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普通ではない女

「普通の女」とは違う女。という裸にまとった見えない衣裳をそろそろわたしは脱ぎ捨てなければならないのかもしれない。

男社会で黙って男と同じだけ働く女。男の左脳言語でものを言う女。男たちに「だから女は」って裏で陰口を叩かれるヒステリーのメンヘラたちとは一緒にされたくない。マスキュリンな世界で生き抜くプロフェッショナルであらねば。女であることに言い訳してたまるか。

photo : Cate Blanchett "truth"(邦題「ニュースの真相」)※働く女の偉大なる先人の映画

極端に言えばそういう自意識で働いてきた、この10年。

でもなんか、そんなに肩肘張らなくてもさあ、という昨今である。

周りを見渡せば、才女たちはみんな結婚していった。子供を産んで、よく稼ぐ旦那と芝浦の高層階に住んで、軽井沢の洒落たフレンチレストランのシェフと一緒に写った写真をFacebookにあげている。きっと本当の意味での「できる女」の、勝ち上がり方である。

一方のわたしは。そんじょそこらの女より頭がいい気でいた20代の頃、その自分のアイデンティティを裏打ちする結果を残したくて、充血した目で、髪振り乱して、三食をデスクで摂取し会社のトイレで洗顔するなどして働いてきたわけだが、10年勤続のいまでも特段の肩書ももらえず、さらには愛した男の三股を発見して、未だ一人である。

や、そういう自分の人生には何の不満もないのだけど、10年間捨てられなかった「わたしはそのへんのどの女より頭がよくて気合が入っている」っていう自意識は甚だ、極めて、度を越した勘違いだったなと、はたと気づく秋の夜長。

やっぱり、元をただせば、大学入学とともに上京してびっくりしたんですよ。頭が良くて可愛くて、ちゃんとCanCam的服装をしている女の子たちの、なんと多いことよ。田舎の進学塾で爪に血が滲むほど勉強してギリギリ滑り込んだ最高学府にも、ちゃんとCanCamの格好をしている女の子たちはたくさんいた。いわんや、田町あたりの私大なんぞに近づこうものなら、卒倒しかねない。頭が良くて可愛くて男ウケするってなんだよ。反則の総合商社かよ。こんな、色気もくそもないわたしが、彼女たちにかなうわけない。生物として。

驚愕していったん居場所を失って、新たな居場所を、誤って会社に見出した。入社後まもなく、ちゃんと業績がついてきたのもいけなかった。わたしは、「顔や格好より、結果」というスタイルに自信を持った。

そういうしゃかりきなわたしを好いてくれる物好きな殿方もいたわけだが、みんな口を揃えて「おまえとは仕事の話ができるからいい」と言った。嬉しかった。ますます「他の女とは違う女らしからぬ女」というアイデンティティを背負い込んだ。でもそういう男たちは犬顔で巨乳の癒し系美女と浮気した。または、仕事のことで口論になってすぐ破局した。

「他の女とは違う女」。いつぞや、後生大事に抱えていたそのアイデンティティ。でも、それで何に勝てただろうと。というかそもそも、何と勝負してたんだろうと。

同世代の頭のいい女は結婚して、きちんとライフステージをアガっていき、勉強するなり自分でビジネス始めるなり駐在するなり会社に戻ってくるなり、思い思いに自分の新しいステージを構築している。下の世代の女たちは、肩の力の抜けた働きぶりで卒なく結果を残しつつ、ひとつの会社に骨を埋めるような古典的発想もなく、上手に自分のキャリアを分散させていたりする。

「働く女」という存在がすでに当たり前になっていて、その在り方や生き方が多様であっていい世の中なのだ。何も、ひっつめた髪とすっぴんで男と机を並べて徹夜しなくても、女性が女性らしく仕事をできるようになったのだと思う。(もちろん「昔に比べれば」)

今朝の「ぼくらの時代」は阿川佐和子、石田ゆり子、角田光代の対談だった。ひと世代上の、女の大先輩たちの生きざまが、手染め模様のように優しく染みていて、いろいろ考えた。

いま読んでいる西川美和監督の「映画にまつわるxについて」には、彼女の「女性である」ことに対する覚書のようなものが記載されていて、「女」という化粧をして生きる生きづらさのようなものに共感した。

度し難いことがこの世にはあると知った。自分が女に生まれたことである。(中略)私はいつしか自分の持って生まれた性に対してひしゃげた思いを抱くようになり、おんなのこ、おんなのこ、と自分の性別を強く意識せざるをえないような場所にはこちらから出向きたくない、という奇妙なこだわりが染み付いた。(西川美和『映画にまつわるxについて 2』)

敬愛する西川監督と自分を一緒くたにする気はないが、この部分には強く共感する。そしてその西川監督が最後にこう締めくくるのだ、

ああすてきだな、と女の人に対して思うことが、年々多くなってきた。

そうだなあと思う。女の中で突出してマニッシュである女しか、結果を残せない、なんていう謎の思い込みは捨てるときなのだろう。

「女」として生きる。幼少期から、男子に平気で蹴りをいれる蓮っ葉なお転婆娘だったわたしが、それなりに「女性性」に向き合い始めているのは、漸く、まもなく33歳を迎える秋をもって、なのであった。

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