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【大好きなおばあちゃん。】



2020年7月27日月曜日。

僕の大好きなおばあちゃんが満83歳という年齢でこの世を去った。




僕のおばあちゃんはいつもポジティブで、明るくて、他人思いで、でも自分が1番楽しんでいて、本当に素敵なおばあちゃんだった。

本当にあのおばあちゃんが僕のおばあちゃんで良かったなって心の底から思う。


おばあちゃんは、僕が小さい頃からプロサッカー選手になる夢を全力で応援してくれた。

まさに生まれた瞬間からずっと僕を応援してくれた熱烈サポーターだ。

間違いなく僕にとって「特別な人」のうちの1人だ。

そんなおばあちゃんの死を知って、悲しい気持ちでいっぱいだったけれど、どこか実感の湧かない自分がいた。

「あんな元気で明るいおばあちゃんが死ぬなんて。。。」と、信じられなかった。

というより、信じたくなかったのかもしれない。

でも実際に息のしない冷たくなったおばあちゃんに会って、触れて、『現実』なんだって実感した。

その瞬間に色んな感情が込み上げてきて、とにかくめっちゃ泣いた。

男は泣くなとか言うけれど思いっきり泣いた。

その後も、おばあちゃんとの思い出を振り返っては泣いて、おばあちゃんの自分への愛を知ってはまた泣いてを何回も繰り返した。

たくさんの愛を注いでくれていた事実を知る度に、涙しては何とも言えない心に穴が空いた感覚だけがずっと残った。




おばあちゃんはガンだった。

2ヶ月前くらいに診断されて、あっという間に亡くなってしまった。

本当に辛かったけれど、このおばあちゃんの死から僕は絶対に目を背けてはいけないと思った。

何かしらのメッセージをおばあちゃんが教えようとしてくれているように僕は思えた。

そんな『大切な人の死』から学んだ事を今回は書いていきたいと思う。

この経験が、同じような境遇をこれから経験する人、既に経験した人にとって、少しでもプラスになるように【言葉】としてこの世に残したいと思ったので、久しぶりにブログに書く事にした。




