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【ショートショート】タイムマシン

 天才技術者の男が仕事を引退した。
 男は時代の先駆けとなる様々な新しい発明を世の中に送り出し続けた天才技術者で、良いことも悪いことも何でも依頼があればやっていた。莫大な財産を築き、若い頃に結婚して妻はいるが、子供はいなかった。引退に際して、持っていた特許のほとんどを売り払い、更に莫大な大金が入った。
 引退する理由は、「タイムマシンの開発に専念するから」

 だが、それは表向きの建前で、本当の理由は別にあった。
 最近ずっと妻の体調が思わしくないことを男は心配していた。そして、自分のことを最優先にして、妻にずっと苦労させてきたことを後悔していた。今後は妻と2人で静かに暮らして妻の為に何でもしてあげたいと思い、仕事を引退した。
 お金の心配はない。どんな贅沢をしてもこれから何百年あっても使いきれないほどの財産がある。働かなくても充分に暮らしていける。

 男は、人が誰も住んでいない田舎の奥地の広大な土地を買い占め、妻と暮らす屋敷を建てた。屋敷の周りは一面の花畑にし、その周りに桜の樹を植えて何年もかけて桜並木を広げていく予定で計画を立てた。
 そして最初の一本目の桜の樹は、男と妻が2人で一緒に手を添えて植えた。妻は涙を流して喜んだ。
「この桜の樹が大きく育っていくのが楽しみだね。ここから桜並木が広がって満開になるのが楽しみだね。2人で見たいね」

 屋敷の地下には研究所も作った。ただ、今までのように研究開発に没頭するつもりはない。男が興味あることはこれしかないのだ。趣味の遊びとして好きなものを作って遊ぶ為の研究所。あくまでも妻との時間が第一、研究開発は趣味の遊びに留める、という約束を男と妻は交わした。

 男は研究室でロボットを開発して、屋敷の周りの整備や管理をやらせた。花畑に季節ごとの花を育て、桜の樹を植えて桜並木を広げていく。ロボットに任せれば、24時間いつでもどんな天候でも大丈夫。
 最初は作業に特化した機械むき出しのロボットだったが、綺麗な花畑や桜並木の景観と合うように、ロボットの外見を人間に似せて、作業も人間の動きに似せて、最終的には何もかも人間そっくりで何でもできる人間そのもののロボットになった。
 そのロボットを何台も量産し、家のことを何でもやらせるようになった。外での作業だけに限らず、日常的な家事、細かい事務手続き、なども全てロボットに任せた。
 男はロボットの開発が楽しくなって、ついつい時間を忘れて研究室に籠って作業を続けてしまった。そして、妻の体調の変化に気付けなかった。

 ある日、とうとう妻が倒れてしまった。一命はとりとめて意識はしっかりしてるが、身体は日に日に衰弱していき寝たきりで過ごすようになってしまった。
 寝たきりの妻が退屈しないように、自宅を増築し、最上階に妻の寝室を作った。見晴らしが良く、一年中、家の周りの景色を見渡せる。花畑には季節ごとの花が咲き、春には桜が咲く。

 妻は複数の重い病気を併発しており色々な要因が複雑に絡んで、治療は難しかった。世界中のあらゆる高名な病院へ行き、大金をかけてあらゆる治療法を試したが、治療できない。
 病院を頼るのは無駄だと思った男は、自分で妻を治すことにした。

 男にとって医学の分野は専門外だったが、妻の為に不眠不休で勉強した。そして、妻の身体を隅々まで調べて、妻専用の薬を自作した。飲みやすいように、無味無臭で綺麗な透明の水のような飲み薬を作った。
 妻はその薬を飲むと体調が確実に良くなって元気になった。どんな高名な病院で出された薬よりもよく効く。ただ、副作用で膨大な体力を奪われる。副作用がないように調整すると、薬は効かない。薬が効くように調整すると、副作用が出る。
 薬は確実に効いてるはずなのだが、副作用で膨大な体力を奪われてグッタリと気絶するように眠る妻を見るのが辛くてたまらない。男はその薬を使うのを辞めた。

