬間— 

     

壁としての「披き」(ひらき)

ここ一番の大曲を演じることを能では「披き」(ひらき)といいます。
「披き」とは、能楽師が節目の習い(ならい)として、特別に伝授を受けなければ上演が許されない曲・演技・演出のことを指します。「披き」を無事に済ませることで能楽師の立場も一段上がってみられることから、この習いには技術的にも精神的にも高い水準が求められます。つまり、特定の難曲や大曲にしか用いないこのシステム、修行の成果を披露する大舞台のことです。披きに選ばれる曲は限定されています。シテ方にとっては、「石橋(しゃっきょう)」「道成寺(どうじょうじ)」「乱れ(みだれ)「翁(おきな)」「安宅(あたか)」「砧(きぬた)」などが「披き」の代表的な曲です。


▪️壁は「できない自分」、それとの闘い

厳しい稽古を積んで行く中で、能楽師が基本的なことに習熟してくると、突然、自分の実力ではできそうもない大曲をやれ、と師匠から命じられます。「断崖絶壁に立たされる」瞬間とでもいうような、次元の違う困難を突きつけられるのです。謡おうと思えば謡えるし、舞えといわれれば型をなぞることができるが、自信がない。「できない」自分が増幅する中で、超えなければならない壁がどんどん高くなり、「披き」の当日が迫って来ます。
そんな追いつめられた状況の中での本番。この余りある緊張感の中、一体どのようにその壁を越えて行くのでしょうか。その日は、ある日突然に「飛び越える」感覚で訪れるといいます。


M8燃える夕陽


これまで「道成寺」を(2013年、2019年)はじめ数々の大舞台を踏まれてきた坂口貴信師。壁を飛び越える瞬間までにどんな心情が生まれ、自分との闘いに挑んでいかれたのか、本音のお話を伺いました。


—「披き」を披露するためには、選ばれた者だけに許される「稽古」を授かるということがあるのでしょうか。

「初演の『道成寺』を勤めたときのことを例にしますと、1年6ヶ月前くらいに観世ご宗家に呼ばれ「道成寺の披き」を許すと云う告知を受けました。披露する場が「正門別会」といって、観世ご宗家が主催する会、つまり観世の流儀を揚げての舞台の場でしたので、それは大変なプレッシャーでした。既にそのときまでに、観世ご宗家直伝の修行を内弟子時代に8年する中で、先輩の能楽師の方々10人ほどの稽古に立ち会っていましたので、謡や舞の技術的なことは大まかに分っているのですが、さてこれからが本気の修行の始まりです。ひと通りの事は分っていても、舞台が決まってからの数ヶ月で構築できるほど甘い世界ではありません。」


▪️「秘事口伝」を授かるということ

「諸先輩、同輩との稽古の際に、お囃子のかけ声、舞、乱拍子の足使いの他、いろいろな流儀の所作を猛勉強します。その上で、実際の能舞台に即した稽古に参加することによって芸の蓄積がされて行く訳です。そして、その下地ができてもなお、身につけるべき次の段階が待っています。

教えを受けなければ絶対にできないことがある。
それは世阿弥が口伝で伝えた、「美の達成」とでもいいましょうか。
『秘事口伝』を体得する ー これが最も大切な最後の稽古です。

『披き』を勤める、とは実は『秘事口伝』を体に授かり、しみ込ませ能舞台で本番を披露することに他なりません。」


伝説の一枚  能「船弁慶」 シテ方 坂口貴信

M8船弁慶 2

                            ©️駒井壮介                                                                                                            


▪️そして、壁を飛び越える


ー 初心忘るべからず(しょしんわするべからず)ー
              「花鏡」(かきょう)奥の段より

世阿弥の有名なことばですが、「初心」とは真っ新な生地に、始めて刀(はさみ)をいれる心情や、立ち向かい方を示しています。世阿弥は、その『初心』の心境に飛び込ませるために「披き」(ひらき)のシステムを創ったと云われています。 

「古い自己を裁ちきり、                               新たな自己として生まれ変わらなければならない」

と説き、「初心」の精神を能の中に仕掛けました。つまり、「古い自己イメージをばっさり裁ち切り、次のステージに上がり、そして新しい身の丈に合った自分に立ち返える、その繰り返しこそが芸の達成である」と。世阿弥はこれを「時々の初心」(じじのしょしん)と云いました。


—プレッシャーで平常心を失った経験はおありですか?

