見出し画像

直角と線に覆われて暮らすようになったのはいつごろからだろうか
縦と横 線は線で結ばれ 線に囲まれている 線は無駄がない ルールの中で決められた結論を導き出す。 以前自動車の車体の設計をしている方に「線」の話を聞いたことがある。
手書きで図面を作っているときは線は収まったのだけれど、コンピュウターになってからどこまでも数値がつながって、収まらなくなったのよ。どこかで切り上げないと無限に連なることになるのよね。

横浜地裁の玄関は大きな弓なりの円筒ポーチ型で花崗岩の石張りだ。見た目は石そのものを積み上げているようにみえるが表面だけ張ってあるらしい。円形のアーチだが石は垂直に切られ計算された円の内側と外側の差をまっすぐに切り並べている。さらに線と線をところどころ切り込んで縦と横が組み合わされて石がある。よく見なければそのことにそのことに気がつかない。真っすぐな線にしか見えないのだ。線と線。曲線を作り出すこの建物は1930年に竣工した。1859年に横浜が開港して次々と目を見張るような洋風建築物が建てられた。線と線。「どうだ!」という声が建物の中に込められているようだ

品川駅から北品川駅に直角に曲がる線路を時速120キロで突っ走るのが京急A快特だ。知り合いの運転士も「120キロで突っ込めます?あの直角に」と楽しそうに話していた。直角を突っ走る体感は新幹線の安定したスピード感とは違う。軒先に民家もある。縦横に揺れる。ゴーっとうなる。イケイケ。線はもう真っすぐではなくぐちゃぐちゃだ。120キロのA特快はいわば大人向けゴーカートのようなものだ。ゴーゴー!川崎と品川を17分で結ぶ。途中ゆっくり走る新幹線よりも早い。線がもう一つの線を抜き去る。

それにしても 線と直角は時に重く 例えば鉄骨がのしかかるような感覚がめまいのように襲いかかることがある この空間にしか人が人としてあり得ないということ そういう空間 線と線を受け入れて 生きているということ それは なにか 排除 しながら 排除されることを 恐れながら 生きていることだ  
秩序からはみ出すこと 線と線からは どこへも行けない
そういう生物として いま 僕とか僕じゃない生物としてあなたも 生きている


この記事が参加している募集

2022年に詩集を発行いたしました。サポートいただいた方には贈呈します