 やがて、妻は腕や脚が次第に麻痺してきて自由に動かなくなってきてしまった。
 男は妻専用の義手と義足を開発した。妻の身体にピッタリ合わせて、見た目は全く違和感が生じないように作った。脳波で動くので、自分の手足のように動かせるはずだ。
 ただ、その義手と義足を使うためには、妻の手足を切り落とさなければならない。麻痺しているとはいえ今も血が通ってる手足だ。妻の温かく綺麗な手足を切り落とすことなどできない。男はその義手と義足を使うのを辞めた。

 ある日、妻が男に言った。
「あなた、いつもありがとう」
「僕は君の為なら何でもするよ。当たり前じゃないか」
「ありがとう。でも、私はもう無理かも」
「そんなことない。僕が必ず治してあげるから」
「ねぇ、お願いがあるの」
「何だい?」
「ずっと一緒にいて」
「もちろんだよ。僕はここにいる。ずっと一緒にいるよ」
「そうじゃないの。私を治す為の研究開発はもういいから。研究室に行かずにずっとここにいて」
「僕もここにいたいさ。でも、僕は君を治したい。その為の研究開発なんだ。お願いだから分かっておくれ」
「そう……」
「そうだよ」
「じゃあ、ここで一緒に死んで」
「え?」
「嘘よ。冗談」
「お願いだから、そんなこと言わないでおくれ」
「ごめんね」

 男は毎日ずっと妻の治療法を毎日ずっと調べて考えたが、分からない。医学の分野は専門とは違うので、非常に難しい。
 毎日悩み続けて、男は以前に自分で言ったことを思い出した。
 そうだ。タイムマシンだ。タイムマシンを作ろう。
 タイムマシンを作って未来に行けば、医学が進歩していて妻の病気の治療方法が見つかっているかもしれない。タイムマシンを開発して未来に行こう。
 この分野なら自分の専門に近いから出来るはずだ。男はタイムマシンの開発に取り掛かった。正直なところ、久しぶりの新しい発明に男の心は踊った。実験の成功と失敗に一喜一憂して興奮した。自分は絶対に出来る、絶対に完成させる、という強い信念でタイムマシンの開発に没頭した。
 だが、タイムマシンはなかなか完成しない。

 そんな中、妻はもう限界を迎えつつあった。妻は男につぶやいた。
「死なせて」
「え?」
「私は幸せだったわ。どうもありがとう」
「何言ってるんだ!死なせないよ。僕が治すから。これからもっと幸せにしてあげる」
「私はもう充分に幸せだったわ。もう充分」
「いや、まだやりたいことがあるだろう?これから2人でやろうよ」
「そうねぇ。ひとつだけ思うのは、あなたと一緒に植えた桜の樹から広がる満開の桜並木を見たかったなぁ」
「一緒に見よう。見れるさ」
「もう無理よ。私は向こうで待ってるから。早く会いに来てね」
「え?」
「嘘よ。冗談」
「あぁ」
「向こうで待ってるから。いつか会いに来てね。そして桜並木が満開に咲いた様子を教えてね」

 妻が死んだ。

 男は屋敷の最上階にある妻の寝室で三日三晩泣き続け、四日目の朝に澄んだ青空と色とりどりの花畑を見渡し、そして地下の研究室に降りて行った。

 男は妻の言葉を思い出していた。
「満開の桜並木を見たかった」
 それが妻の最後の希望だった。
 生き物はいつか寿命が尽きる。男もそれはもちろん分かっている。タイムマシンで未来に行き、満開の桜並木を見よう。それを叶える為に、タイムマシンを作ろう。妻の希望を叶えよう。それだけが男の生きる目的になった。

