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大悟の生姜物語 〜2章:高知編〜(Daigo's Ginger story 2nd @Kochi )


【自然界 高知県】


高知ってどんな印象ですか?
坂本龍馬や鰹が有名!だけど意外と行ったことないのが”高知"ではないでしょうか。沖縄には行くけど、高知はなぁ..という感じだと思います。
四国の中でも山々に隔たれた陸の孤島。全面積の84%が"山"という、自然が強すぎる世界「自然界」です。

東京の友人を高知案内して帰る際に「あぁ〜やっと人間界に帰れる…」って。
あれ?俺住んでるの人間界じゃないの?と感じた瞬間でした。

自然が強すぎるから、人間として驕ることなく自然に敬意を払い生きるのが高知の人々です。そして自然本来の美味しさを味わえるのも高知です。

なぜ僕が高知へ向かったか?
それは「生姜を学ぶため」です。全国の40%の生姜を生産しており、生姜=高知と言われるほどの名産地。農業未経験の僕ですが、ご縁があり高知のある生姜農家さんへ修行することになりました。

【自然栽培の生姜農家での日々】

高知県の中央にある「中土佐町」、その外れの上ノ加江という地域の農家さんにお世話になることになりました。平均年齢70~80歳という超過疎地…
住むことになった農家さんの家も、本人が"あばら家"というぐらいの中々年季の入った建物でした。水は井戸水。海直結の排水。
その建物の物置小屋を、部屋代わりに。

蚊帳を張らないと眠れない環境。ムカデが落ちてきたときは焦った…
外気温とほぼ変わらず夏は30℃を超え、冬は−5℃前後のときも。
よく2年間ここで寝泊まりしてたなぁ。

生姜農家のルミさんの指導の元、自然栽培での生姜農法を一から教えてもらいました。

農家のオーナーのるみさん(左)と一緒に働いてた響くん(右)
ちなみに夕食用にイノシシを捌いているところです。ウェルカム ワイルドライフ
自然栽培といっても決して放って置くわけではありません。
自然の力を最大限活かすため、
溝&畝つくりや、日々の除草、土寄せ、台風対策などやることはほぼ毎日ありました。

生姜栽培を通じて知ったことは、
生姜は決して自然に育つような自然に強い作物ではなく、
・適度な水はけ(水はけ悪いとすぐ病気に…しかも蔓延型。)
・温かな気候(5℃以下では腐ります。あれ???スーパーの生姜は冷蔵コーナーだけど?その秘密はここには書けないので会ったときにでも(^_^;))
・土寄せによる成長の促進(僕らが食べている部分は茎で、これは地上部に出ると成長が止まります。なので、土を被せることで勘違いさせてより大きく成長を)
・乾燥に弱い(湿度がある環境を好みます。なので、ご家庭では新聞紙に包んで更にビニール袋で覆ってください。)
等々…
簡単に育つと思っていたのに結構大変でした💦
でも、その分、無事に成長して収穫する秋の時期が心待ちで、大変だけど楽しかったなぁ。
夏場暑すぎて死にかけましたが。30℃以上の猛暑もざらにあったからなぁ。

ちなみに一番やらかしたことは、ルミさんのキッチンカーぶっ壊したことかな…仕事疲れで車高の高さ見誤って、建物に思いっきりぶつけて…
他には2トントラックで生姜運ぶとき、あえて縛っていないのを忘れて雪崩のように落としたり、軽トラを脱輪させたり。トラック関連多いな。

生姜を一から学ぶことが出来た貴重な2年間でした。
オーナーのルミさんは右の女性。元表参道の美容師。
左の男性は美味しすぎる米農家の津野さん。元自衛隊。

【四万十町と、生姜作品&店「醍醐」の誕生】

高知ではただ単に生姜栽培を学んでいただけでなく、
欧州に向けてのテストも兼ねて、生姜事業を始めました。
その屋号は【醍醐】。

"だいご"は自分の名前でもありますが、
この名は「話の醍醐味」「旅の醍醐味」というように"物事の最上の楽しみ"の意味を込めて、
そうなるべく名付けました。
出店は四万十町にあるお遍路寺「岩本寺」さんのご厚意のもと、
遊芸庵というお遍路さんの休憩所で畑が休みの日に出店させてもらいました。

