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6月中旬の日記

0617
あたまがいたい。
明日が雨だからだ絶対そうだ絶対絶対、
頭痛薬の60錠と90錠の差が200円でこんなの買うよだって全然変わらないし、これなら4ヶ月以上持つななんて思って。4ヶ月後って10月でもうすぐ年終わるじらないかと思って私何したのか、今年の目標が大して終わってないダメだダメだと思って足掻いている。

0618
今日は雨だ。高校の時の友人の誕生日だ。
もう連絡先すら知らない。6の段と3の段の誕生日は覚えやすい気がする。
最近会おうと声をかけられる誘いを悉く断ってしまっている。本当に都合が合わないのだけれども、泣く泣く断った後、行った時のことを想像してみて、私は何を話すのだろうと考える。
みんなに会いたいと言われるたびに、なんだかわからず気を張ってしまっていて、過去に会った時は楽しいと感じていたのだろうか。
わたしには話しすぎてしまった上に毒を吐いてしまっている記憶があり、それなのにもう一度誘ってくれるのはなんなんだろう。もはや前回の記憶がみんな消えている中私だけ覚えていて、あの悪い時を越えなければと謎に自分を追い込んでいるだけなのかもしれない。それか取り繕っていない私の意見をみんな喜んでいたりするのだろうか。それが心の琴線に触れるなんてことはあるのだろうか。当人にはわからないことなのかもしれない。坂をバスで登るたび、あの斜めに対して重力に垂直に家やビルを建てる大工さんの能力と中にいる人のことを思ってしまう。大工さんはまずすごいし、中で過ごしている人はまっすぐにここが坂道とも思わず過ごせるんだろうなあ。毎日バスに乗り同じ風景を眺めては同じように坂道に対して思っています。わたしはバスが好きなので、バスが私のミューズであるのかもしれない。

ミューズとは
①一つのことを深く考える、瞑想する
②ギリシャ神話に登場する9人の女神。
 創造的なインスピレーションの源。

0620
この世の終わりのような気分で
ネギトロと言った。
やってもやってもこちらにボールが戻ってきて、なんで返事すればいいのかなど悩んで人に相談して全然私は責任持てる人間じゃないなあと思っていた。


0622
歩くのはバスと同じくらい好きだから、
新橋から銀座まで歩くようにしていた。
一駅なので2000歩から3000歩くらいにしかならない。そこで休日に足を伸ばして京橋まで歩いてみた。
観光客はどこに行っても大量にいて、これが円安の影響かと感心していた。
歩いていると、全然懐かしくないのに懐かしいような気持ちになる匂いがあって、これはなんだろうなと考えていた。
最近読んだ「成瀬は天下をとりに行く」を読み終わってとても清々しい気持ちで浸っていたのと、吉田篤弘さんの「それからはスープのことばかり考えて暮らした」を読み終わってとてもいい気分だ。6月は快調に本を読んでいる。
とてもカレーが食べたくて、下北沢のぱんにゃでカレーを食べた。前も多分同じ時にいい気分の日になった気がする。たまたまかもしれない。
昨年からずっと欲しがっている、mont-bellの日傘がなかなか入らないので実店舗に行ったら入荷が9月と教えられたので予約をしておいた。永久にこの傘を買えないのかもしれないとも少し思った。手に入った時の気分はまた一段といいものになるのだろう。今日はとても気分がいいので、友達にお手紙を出すことを決めた。本とレトルトカレーを入れて現状を送ろうと思う。

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