「それは初めて「道成寺」を披く舞台を控えた「申合」(もうしあわせ、いわゆるリハーサル)でのことです。師匠から「緊張感のある舞台でなければならない」「稽古通りにやらなければならない」など数々の指導をいただき、それで頭がいっぱいの状態。装束をつけて橋掛りから舞台に入り最初に謡を謡うとき、息があがって体が堅くなって、上手く謡えない、そんな状況になってしまったんです。
これは、能楽師として憧れていた「道成寺」を今自分は勤めているのだ、と云う圧倒的な現実に興奮してしまい、気負いで体が堅くなる状態、体がいうことを効かなくなった、と云うことですね」


▪️自分が自分を観ている


—壁を越える境地、どんな景色がみえましたか?

「当日の緊張は想像を絶するものでしたが、不思議と冷静でいられたのです。これから「道場寺」を共に創り上げようとする舞台上の先生方、囃子方、地謡、楽屋の方々、そして能楽堂に足を運んで下さったお客様、私の出番を創って下さったすべての皆様の緊張感の方が自分の緊張感より遥かに上回っていると感じた途端、周囲は静寂に包まれました。

舞台上で自分が謡を謡うのを聴いています。
自分が演じる「道成寺」を他の自分がどこかで観ています。
集中の先で覚醒している自分がいて、その自分がひとりの観客として、舞台にいる自分を観ています。

これは正に、世阿弥の「離見の見」を体現したと云って良いと思います。
「披き」という特別な舞台は、能楽師として世阿弥の芸の到達に近づくばかりか、否到達するからこそ、観客までもが一体となって異次元空間を作り上げることが可能なのだ、と体感した自分にとって歴史的な瞬間でした。


M8 青花2サイン入り


topics/ 名人の教え 「能の感性」—白洲正子—

「すべての美意識は世阿弥から」と文化人としての信条を能に求め続けた、白洲正子は4歳のころより華族だった父愛輔の勧めで観世流シテ方能楽師2世梅若実(1878-1959)の元で能を習い始めることになります。当時から愛読書は世阿弥の「花伝書」だったという正子は、ある日稽古の際、「花伝書」をたずさえて梅若実師匠を訪ねます。
生意気盛りの正子は名人の名言聞きたさに、『この本をお読みになったことがありますか?これこそ真の芸術論ですね』などと師に尋ねます。


「いえ、そういう結構な書物があることは聞いておりましたが、まだ拝見したことがありません。私なぞが拝見して分りますでしょうか」

この言葉を聞いた瞬間、正子は、自分の無神経さに恥じ入ったといいます。                           「梅若実聞書」 白洲正子著(お能/老木の花)所収より 


名人から実際の【稽古で授かった極意】は次の様な教えでした。

「・・・すべての事に盲目とならぬかぎり能の完成はおぼつかない。さぐり、さぐり、触感一つで決めて行く。覚えて行く。手でモノを持たず、指さず、腕でするというのも同じこと。扇は手に握る物ではなく、既に肉体の一部である。」

このことで、芸と魂の中に生きるとは、厳しい稽古によって、次の世代へと引き継がれて行く、ひとつの「感性」だと気づいた、と正子は述べています。


M8雲海



▪️こじ開けてでも観たくなる

日本神話に、芸能の祖の伝説として、天鈿女命(アメノウズメノミコト)の踊りの話があります。岩屋に隠れた天照大御神(アマテラスオオミカミ)を誘い出すために、天鈿女命が面白い踊りを披露します。その舞に神々がどっと笑い、その笑いに誘われて、思わず岩戸を開けてしまったという逸話。そのときの天鈿女命の顔が白く、面白がった神々の御顔が白く照らされたから「面白い」という表現が生まれたと伝わります。
「こじ開けて観たくなる」— 世阿弥もおそらく、こうした神話からヒントを得て「風姿花伝」の「花=面白い」の定義に発展させたのかも知れません。

