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子供を納得させられますか

なぜ本を読まなければならないのか?
とか
なぜ理系にも文系の勉強が必要で、文系にも理系の勉強が必要なのか?
とか
なぜ教養が必要なのか?

とか聞かれた時に、僕はこれらの質問に対してうまく答えることが出来ない。
必要なことはよく分かるのだけれど、論理的に子供を納得させられる説明が出来ない。

もちろん、こういう質問はもう随分長いこと擦られているものだから、教育業界の人や文化人みたいな人によってそれなりの回答が用意されている。子供に聞かれたら調べてそれをそのまま答えれば良いだけの話ではある。

たとえばなぜ数学を勉強しなければならないのか?という問いに対して、最も定番の回答は「論理的思考力をつけるため」だ。僕も概ね賛成ではある。
ただ、僕が子供の頃に親に「論理的思考力をつけるためだよ」と言われたとき、それをうまく呑み込むことが出来なかった。数学を学ぶことで、たとえば具体と抽象を自在に行き来する力がつくかもしれない。ただ、子供にとって問題なのは「数学が将来日常生活でなんの役に立つのか」ということの一点のみである。ここに論理的思考力だとか教養だとかはたまた具体と抽象だとかそういう概念を持ち込まれても、そもそもそれが何を意味するのかすら分からない。
子供の世界では、ただお釣りの計算とか、割り勘とか、距離と時間とか、図形の面積とかそのくらいを求められれば(つまり算数の技術で)問題ない。因数分解ですら日常生活には役立たないと思われている。

要するに僕らが子供に納得してもらう為には、数学が将来日常生活でなんの役に立つのかを説明する必要がある。
しかし、これは大きな問題があって、実際問題として大人になってからベクトルだとか何だとかを実用する人は本当に少ない。大抵の場合、高校数学を使う分野は限られるし、使われる数学の分野も限られている。解析学や統計はよく使われても、幾何や整数論はあまり使われないだろう。

これに対して、算数ではない数学が社会のどこに役立っているかを示すやり方がある。たとえば数学の教科書には三角比は標高の測定に使うとか、整数論は暗号技術に利用されているだとか、そういう事が断章ごとにつらつらと記述されている。これを見れば数学という学問が、単なる学者の趣味なんかではなくて、社会の骨組みをしっかり支えていて、日常生活の役に立っていることは理解できるはずだ。

しかし、ここで新たに「なら理系だけ数学すればいいのではないか」という問が発生する。理系が数学を学んで、暗号技術だかなんだかを開発すればいい話であって、文系が数学を学んでも役には立たない。ベクトルなんかいつ使うんだという話になってくる。「日常生活でなんの役に立つのか」という振り出しに戻ってしまう。おそらくこの問は、数学という学問は日常生活でなんの役に立つのか、ではなくて結局は一般人が数学をいつ使うのか、という趣旨のものなのだ。
さて、これに対する最近の主張として、たとえば社会科学は文系の学問だけれど、経済学や社会学やマーケティングをやるのに統計的知識、データサイエンススキルは必要である、みたいなものがある。情報化社会においては、ほとんど全ての分野で数学スキルが問われるというような話だ。

僕はこういう回答は実際あまり好きではない。統計や解析は数学の分野の一つや二つであって、数学という学問の本質を全て表している訳ではないからだ。ただ実際のところ「どんな仕事でも数学が出来ないと困る時代になったんだよ」としか、子供を納得させる説明は出来ないだろう。
三角比はいつ使うんだとか、そういう所まで子供に詰められたら、僕はこれ以上何も言うことができない。どうせ使わないだろうけど、学ばなければならないものだ。みたいな説得力0の説明しかできない。

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