高知は生姜の最大の生産地でありながら、
県外への輸出が主であり
実は生姜を食べる文化はそこまで根付いていません。
(少し裏事情の話をすると、高知県民は"生姜の農薬使用量"を知っているので、食べることを避ける人が多いのが事実です…)
だからこそ、ここで生姜の魅力を発信するの大事かと思い、
生姜を"脇役"に様々な生姜料理や生姜商品を開発しました。

生姜作品たち。左から生姜蜂蜜レモン、生姜チャイシロップ、生姜焼きのタレ、生姜塩
醍醐が産まれた岩本寺でのマルシェ。
ほぼ毎回参加させてもらい、ここで得た経験は今も生きてます。
自然栽培の美味しい玄米に、生姜具材をいれ
生姜塩をまぶした【生姜おにぎり】
1個250円なのに素材の良さを理解してリピーターになってくれる方が多かった!
※六本木散歩してたらどこかのお店のおにぎりは200円で「あれ?俺のほうが高いんや。笑」って。
でも値段の分、最高の素材でしっかり仕上げてました。その価値が伝わったのが嬉しい。
【ジンジャーココナッツカレー】
高知市内でカレーメインのマルシェがあり、その際に作った一品。
唐辛子や市販のルーは一切使わず、生姜と独自ブレンドのスパイスのみ。
カレーに本気のお店だらけの中、気に入ってくれるお客さんがいたのは嬉しかったなぁ。
生姜料理に限らず、生姜スイーツも。
なぜか台湾系のスイーツを作ることが多かったな。笑
生姜豆花、生姜芋圍、生姜ジェラートetc

生姜を脇役にしつつ色々な料理や作品を作れたのは楽しかったなぁ。
「どうすれば喜んでもらえるかな。こんな作品はどうだろう?」
一度だけの作品でも、そこには色々な想いを込めていました。

一番想いを込めて作っていたのが【醍醐の生姜蜂蜜レモン】です。

ウクライナ産の蜂蜜、自然栽培の生姜、イタリアの有機レモンのみで
仕上げた、シンプルゆえに素材がものをいう作品

以前は、砂糖たっぷりスパイスたっぷりでシロップを作っていましたが、
甘さが強い&スパイスで生姜感が隠れてしまうなどの課題があり
そこから改善したのがこの作品です。

※ただこの経験を無駄にせず、この子とは別軸で
有機砂糖&スパイスで仕上げた「生姜チャイシロップ」も人気でした。

生姜シロップって色々なものがありますよね。
甘みが際立ったもの、酸味が強いもの、生姜が辛いもの、スパイス感ふんだんなものと様々なタイプが。皆さん、どれがお好みですか?

生姜シロップが溢れている世の中で
「生姜シロップのスタンダードな品質を作りたい。X軸&y軸の中心にあるようなバランスのとれた品質。」という大それた目標を掲げ
【醍醐の生姜蜂蜜レモン】を生み出しました。
「甘すぎず、酸っぱすぎず、生姜すぎず
だけど美味しい。いつも飲みたくなる味」そんなイメージで試行錯誤を重ねました。ただし、素材は一切妥協せず、厳選したもので!

ご縁があり、四万十町の岩本寺さんで休みの日にお店を始めることになりました。勿論、作った当初は「これは受け入れられるのか???」不安でいっぱいでした。
当初は、売上がたった500円だった日もあります。
(岩本寺の仲良い尼さんがおにぎり2個買ってくれた日です。今でも覚えています。嬉しかったなぁ…)
ですが、諦めずに継続して営業することで、出店で1万&マルシェでは2~3万円の売上を得ることが出来るくらい認知度が高まりました。
(少ない売上かもですが、畑の合間でここまで出来たのは僕の中では大きな経験です。)

そして、素敵なご縁を頂いた結果、

右上が、JR四国さんを繋いでくれた恩人の宗崎さん。
また観光列車のファンの皆さんとも!