人を感動させるとは、「面白い」をつくること。

坂口貴信師が能楽において、次のステージでどのように「舞台の感動を創ろう」とするのか伺ってみました。

M8指紅葉


— 昨年(2019年)行なわれた生涯2度目の「道成寺」は、さらに磨き上げられた芸によって、今まで体験したことのない異次元空間を観客と共に創りあげられました。それに対する会場の観客からの絶賛オーラは半端ないすごさでした。今年はこれから秋に「砧」(きぬた)の能舞台が待っています。

「今回の『砧』も“壁を越える”舞台になろうかと思います。初「道成寺」の話と重複する部分がありますが、緊張感を持ちすぎてガチガチになっていることが表面にでてしまうとダメになります。たとえば、「砧をやる、大曲をやるー!」と構えたものが見えると、お客様は肩が凝っちゃいますよ(笑)これをしてしまうと観る人の没入感が生まれなくなってしまうからなんです。だからといって、ラフにやると「ちゃんとやる気があるのか」(笑)みたいな話になる。
緊張感も同様ですが、悲しみ、苦しみ、愛情のような「感情を表に出す」と云うことが、能の美意識からいうと欠けになるのです。基本的には、そういう感情は人に感じ取られることのないように、他の人には苦しさや悲しさは見せない、緊張感も見せないという表現方法なのですが、ここからが大切なポイントになります。」

▪️秘すれば花

見せないようにするこれが能の真髄です。それをつきつめながらも、思わずどこか見えない所から、“ほーっ”と一瞬溢れて出てしまう、その瞬間に皆が“はっ”となる。

そのとき瞬間的にチカラが入る。思わず自然にだんだん溢れ出ていく、というような状態。見えないから無いのではなくて、自分の中には山ほどあるのだけれども、それを内に閉じ込めて、物語の筋が進むに従って、自分の心がこじ開けられて「ぽろっと」出る。言葉での表現は難しいですが、そういう芸が望ましいことだと私は思っています。」

「こうやりたい、ああやりたい」という思いが表に出てしまう芸は自分としては好ましくないのです。言葉で説明できる、「こう見せています」と云うような芸は、能の本質からずれているので良くないと考えています。もちろん、何をやっているのか分らないのでは話になりませんが、それができた上で、隠す、捻るというか、隠し乍ら趣向を凝らすというか、そこが最も大切な能の「美」といえるのではないでしょうか。まさに世阿弥が云った「秘すれば花」とは、こういうことだと思っています」


M8 枯れ葉

▪️人間力を磨く

—そこが、「美しい能」の到達点だということですね。

「世阿弥の心そのものだと思います。その心を体現するためには、『この能楽師の能舞台を観てみたい』、真底にある『そこをこじ開けてみたくなる』くらい魅力的な人間にならなければならないといけないと思っています。」


▪️人間国宝、名人にまなぶ

2019年の「坂口貴信之會」(観世能楽堂)は伝説の能舞台としての評判を得ました。それは、シテ方、囃子方など人間国宝のいわゆる名人が総出演の舞台となったという点、高額となった特別席を含め即日完売した点など・・どの現象をとっても、前例のない能楽界の幕開けを感じさせるものでした。
坂口師にとって、名人はどんな存在なのでしょうか。具体的に目指す名人はいるのでしょうか、本音を伺いました。


— 目指す芸風、見本としていらっしゃる方はいらっしゃいますか?


「いっぱいいると云えば、いっぱいいます」


—それぞれの方の部分部分を学ぶ、ということでしょうか?

「そうなんです。私はひとりの人ということではなくて、名人それぞれに魅力があります。そして、その方、その人間にあった能の曲というのがあります。細かく挙げることはできませんが、“この方のこの部分は、良いなあ”“この方のこの曲は誰にも真似できないなあ”とかいつも感じながら拝見・共演させて頂いています。そこから、“その曲をやる時には、あの方はああいう風になさっていたな”という気づきにつながったり、全てひとりの方がもっている要素ではなくて、様々な方々のイメージが私自身の芸の肥やしになっています」

—敢えて、お一人挙げるとすると?