【人はいつか死ぬという事】

毎日世界中のどこかで新しい命が生まれ、喜ぶ人がいれば、誰かが死んでしまい、悲しむ人もいる。

この世界のあらゆる出来事は、誰かがプラスになればマイナスになる人もいる。

そういう風に出来ている。

僕もいつかは死ぬし、周りの大切な人もいつかは死んでしまう。

でもその『死んだ瞬間に残った人達にどう思われるか。』

ここが自分の価値が問われる時であり、人生のゴールなんじゃないかと思う。

自分が死んでしまった時、周りの家族や友人、知人からどう思われたいか。

周りに「○○君/さんは、○○な人だった。」

『人生最後の日に大切な人達からどんな人だったと思われたいか?』

そのゴールから逆算して『今』どんな行動や選択をとっていくのか?
今一度考えるべきだと思った。


僕は今までとにかく夢や目標に向かってがむしゃらに生きてきた。

うまくいかない事の方が多くて、苦しむ事もたくさんあったけれど、だからこそ学んだことも多い。

そんな人生を歩んできたからこそ、『夢や目標に向かって頑張る人』や『僕を応援してくれた人』の力になりたいと思った。

サッカー選手として知名度も高くなかったし、何か大きな事を成し遂げたわけでもない。

でもだからこそ発信出来ることもあるし、身近な人の近くに寄り添うことだってできる。

リーダーとして上に立ちながらも、人の心に寄り添える人間に僕はなりたい。

そんな風に人生目標を再設定する事ができた。




いつ死ぬかは誰にも分からない

死ぬ事の厄介なところは、『いつか死ぬ事は分かっている』けれど、『いつ死ぬかは誰にも分からない』という事だ。

明日死ぬかもしれないし、それは何年後かもしれないし、何十年後かもしれない。

人それぞれ外見や性格が違うように命の長さも違う。

だからどんな生き方があったって良い。

でも僕は今回の件から、『伝えるべき事は、常に伝えておこう』と思った。


僕はアイルランドから日本に帰ってきてから、おばあちゃんに次会う時にこれまでの体験談を直接話そうと思っていた。

その他にも今までサッカーを応援してくれた事やサッカーを思いっきりやれた事などの感謝を直接伝えようと思っていた。


でもそれを言う前におばあちゃんは亡くなってしまい、アイルランドで買ってきたキーホルダーのお土産は眠っているおばあちゃんのもとへ届いた。

「ガンだったのだから、郵送すれば良かったかもしれない。」とか、「テレビ電話でもいいから先に伝えておけば良かったかもしれない。」

という後悔が少しあった。

また会えるなんて100%保証されている事なんてこの世には無い。

だったら、伝える事は常に伝えておくべきだし、やれる事は今すぐやった方がいい。


基本的に僕は後悔しない選択を常に取ってきたつもりだ。

だから今までの人生に後悔は全くない。

そう考えると、今回の件が初めての後悔だったかもしれない。

近くにずっと居たが故に、後回しにしてしまった。

後で後悔しないように、これから先は近くの人にもしっかり伝えるべき言葉を伝えながら生きていこうと思った。

これを読んでる人には、同じ想いをしてほしくないので、身近にいる大切な人には常に伝えるべき事は伝えておいて欲しいと思う。




【最期は結局[愛]】

『人生最後の日にたくさん愛される者は、愛をたくさん与えた者』だと思う。

もちろん愛の形や表現方法って人それぞれ違う。

どんな愛にも良い所があれば、そうじゃないこともある。

だから愛の形に正解なんてない。

でも言える事は、『本気で愛した人間は最期には愛される』という事だ。


僕のおばあちゃんは、人に愛情をたっぷり注ぐ人だった。

時間もお金もなんでも愛する人の為には、何も惜しむ事なくドカン!と使う。

注ぎすぎて溢れかえるくらいだ。

なので愛の形はとても分かりやすかった。

でも『失って初めて気付く』とまではいかないけれど、こんなに愛されていたんだなって死んでしまってからの方がより強く実感した。

亡くなった後の携帯や部屋には僕の写真やグッズがたくさんあった。

幼稚園の時からアイルランドまでのサッカー事情や、最近親の会社に入社した事まで全部知っていたし、応援してくれていた。


愛っていうのは相手にすぐには伝わらなくて、結構な時間差で相手に刺さったりする。

その人の愛が伝わるのは何年後か分からないし、もしかしたら永遠に伝わらないかもしれない。

でも見返りを求めずに愛を注いでくれる人や応援してくれる人をもっともっと大切にしようと改めて強く思えた。

もうおばあちゃんが帰ってくる事はないけれど、僕にはまだたくさん大切な人が残っている。

今自分のそばにいてくれる人は大切にしようとおばあちゃんの死をもって、再確認できたし、おばあちゃんが死をもって教えてくれたのかもしれない。




【最後に】

死ぬ事は確かに怖い。

それに身近な人の死なんてもうこれ以上経験したくないのが本音だ。

でも人間はいつか死ぬと決まっている。

だったら自分のやりたいように人生を送るべきだし、後悔を残しちゃいけない。

伝えるべき事は伝えなきゃいけないし、やりたい事はやった方がいい。

明日誰かが死んでも。
明日自分が死んでも後悔しない人生。

今何か人生の選択に迷っている人がいるなら、迷わず今しかできない事をやって欲しい。

僕は今まで自分の好きな事、やりたい事をたくさんやってきた。

でも、これからは『誰かの為』に生きていく事もしたい。

誰かの為に色んなものを費やす生き方も素敵だなっておばあちゃんから凄く感じた。

でも自分自身が1番自分の人生を楽しんで輝いていたいなって思うし、そんなポジティブな人生を歩んでいこうと思う。

こうやっていつもブログを読んでくれる人は、きっと僕のことを昔から知ってくれている人が多いと思う。

この場を借りて感謝の気持ちを最後に伝えたい。



いつも本当にありがとうございます。
そして、これからもこんな僕をどうか
宜しくお願いします。

安芸銀治より

ちゃあちゃん今までありがとう。
どうかゆっくり天国でもスーパーポジティブで楽しい人生を歩んでね。
大好きだぁーーーーー!!!!

孫より





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