 男は、量産したロボットの中から特に優秀な2台を選び、外見を自分と妻に似せて、屋敷の住人に仕立てた。そんなに多くはないがたまにある外部とのやり取りは全てロボットに任せた。
 そして自分は地下の研究室に籠った。

 ある日、男は倒れた。
 タイムマシンの開発に没頭して、食事も睡眠もほとんど取っていなかった。無理し過ぎてしまったのだろう。
 男は必死に床を這って動き、棚に手を掛けて立ち上がり、そこにあった小瓶を手に取って一気に飲み干した。妻の為に作った薬だ。
 飲んだ瞬間、全身の体内をグシャグシャに掻き回されてひっくり返されるような悪寒と吐き気に襲われた。妻の病気に効く薬として作ったのだが、男にとっては毒だったのかもしれない。それとも、妻もこんな悪寒と吐き気を感じてたのに我慢していたのだろうか。今となっては分からない。
「ヴバーーー!」
 だが、今はその薬しかない。男は悪寒と吐き気に耐えて薬を飲み続けた。
「ヴゲゲゲ、ヴゲ、ウゲ!」
「ピョオーーー!」
 薬を飲み続けて何日か経ったある日、男は頭も身体もスッキリして元気になった。悪寒や吐き気も全く感じなくなった。男の気力が勝った。
 そしてまたタイムマシンの研究開発を再開した。

 ある日、男はまた倒れた。そして倒れた時に腕と足が機械に巻き込まれてしまいズタズタになった。
 男は使い物にならなくなった自分の腕と足を切り落とした。そして、妻の為に作った義手と義足を自分の身体に組み込んだ。妻の身体に合わせて作ったものなので、男にとってはサイズが小さくて細い。結合部がぴたりと合わない。だが、無理矢理に結合させた。動かす度に激痛が走るが、妻が死んだ悲しみによる心の痛さに比べれば大したことではない。

 それから数年が経ち、男は頻繁に倒れることがあったが、その度にあの薬を飲んで復活した。
 次第にその間隔が短くなっていき、酷い時には一日に何度も倒れるようになった。倒れるのも薬を飲むのも時間の無駄だと思った男は、点滴のように身体にチューブをつなげて、直接に薬を流し込み続けるようにした。
 薬を追加で作り続けているうちに作り方が変わってしまったのか?違うものが紛れてしまったのか?いつのまにか、無味無臭の透明の水のようだった薬はドロドロした真緑の粘液になっていた。

 それから10年。
 自作の薬のお陰だろうか。男は以前よりも元気になった。完全に不眠不休でタイムマシンの開発を続けているが、男は疲れることなく動き続けている。研究室には常に男の明るい笑い声が響いている。
 しかし、タイムマシンはまだ完成しない。

 20年。
 タイムマシンはまだ完成しない。

 30年。
 タイムマシンはまだ完成しない。

 50年。
 タイムマシンはまだ完成しない。

 男は脳みそ以外の自分の身体のほとんどを機械に改造した。脳みそも完全にICチップ化することを考えたが、その開発に掛かる時間や効率を考慮して断念した。生の脳みそを活かしたまま部分的にICチップを埋め込んで外部のコンピュータと接続する改造だけに留めた。
 それでも、タイムマシンはまだ完成しない。

 100年。
 タイムマシンはまだ完成しない。

 男は機械の身体にチューブをつなぎ真緑の粘液をドロドロと流し込みながら、元気に生き続けている。
 これからも男は何百年と生き続けるだろう。
 タイムマシンが完成するのはいつだろうか。

 地上の屋敷では、男と妻に似たロボットが以前と変わらない容姿のまま暮らしている。
 春。暖かくなり、屋敷の周りは一面の花畑になり、その周りには満開の桜並木。
 花の周りを蝶がひらひらと舞い、桜の樹では小鳥が遊んでいる。
 澄んだ青空の元で活き活きと輝く命。

 男は今日も暗く寒い地下で笑いながらタイムマシンの開発を続けている。

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