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離婚裁判百選⑩番外編江戸時代の離婚

「悪意の遺棄」は、実は戦後に離婚原因の一つとして数えられてきたものでした。

その前はどうだったのか。江戸時代の『離縁』について遡ってみます。

1 離縁と三行半

離婚は、離縁と呼ばれていたようです。離縁は、現代では養子縁組を解消する際に用いる用語です。武士が離婚をする場合には「双方熟談」をすれば足りましたが、平民がする場合には、夫から妻への「離縁状」なるものを交付することが必要とされました。

時折現代でもその用語を耳にする「三行半」とは、ここにさかのぼることができます。要するに、『離婚をする。妻が再婚することを許可する』趣旨の記載であったようです(これが三行程度で書かれていた)。

2 妻から離婚はできるのか?

できます。夫からの離縁状が必要となると、妻からの離婚は禁止されていたのか?が疑問に感じられます。形式的にはそうであったが、妻が男性側に働きかけて、離縁状を出させることがあったそうです。ちなみに、夫は離縁をすると物品などの動産、妻の持参金を返還しなければならない規律のようで、そうすると、女性側が資力にすぐれた妻を設けた場合には、離縁状が出せない状態が続くことが多かったようです。

そこで登場するのが『縁切寺』です。縁切寺にかけこみ、女性の主張に正当性があると判断されると、離婚を成立させる助力をしてくれたそうです。

3 縁切寺の手続?

 実家の親に呼び出しがあり、地元の親の親族類、地元の名主がでてきて、協議を進めたそうです。ここで注目することができるのは、『内済』なる手続を勧めた、すなわち現代で言うところの協議離婚ができないなら、在寺禁足25か月、なる期間がかかることを一種の威圧として用いて、紛争を内々に済ませて終わりにする、ことを進めていたようです。

4 現代はどうか

 やはり、調停離婚をする場合でも、当事者間の協議にゆだねられる事項は多く、調停期日外でも活発にやりとりをする事例は多く見られます。現代でも『訴訟』をすると時間がかかることを指摘され、調停でなるべく離婚を成立させようとする動きは散見されます。この『縁切寺』への駆け込みは、女性側からの専権である背景には、男性からの離縁状のみ交付が認められていた経緯がかかわってきます。その後縁切寺は明治維新後廃止され、戸籍が整備されていきます。

 ところで、『三行半』とは、男性が女性から突き付けられる言葉と化しています。「悪意の遺棄」と同様、本来の用いられ方が変遷されているのでしょうか。以下のケースを考えてみます。

 ある日自宅に戻ると、鍵が替えられていた。妻からメールで『もう戻ってくるな』と送られてきた。

 三行半、の離縁状は女性側から、男性側は悪意の遺棄を主張できる余地が生じています。試論として、『悪意の遺棄』をされてしまうと、内済は困難ではないかと考えられます。そうすると縁切寺を頼るしかなくなるが。。続

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