見出し画像

脳出血入院記(17)2022年11月~2023年1月 数年ぶりの実家暮らし

 退院して、実家に到着。
 家の中に入り、居間のソファーの右端に座る。僕が実家でいつも座っていた定位置。
 実家に来たのは半年ぶりくらいだ。入院する前でも何も用事がなくて半年くらい実家に来ない時はあったので、今回だけ特に長い期間が空いたわけではない。だけど、ものすごく久々に来たような懐かしさがある。ソファーに座ってボーッとテレビを見る。こんなフカフカの椅子に座って大きなテレビを見るのも久しぶりだ。入院ってすごい体験だな。あらゆるものを新鮮に感じるようになった。

 テレビを見てると、母さんが「この部屋を使っていいよ」と言って僕を呼んでいる。じいちゃんとばあちゃんの部屋だ。居間と隣接していて、トイレやお風呂にも行きやすくなっている。2人が亡くなってからは物置のようになっていたはず。行ってみると、そこに置かれていた荷物は無くなり、ベッド、机、棚、などが置かれていて、部屋として使えるようになっていた。
 僕が実家に住んでいた頃の自分の部屋は2階にある。リハビリをして階段も歩けるようにはなったけど、2階と行き来する階段を日常的に頻繁に昇り降りするのは非常に難しい。もう2階の自分の部屋は使えないだろう。1階にあるこのじいちゃんとばあちゃんの部屋を使わせて貰えるなら有難い。
 部屋の中に用意してもらった物を確認して、部屋の中で動いてみる。僕は左腕と左足が麻痺して動きづらくて、右足と右腕は自由に問題なく動く。だから、動きやすい方向があり、使いやすい物の配置がある。用意してくれた部屋は、申し訳ないのだが、僕が動きやすく使いやすいようにはなっていなかった。なので、あらためて色々と説明して、部屋の中の物の配置を変えて貰う。

 晩御飯に食べたいものを母さんに聞かれて、パッと思いついたものを色々とリクエストして言ったのだが、塩分が高そう、という理由でほぼ全て却下された。仕方ない。塩分を取り過ぎるとまた血圧が上がって脳出血再発の危険性がある。危険を冒してまでどうしても絶対に食べたいものなんてない。
 結局、両親がいつも食べている普通の晩御飯になった。むしろこれでいいよ。病院食ではない普通の家庭料理。いいじゃない。

 退院した翌日は実家の中で静かにダラダラと過ごしていたけど、1日ですぐに飽きた。
 両親にお願いして、旭山動物園に連れて行って貰った。退院したらどうしても絶対に行きたかった場所だ。
 ものすごく最高に楽しかった!

 入院中に連絡を取ってた人達に、退院したことを連絡した。動物園で自撮りした写真や動画も送って、僕は元気だということを報告した。
 仕事関係の人達にも連絡して、すぐに仕事を再開することを報告した。
 ノートパソコンがあれば、どこにいても仕事の作業はできる。僕は自営業で自宅のアパートが仕事場でもあったのだが、両親からは、必要な時にはアパートに連れて行ってくれる、と言って貰った。

 平日の昼間は部屋の机でノートパソコンを開いて仕事の作業を始める準備をした。今はまだ何の依頼もなく仕事はないので、とりあえず、今までやってたことを見返しながら、ダミーのホームページを作ってみたり、遊びのプログラムを作ってみたり、ぼちぼちと練習の作業から始めて慣らしていこうか。あとは、いつ仕事の問い合わせが来てもいいように営業で使える新しいネタを探しておこう。
 昼間に実家の部屋でノートパソコンの作業をしていると、居間から両親の話し声や笑い声などが聞こえてくる。居間に隣接してる部屋なので全て聞こえてしまう。両親は一日中ずっとテレビのワイドショーやニュースを見てる。様々な事件、政治の問題、海外の戦争、芸人のスキャンダル、等々、あらゆることにあーだこーだと文句を言い続けている。文句を言えるような話題がない時は、近所の人達の噂話。あの家の息子の愛想悪い嫁。死んだと思ってたらまだ生きてたじいさん。いつも同じ時間に家の前を通るおばさん。夜中でもリビングの電気が煌々と点いてる家。最近よく見かける高級外車、等々。
 こういうお喋りが2人のストレス発散にもなっているのだろう。外で他人に聞こえるように言うなら大問題になるけど、家の中で2人だけで喋るのは構わないだろう。
 でも、僕は2人のこういう話が聞こえてくるのが嫌いだ。2人で喋るのは別に構わないとは思うけど、僕がそれを我慢して聞かなければならないとは思わない。僕は嫌い。僕が実家を出た時の大きな理由のひとつでもある。
 イヤホンして音楽でも聞いていれば両親の声は聞こえなくなる。でも、病院で病室にいる時はずっとイヤホンをしていたので、退院してまでずっとイヤホンしたくないという気持ちが湧き出てきて、ちょっと腹立ってくる。

 僕は、アパートに毎日連れて行ってくれるように両親にお願いした。必要な時だけとかではなくて毎日。週末と祝日は我慢するとして、それ以外の平日は毎日。「仕事の作業はやっぱりあのアパートの仕事場でなければ出来ない」という理由を付けて、どうしてもアパートに行きたい、と必死にお願いした。日中にアパートに通うだけで寝泊まりはこれからも実家でするなら、ということで両親はOKしてくれた。
 アパートへは父に車で送って貰わなければならないのだが、正直なところ、嫌だ。毎朝送るのは結構大変だろう。父は高齢なので、あまり無理はしてほしくない。それに正直に言うと、高齢の父が運転する車にはあまり乗りたくないし、父とはそんなに仲良くないので世話になりたくない、いう気持ちもある。でも今はそんなことも言ってられない。言い方は悪いが、利用できるものは利用させて貰う。

