部活に入らなければならないという呪縛-逃げたいなら逃げて良い

今、部活動で上達しない、人間関係がうまくいかないなどと悩んでいる人たちがいれば、声を大にして言いたい。「周りの目は気にするな、今すぐ辞めろ」と。

少し、私の部活に関するエピソードを紹介したい。

「部活(運動部)に入らなければいけない」
なぜか、私の公立中学では、そんな風潮があった。
強制ではないものの、部活動の入部率はほぼ100%だった。実質強制というやつだ。

私も、当時は「部活は入るもの」と当然の如く考えていた。
どの部活に入るかは迷ったが、小学生の頃に硬式テニスを数年間やっていたことや、小学校からの友人が入ることもあって、ソフトテニス部に入った(硬式テニス部はなかった)。

一応、引退までの2年半続けた。しかし、はっきり言っていい思い出は何もない。

運動神経最悪の私は、これまで習っていたなんてことは何のアドバンテージにもならず、レベルはすぐさま同学年で一番下になった。
また、2年次には後輩にも抜かれた。未経験の後輩にも一瞬で抜かれた。

できない奴も、キツい練習をしなければならない。
やってもできるようにならないのに、やらなければならない。本当に地獄の日々だった。
また、できる人の応援なんて行きたくもなく、応援の際には、早く負けろ、帰らせろ、引退させろとすら思っていた。

当然、こんなレベルなので、いじめにも遭った。
同級生から仲間外れにされた。とにかく嫌われた。話し相手はほぼおらず、遠征の際も私は単独行動をすることが多かった。
特に遠征(しかも応援である)は苦行で仕方なく、一度何とか理由を付けてサボったのだが、その後の親と顧問からの集中砲火は凄まじいものだった。行っても行かなくても地獄という、本当によく自殺しなかったなと自分を褒めてあげたくなるレベルであった。

特に親は、それ以外にも「周りは部活のメンバーで休日に遊んだりしてるのに、何であなたはそれができないのか」「なぜ運動部に入っているのに、体育祭では目立たないのか、なぜ徒競走ではいつもビリなのか」と、とにかく責めてきた。
顧問も、体育教師だったので、できない奴の面倒なんて見る気はない。
私の味方はいなかった。小学生の頃からの友人も、もはや私の味方ではなくなっていた。人は簡単に裏切る、弱い方には付かないのだなと学んだ。私の"人を信用しない性格"はここから創り出されたのだと思う。
本当に地獄の日々だった。
27歳になった今でも、定期的に夢を見る。汗びっしょりになって目が覚めることも少なくない。

ただ、途中で辞めるわけにはいかなかった。
親が何か言ってくるというのもあるが、一番の理由は「内申のため」であった。
部活を3年間やっていることが内申でプラスになる、逆に途中で辞めるとマイナスになると言われていたのである。

幸い、私は勉強には苦手意識はなく、学業では常にトップクラスであった(が、これはあくまで地元の世界のみで、高校生になったら下の下まで落ちぶれるのである。ここはまた別の機会に書いていきたい)。
塾でも一番上のクラスで、特待生でもあった。
そう言ったことから、部活以外ではいじめに遭うことはなかった。(クラスには同じ部活の人はほぼいなかった。クラス数が多いのもあったが、顧問がいじめに気付いており、恐らくクラス分けの際は別のクラスになるよう仕組んでくれていたのだろう。こう考えると、何やかんや顧問は見ていたし、やはりクラス替えはよく考えられているなと思わずにはいられない。)
勉強でなら奴らに勝てる、だから大丈夫だ。そう言い聞かせて、私は部活を続けた。

結局、志望していた公立高校には落ちた。
内申は何の関係もない、併願の私立高校へ行くことになった。

一体、この苦行は何だったのか。
自問自答する日々が続いた。

反省を活かし、高校では部活に入らなかった。いわゆる帰宅部。
運動部の入部は頭の片隅にもなかったが、文化部は少し考えた。クラスメイトと共にいくつかの部を見学をしたこともあったが、結局は入らないに落ち着いた。