「もちろん観世宗家の芸が私にとっては基本です。私自身の芸の軸と云ってもいい。その上で、敢えて挙げるとすれば、人間国宝の梅若玄祥先生(4世梅若実を襲名)の謡でしょうか。梅若先生の謡は、本当に勉強になります。年齢を重ねられて益々お声や表現に深みが出ておいでになります。先生と貴重な時間をご一緒できることが私にとっては宝です」

人間国宝 梅若玄祥(うめわか げんしょう)4世梅宮実
1948年〜  観世流シテ方能楽師。2世梅若実の孫。明治の功労者である初世以来、名人が4代続く梅若六郎家の当主。古典能の演出に深みを加え、多くの新作能、他の芸術分野との共演に意欲を燃やすトップランナー。2018年4世梅宮実を襲名。昭和36年に竣工した能楽堂を併設した「梅若能楽学院会舘」で学院長の任にある。


M8般若未来


2   今の自分を超えて、未来へつなぐ

「風姿花伝」は「年来稽古条々」(ねんらいけいこじょうじょう)の一段から始まります。幼児(7歳)から老年(50有余)に至る修行の課程を記したものですが、それは芸能を志す者ばかりでなく、現代人のわたしたちにさえ思わず自分の成長に照らしてしまうような、「芸ばかりでなく人間の一生に通じる生き方」を示す哲学書のようです。混迷の時代だからこそ、新たな生き方を世阿弥に求める若い人々が多くいることも頷けます。
そこには、世阿弥の「人間の内側から技法は生まれるのだ」という強いメッセージが心に響くからです。

さて、「四十四 五」の段で、世阿弥は、
「40歳以後は、それまでとはがらりと変る。芸そのものは落ちなくても体力はおとろえ、次第に見た目の美しさが失われる。しかしそれでもなお美しく見えたら、それこそ「まことの花」を得たシテといえる」と述べています。

坂口貴信能楽師もまさにこの年齢を迎え、どのような能楽師になろうとしているのか、どんな未来を描いているのか、率直に伺いました。


M8石橋サイン


▪️行けるところまで行く

—現在、正に脂ののった40歳代を迎えられている訳ですが、今後に向けてどんな能楽師でありたいとイメージされているのでしょうか。

「そこが、今の自身にとっての一番の課題ですね。今後と云いましても、60歳代なのか、70歳代なのか。先ず40歳代は後半分ありますから、この間は、映像系を含め新しいメディアにどんどん意欲的に挑戦することに大変興味がありますので、本質的な高見を能舞台で披露する「坂口貴信之會」をやりながら、新しい時代を取入れた能楽の様々なカタチを実現させることに情熱を注ぎます。そうした方向で行けるところまで行きたい、という思いが強くあります。」

▪️自分が生きた証

「今の時代を生きた私の証として『この時代に、こういう能楽師がいて、こういうものを世界で初めて取り組んだ』というような、物語を残すことができれば幸いだと思います。とはいえ、それを永遠に続けるということではなくて、新しい技術革新は時を待たず大いに進んで行くと思いますので、時代を超える様な新技術がでてきたら、また次の世代が登場して実現させて行くことにも期待したいですね。」

—40代をやりきった後にどんな道筋が見えますか?