 毎朝8時過ぎに実家を出て、9時前にアパートに着く。そして、日が沈んで暗くなる午後4時ごろに迎えにくる。アパートにいれるのは毎日7時間くらいだけ。でもこの7時間が、僕にとって大切な時間だ。
 僕は毎日9時にアパートに帰って来る。そして、毎日4時にまた出掛ける。僕が帰ってくる場所はこのアパート。
 実際のところ、絶対にここでなければ出来ない作業なんてない。ノートパソコンさえあれば、実家の部屋でも病院の病室でもどこでも何とかなる。でも、気持ちが全く違う。仕事机に座ると、気持ちが引き締まる。集中力が違うような気がする。アイディアの湧き方が違うような気がする。作業のスピードが違うような気がする。そういう意味では、やっぱりここでなければ出来ないことがあるのかもしれない。

 アパートにいるようになってから、平日はほぼ毎日、お昼の暖かい時間にアパートの周りの外を歩くようにした。人も車も少なくて、舗装が綺麗で、歩く練習にちょうどいい道路の場所を見つけた。10月末で退院できて本当に良かった。11月はまだ凍えるほど寒くないし雪は降らないし、まだまだ外を歩ける。
 歩く距離は500メートルくらい。入院していた時に歩いていた病院の外周の距離とだいたい同じ。入院中に一時帰宅してアパートの周りを歩いた時は何度も転びそうになったけど、今はもうしっかり歩けるようになった。よしよし。いいね。まずはこれくらいの距離を全く苦も無く軽々と普通に歩けるようになろう。一番近いコンビニが往復で500メートルくらい。一番近いスーパーが片道500メートルくらい。だから、外で500メートルくらいの距離を普通に歩けるようになれば、買物に行ける。

 土曜日は、両親はイオンに行って散歩と買物をしているそうで、僕も連れて行って貰うことにした。イオンの中は広いので、3階から1階までフロアをグルッと歩くと合計2kmくらいになる。屋内の平坦な床なら2kmくらいは余裕で歩ける。歩きながら並んでいるお店を見て、興味が湧いたものがあったらお店に入って買物する。買物って楽しい。
 周りを見ると、杖で歩いてる人が結構いる。車椅子の人もいる。色んな人がたくさんいる。僕が杖で歩いていても特に浮かないし注目もされない。居心地がとても良い。
 平日はアパートの近所を歩き、土曜日はイオンの中を歩く。退院してからもとにかく歩き続けた。歩けるうちにたくさん歩こう。

 12月になると急激に寒くなり、雪が降るようにもなり、アパートの周りの外を歩けなくなってしまった。土曜日にはイオンに行って歩くけど、週1回では運動量が少な過ぎる。
 足腰の運動の為に、自転車のペダル漕ぎ運動をする器具を購入した。実家の部屋に置いておいて毎日1時間くらいペダルを漕ぐ。結構汗をかいて疲れる。
 踏み台運動をするステップ台も購入した。病院でリハビリとして階段の練習をしていた時は、僕は左足が動きづらくて右足が動くので、昇る時はまず右足を上の段に掛けて右足の力で身体を上げる。降りる時は右足の力で身体を支えながらまず左足を下の段に下ろす。登る時も降りる時も右足の力を使うように教えられた。でも、これから自宅で練習する時は、その足の使い方を逆にして、左足の力を使うようにしてみた。外ではまだ危険で出来ないけど、家の中で何かに捕まりながらの練習なら出来る。左足をビシビシ鍛えよう。

 年末からお正月には、御馳走をたくさん食べた。
 焼肉、お寿司、蕎麦、天麩羅、お節料理、等々。美味しかった。あらためて僕の退院のお祝いみたいな感じもあった。退院できて良かった。

 でも、調子に乗り過ぎてしまったのだろう。お正月を過ぎた頃から、血圧が跳ね上がった。そしてそれが何日もずっと続いた。
 血圧はちょっとしたことで結構変わるので、たまに1日や2日くらい血圧が上がっても気にしないようにしていた。でも1週間くらい続くと、怖い。僕が脳出血で倒れたのは朝8時半ころだった。血圧が上がっていた時は、毎日、朝が怖かった。朝8時半くらいまでは静かにしていて、何事もなく大丈夫だと「あぁ、今日も生きてる」と安心する。そんな日が1週間くらい続いた。
 これはヤバイかもしれないと思って病院に行った。
 検査をして主治医の先生に問診をして貰って、何ともないことを確認できた。良かった。本当に良かった。
 主治医の先生から言われたのは、「血圧が上がって、それで心理的にストレスを感じて更に血圧が上がって……、という悪循環になったのでは?」
 それから数日で血圧は下がって安定した。やっぱり心理的なものだったのかもしれない。

 この数日はとにかく怖かった。心配とかそういうレベルじゃなくて、怖い。まだ脳出血で倒れて入院することになってしまうかもしれない恐怖。今度は死んでしまうかもしれない恐怖。ただただ恐怖。
 こんなに事態になるなら、もう絶対に調子に乗って御馳走は食べない。ご馳走なんてもう食べなくていい。もう充分。もう満足。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?