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22病

 私の中学時代は進学校だったこともあり、すごく真っ当に終わってしまった。アニメが好きで、切手を集めていて、トラディショナルなオタク気質は持っていたものの、ファッションに興味があったため、重い厨二病を患うことなく、無難に成人を迎えた。

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 が、元々持っていた気質が突然花ひらいた。短大、専門学校と東京で学び、人とは違う自分を求めて、まずは見かけから、レールを外れて行った。マスコミに憧れて入った小さな編集プロダクション、服装は自由で良いよと言われていたので、遠慮なく自分の世界を披露した。↓やばくね?

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 その当時の私の会社に出入りしていたのは 中年以上のおじさんばかり。二十歳そこそこの小娘なので大目に見てくれて、今考えてもやばいセンスなのに誰も注意して来なかった。これが私の空想の世界に生きるきっかけになったのだ。いけてる自分!!

 22歳の頃、私は中野区野方で一人暮らしをしていた。クラブ遊びに夢中になり、週末になると出かけて行った。毎週末休まず通っていると、馴染みの顔もできると同時に、洋服のバリエーションが尽きた、さてどうしたらいいか。毎回同じ服で来てるとも思われたくない(←自意識過剰)。人と同じように扱われるのが嫌(←すでに病気の域)だけどそんなにお金は持ってない。帰りのタクシー代はないから、終電で行って始発で帰るクラブ遊び。

 ついに私はお金がなくても人とは被らないファッションを思いついた。

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パジャマだった。

 ご丁寧に枕片手に、足元はスリッパで武装。それは目立ちましたね、元手かからず。だけど、始発のことまで考えてなく、今では、楽しかったことよりも土曜の朝の山手線が、いたたまれなかったのを鮮烈に思い出す。

 どうにかしてタクシーを使わず帰って来れないか、これが次の私の課題だった

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自転車にした。

 場所は青山のM。ちょっと大人が集まるグラス片手に踊ったり、踊らなかったりのクラブ。流石に私も花笠音頭みたいな格好では出入りできず、なんとなく良い感じの普段着を着るようになっていて、自転車も漕ぎやすくなっていた。

 普通の格好になっていたので、クラブ内で車持ちの男子から、声もかかるようになっていた。帰り、送っていくよーと言われた時に

いいの、私自転車だから、

と断る自分がサイッコーにかっこいいと思っていた←ばか。

 自転車クラブ通いになって、送っていくよ、を断りたいがために、愛想良くなっていた自分を今、思い出し後悔。だけど自転車に活路を見出したおかげで、いつでも時間関係なく帰れるのは天国だった。

 その頃芝浦が夜遊び場として発展して来た頃で、どんどん人が流れていった。友人は電車かタクシーで行くと言ってたが、私は青山より遠いのにタクシーなんかとんでもないとまたしても自転車で参上。若いって怖い。

行きはよかった、行きは。

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 飲んで踊って、朝の3時半。送って行くよ送って行くよ男子を断らずを得なかった(だって自転車持ってる)芝浦から中野区野方は遠い。かっこいい自分はどこに行った。

どこに行ったのーーーーーー?

 あんなに節約のために自転車で芝浦まで行った私を さらに他とは違っていたい自我が追い討ちをかける。その日は勤めていた会社の社長の誕生日会。ワインが好きな社長に社員の有志がいいワインを奢ろうというもの。私を含め、若い女子社員は免除になりそうだったんだけど、

どうしてですか?私普通に払いますよ。

ってばか。そんじょそこらの女子と一緒にされてたまるか、の気合いを見せた。その時社長が選んだのが古いペトリュス←一生忘れられないワインになった。

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もう一ヶ月間はおにぎりばっかり食べてた。

 自分の世界を貫き通すに、はあまりに色々厳しくて、私の遅れてきた22病は1年ほどで終わってしまった。哀しいかな。損得で考え出すとなかなか空想の世界にはいられない。思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしいけど、まあ、麻疹みたいなものだったんだろうなあ。

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