「現在、毎年全国各地で「MUGEN∞能」を若手能楽師の4人メンバーで公演をしています。(観世流シテ方/坂口貴信、観世流シテ方/林宗一郎《京観世林家十四代当主》、和泉流狂言師/野村太一郎《人間国宝・初代野村萬の孫》、大蔵流狂言師/茂山逸平《人間国宝・茂山千作の孫》)
こうした取り組みは、若手が育つという意味では大変貴重な試みで多くのファンの皆様と交流し楽しんで頂いています。しかし、《若手》と付くこの試みも、年齢が50を超える頃には、変化して行くことになります。50歳代に突入したら「MUGEN∞能」は続けないだろうし、60歳代には、「坂口貴信之會」を年2回、粛々と演じて芸を削ぎ落として行きたい、そんなイメージを持っています。それだけに、削ぎ落としを始めるまでの40歳代はいろいろな新しいことにチャレンジしていくつもりでいます。」


M8飛ぶ能楽

能楽の未来へ

▪️ユニークで大胆な演劇 — 能


—「坂口貴信師の能にはフォースがある」と讃えた、演出家・岡田利規氏は、インタビューで、
「私は能が好きで、能のことをすごいと思う理由は、能が持つ演劇としての形式が、ユニークで大胆で、そしてきわめて本質的だと思うからだ。演劇として本質的でないごまかしみたいなことを、能は一切していない。潔くて、トンガッている。だから能が好きだ」と述べられています。
能楽界の中でも特に坂口貴信師の舞台は凄い、と次世代を創る演劇人からのエールを坂口師ご自身はどのように受け止めていますか?

「国内外から注目されている岡田氏に、そのような言葉を頂くことは大変光栄です。
その賛辞の中には、能の世界に対するリスペクトを感じます。演出家というのは、古典であろうが、現代演劇であろうが、体の動きを見ると同時に「心」を観ることができると思っています。それが仕事だろうし、特技だと思うんです。私の演技を見て、「私の心がどこにあるのか」ということを意識的に直感的に観てくれている、ということを一番に実感しました。それは、とりもなおさず彼が評価してくれたことによって『能は演劇なんだ』と胸を張って云えるようになったということでもあるのです」


▪️きっと、百年先までも

—能楽師・坂口貴信師からリアルな金言を沢山いただいたインタビューでした。最後に一言お願いします。

「未来を語るのなら、希望に満ちたお話をしたい所ですが、能楽師は自営業者です。
本来なら、2020年11月27日に「第六回MUGEN∞能」を観世能楽堂で開催する予定でしたが、今年はコロナ感染防止のため、今の状況が変らなければ客席を半数以下に減らさなければなりません。運営面においては苦境に立たされますので、開催するか否か難しい判断を迫られています。自主公演でしたら赤字覚悟で開催するかもしれませんが、仲間のあることですし、同人の意見も聞きながら、場合によっては中止の決定をするかも知れません。     (※後日、MUGEN∞能(東京公演)は中止が決定いたしました。10月17日(土)京都公演は予定通り開催致します。)   

しかしながら、状況をくぐり抜ける手だてはきっとある筈です。700年の能楽の歴史をさらに紡いで行けるように、これからも一つ一つの舞台に励んで参りますので、どうぞ応援して頂けましたら有り難く存知ます。     
9/19(土)開催の「第八回 坂口貴信之會」では、より良い世界になるように、との祈りをこめて『砧』を勤めさせて頂きます。一生に一度のその瞬間だけの能舞台、観世能楽堂でお待ちしています。」


【インタビューを終えて】

厳しい稽古が創り上げた人物特有の「無邪気さ」を、言葉と言葉の間に感じるインタビューとなりました。700年の歴史の重圧の中で、厳しいしきたりを踏襲しながらも時代の新しさを常に発見しようとする精神。そこにこそ未来の能が生まれる光があるのだと実感しました。「能」の魅力は掘っても掘っても費えぬ泉のようなもの。人もまたしかり。
坂口師の「行くところまで生き抜いた」風姿をぜひ、この目で体感したいものです。
ご愛読ありがとうございました。【第3章 了 】
(聞き手:岩田理栄子 /銀座花伝 収録日:2020年7月10日)

M8コスモスハンド

坂口貴信師 能舞台レポート  《これからの掲載予定》

能役者・坂口貴信 名場面「能舞台写真ギャラリー」         次号銀座MAGAZINE Vol.9 にてご覧いただけます。
◆【第八回 坂口貴信之會】レポート記事                                                      次々銀座MAGAZINE Vol.10にてご覧いただけます。