親からは「部活をやらなきゃダメだ」、学年主任からも「部活をやってる人の方が成績が良く、良い大学に行ける傾向がある」などと言われていたが、私の意思は固かった。もう、何があろうとこれだけは曲げる気はなかった。部活をやらないためなら、全てを敵に回しても良かった。「部活やるくらいなら死ぬ」発言までした記憶がある。

結果、高校時代は楽しかった。もう当時の人間関係はほぼ残ってはいないが、会えばきっと話ができる。楽しいと思う。部活なんてやってなくても、人間関係は作れるのである。
また高校時代の友人たちで遊びたいなと思うことも多い。男子校だったが、本当に楽しかった。

ただ、中学時代以前には戻りたくない。何のいい思い出もない。その原因は間違いなく部活である。
クラス自体は楽しかった面もあったのだが、やはり学生は部活の比重が大きくなってしまう。部活が悪いと全て悪くなる。少なくとも学校内で楽しみを探すのは無理だ。

成人式も、中学生時代の人間に会うのが嫌で仕方なく、前日夜まで「絶対行かない、行きたくない」と強く抵抗したが、親に言われて仕方なく出席した。式場には行かずカラオケでも行ってようかと思ったが、ひょっとしたら今会えば楽しいかもと思い始めた自分もいたのかもしれない。だが結果は当然の如く終始俯いて顔を隠し、隅で小さくなっていた。終わったらすぐに家に帰った。一瞬の出来事だった。
横浜市は大規模なので、身を隠すことは容易だった。助かった。
大学の同級生は皆「久しぶりの人に会えて楽しかった」「その後の同窓会が〜」「すごく楽しくて、そのあと付き合うことになった」などと言っており、次元の違いに圧倒されたのをよく覚えている。

そんなこんなで、部活動は良くも悪くも今後の人生に影響してくる。
当然私は仲間外れだが、今でもあの中学の部活の同級生たちは遊んだりしてるらしい。風の噂で聞いた。
なので、別に人間関係に不満がないのであれば続けるべきだ。同じ苦労を共にしたのであれば、それは大きな絆になる。

ただ、何をやっても上達しなかったり人間関係がうまくいかなかったりといった悩みがあるのであれば、逃げていい。苦しいことからは逃げろ。
周りの目なんて気にするな。今後の人生の方が長い。絶対に逃げた方がいい。
内申のためとか、そんなの気にしなくていい。それを上回るだけの別の実力をつけた方がいい。

残念だが、運動音痴の人間は、いくら努力したってできるようにはならない。ただ自分を追い詰めるだけだ。運動音痴は絶対に運動部には入るべきではない。
それをカバーできるだけのコミュ力があるなら別だが、偏見だが運動音痴にそんな能力はないだろう。
運動ができないと自己肯定感が身に付かないので、コミュニケーションなんて取れやしない。

部活が辛いなら逃げろ。
今後の人格形成に影響する。
どうせ、部活の内容で食べていける人なんてほんのひと握りなのだから。
社会人になったらみな同じだ。

親御さんも、子供が部活の人間関係で悩んでいるようであれば、辞めさせてあげてほしい。そして、責めないでおいてあげてほしい。
別に運動ができなかったりいじめを受けたりするのは子供のせいではない(もちろん親のせいでもない)のだ。

ただ、部活を辞めた後は、何でもいいので習い事だけはしておいた方がいいかもしれない。
人間関係が苦手なら、何か個人でできるレッスンのようなもの。
何か武器は身に付けておいた方がいい。絶対に役に立つ。

ここまで読んで、「これはいじめの話であって、部活は関係ない」と思うかもしれない。ただ、部活はいじめを招きやすいのもまた事実である。
特に運動音痴などの弱い立場の人間は、環境面から整えていくことを忘れないでほしい。

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