JR四国さんの豪華観光列車【時代の夜明けのものがたり】
にて"生姜蜂蜜レモン"の採用が決まりました!

観光列車内では、ジンジャーエールとジンジャーハイボール、ジンジャーホットレモン
などに昇華して現在も提供して頂いてます。有り難い限り…
子ども(生姜蜂蜜レモン)が採用された日には搭乗させていただき、
高知らしくふるまいをさせてもらいました。
我が子の活躍を目の当たりに出来た瞬間は感極まって涙が出そうになりました…

この時、生姜農家で働いていましたが
このように自分の力で企業と取引できる機会は、社会に個人としても認められたような会社員としては味わえない貴重な経験でした。(勿論周りの方々のご協力もあってです…😭)
他にもお世話になっている大好きな四万十町のお店や、東京の友人のお店で扱っていただいたりと、小さいですが形にすることができました。

そしてビックリしたのが、
リトアニアに旅立つ前に高知の友人に生姜作品たちを引き継いでもらったところ、いつの間にか販路が広がっていたことです…
友人の力もあり、作品たちの魅力もあり成せたことで、まだ無くすべき存在ではないんだなと認識することでもありました。

高知では、人の繋がりと
自分で動き出すの大切さを強く実感させられました。
そして高知が一番好きな地域にもなりました。(東京の実家も勿論居心地が良いですが、生きてる実感を強く得られたのはこの地であり、大好きな人もこの地に多いです。)

醍醐含めて、色々お世話になりすぎた岩本寺の住職 窪さん。
最後は岩本寺で寝泊まりし、お手伝いして過ごすことにも。
最期はこのお寺で供養してもらいたいくらい、今でも一番好きなお寺です。
四万十町でお世話になった方々。皆が個性豊かで優しくて楽しくて、、、
醍醐を出店させて頂いた遊芸庵で、四万十町の老舗店を継ぐお二方とも。
左はお米屋の岡田さん、右は羊羹屋の猪野さん。
地域の方と一緒に色々できたのは最高に嬉しくて楽しかったなぁ…
東京のシェアハウス時代の友人たちと四万十町の老舗で。右のコペイは、奇跡的に同時期ぐらいに高知へ移住した同世代の友人で、一緒に四万十町や高知市でのイベントを色々やらせてもらいました。自分と違う価値観と行動力にいつも刺激を受け、高知を旅立つ日には泣きながら別れたのを今でも覚えています。右のらんたろさんは、いつも自分のブランディングを心配?してくれる、そして導いてくれる素敵なブランドデザイナーで、東京から遊びに来てくれました。
四万十町で行われたビジネスコンテストの打ち上げ。
色々疑惑のあった審査でしたが、出場者同士は仲良く打ち解けて
終わった後はお寺で餃子パーティを。
高知生活の終盤にはなぜかご縁あって、土佐刃物を作っている黒鳥さんで
働いていました。
稼いだお金はそのまま土佐包丁に全換金。笑
高知の山の麓で土佐ジローという鶏を育てている尾崎さん。
ここの卵は、卵本来の味が最高に引き出されていて、
完熟ゆでたまごでも美味しい,,,(普段は完熟苦手。)
鶏もストレスがないのか、顔をうずめても全く臭くないんです。
色々概念が変わる卵との出会いを教えてくれた方です。
高知の母。(私達のことは高知でのお母さんだと思いなさい!と言われたので。笑)
いつも出店の時に遊びにきてくださり、また色々素敵な場所を案内してもらいました。
旅立つ前に高知市内でお店も開き、また行きたい…

他にも山で塩を作っている方や、生姜農家&ポールダンサーの方、ここには載せきれないくらい、様々な方と出会い刺激をもらい、成長できました。

高知は第二の故郷と言っても過言でないくらい、自然と人が最高の居心地良く大好きな場所です。
あぁ、、、書いているだけで恋しくなる、、、またここで過ごしたいなぁ。
とつい感傷に浸ってしまいました💦

読んでくださりありがとうございます。
次は、いよいよ欧州リトアニア編です。ではまた。

IKI:)







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