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◆バックナンバー【能のこころ】特集
第2章 Vol.7  一瞬 、一瞬が奇跡  慰霊とイノベーション
                        能役者・坂口貴信の闘い
第1章 Vol.6  宇宙と交信する能  700年命を浄化する闘い 
                           能役者 坂口貴信


◆銀座情報

◉築地本願寺 能楽師直伝「能楽・狂言」講座 レポート

築地本願寺本堂

・「風姿花伝」 語りと実演 講師  観世流シテ方 坂口貴信

8月28日(金)築地本願寺・銀座サロン会場において、リアル講座とWEBの同時配信が開講されました。世阿弥の「風姿花伝」の朗読と坂口師の能楽稽古における数々のエピソードを織り込んだ語りは、まるで謡を聴いているような情感に溢れています。実演の謡では、その極意「身体がスピーカーになること」を体感、所作の「感情表現」などの奥義にも触れることができました。

*レポートの詳細は、次々号「銀座花伝MAGAZINE Vol. 10」でご紹介します。

能楽・お稽古 《メニュー》

 □銀座と能楽と観世通りと(150年ぶりの銀座帰還)
 □世阿弥「風姿花伝」朗読 人生をどう生きるか(エピソードを交えて)
 □実演① 謡 ツヨ吟×ヨワ吟 うたくらべ指南「高砂」×「羽衣」
 □実演② 型(所作) 能楽師の視点

坂口先生語りから  《心に響くことば》

    「能は動かないことが、演技」
 「正解はひとつではない」
 「能楽を一生の生業に決断した日」
 「内弟子—観世ご宗家修行は、家族となって鍛錬する」
 「謡は、ビーム」ほか

 坂口先生講座風景

M8講座風景

「能装束」解説 喜多流シテ方 大島輝久先生師  9/4(金)終了しました。

・「能と狂言」解説 和泉流狂言方 野村太一郎師  9/15(火)参加者募集中!

↓講座のお申し込み:築地本願寺HP 銀座サロン・Kokoroアカデミーから。


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◉老舗情報   銀座 「ロイヤル クリスタルカフェ」  ー個室で安心なひとときをー 

美しい街路樹のある通りとして定評のある「銀座並木通り」。晴海通りからこの通りに入ってすぐ右側にある、白亜のビルディングの地下1階にこのカフェはあります。日本の珈琲チェーン店「ドトール」の会長が「美しい空間でコーヒーを楽しんでいただきたい」をコンセプトに創り上げた贅沢空間。ウィズコロナで3密を避けるためにも、個室でコーヒーを楽しめることが魅力です。観劇のお帰りに、ぜひどうぞ。

M8クリスタル個室

M8クリスタル全景

おすすめメニューは、アフタヌーン珈琲。こだわりのスイーツと珈琲の組み合わせが楽しめます。

M8 クリスタルアフタ茶

*個室をご希望の際には、ご予約ください。(電話・WEB可)



M8枯れ葉スニーカー

◆編集後記(editor profile)

3回にわたる、能役者・坂口貴信師の特集はいかがでしたか?      「フォースがある能役者の芸に出会ってみたい」            そんな気持ちになる方が一人でもいらしたら、これほど幸せなことはありません。

「フォース」といえば、映画スターウォーズ。物語に触れた人々が、「自分を変える普遍的なテーマ」に出会うことができた、と多くの共感を寄せて大ヒットしました。

フォースとは、「心と現実世界とを境界を超えてつなぐ力」。

その伝説的な映画を創るにあたり、監督のジョージ・ルーカスが物語の原典としたのが神話学者ジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」でした。神話は「神」との対話を通じて「自分」を発見する教師であると述べています。

「まさに深淵へと下っていくことにより、私たちは人生の宝物を回復できる。つまずいた所に、あなたの宝がある。」

予断を許さないウイルス禍と経済の両立という前代未聞の世情の中で、つまづいた場所をしっかりと見極め、対峙し、次へのパワーに変えることの大切さを伝えてくれています。

本日も最後までお読み下さりありがとうございます。

        責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           
岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         
銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ                                  
東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
著書:「銀座が先生」 芸術新聞社刊

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