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下町音楽夜話 Updated 013「時代の遺構」

部屋を片付けていて、積み上がっている古雑誌等に見入ってしまうのは趣味人の常だろう。オタクの性とも言うか。紙媒体の良さを知らない世代にとっては老人の戯言だろうが、自分の知識などはそういったものから得たものばかりなので、外出自粛となれば必然の儀式みたいなものだ。昔は本屋で過ごす時間が随分長かったが、自分自身のライフスタイルもつくづく変わったと感心している。雑誌「ぴあ」最終号からも既に10年が経とうとしているわけで、時の流れのはやさに絶句している。

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またひとつの時代が終わってしまった。雑誌の「ぴあ」が7月21日発売のもので最終号となった。1972年に創刊されてから、いつの間にか39年もの歳月が流れてしまったという。若者をメイン・ターゲットとし、貴重な情報源として長年機能し続けたが、とうとう時代の変化に飲み込まれてしまったというわけだ。今の時代、最新情報はケータイやPC経由でインターネットから入手するのが当たり前になってしまったが、少し前までは紙媒体も負けてはいなかった。

しかし、この15年ほどの間の社会構造の変化はあまりに大きかった。雑誌が最新情報のメディアとして機能していた時代は確かにあったし、我々の世代で雑誌のお世話になっていない人間などいるはずがないと思う。自分の生活にもしっかり入り込んでいた。「ぴあ」も20年ほどは毎週必ず買っていた。「本当にお世話になりました」と言いたいところだ。独身の頃、自分の部屋の片隅には常に「ぴあ」の山が築かれていたことがいまさらに懐かしい。

この「ぴあ」という雑誌を発刊してくれていた「ぴあ株式会社」は、なかなか侮れない企業である。従業員は300人強と決して大きくはないが、年商1千億円規模の一部上場である。最近、かなりの数の希望退職者を募ったと聞いているが、今後はどういった方向に進むやら、実は結構興味を持って見ている。

現在も代表取締役社長である矢内廣氏が中央大学在学中に起業したもので、学生起業のはしりと言われ、「いつまで続くやら」といった論調の企業情報も目にしたが、案外しぶとく時代の変化に適合してきた。いやむしろ時代の変化をリードしてきたという見方もできる、情報サービス産業の中核企業である。ムックにしろ、「ぴあMAP」や「グルメぴあ」など、いろいろお世話になった。オンライン・チケットの手数料がかなり高いので、本当なら文句の一つも言いたいところだが、新しいビジネスモデルを開拓し続け、ちゃんと軌道に乗せてきたことに関しては尊敬すらしている。

1980年代中盤、「チケットぴあ」のサービスを開始してくれたときは本当に有り難かった。それまでは赤木屋などのプレイガイドの窓口に朝早くから並んで買っていたのだが、電話でとれるようになったからだ。就職したらさすがに並んでチケットをとることは難しい。自分は東京から離れないで済むということを唯一の理由に今の職に就いたのだが、当然ながらそれはコンサートに行きたいからということを意味している。ここ数年はペースが落ちたが、目的どおり20年以上もコンサートに通い続け、「チケットぴあ」のお世話になり続けたのだから、自分の人生に多大なる影響があったと言えよう。

もちろん他にもチケットを入手する方法はあるが、「チケットぴあ」がお手軽で間違いも無かったので、利用し続けてきた。インターネットの時代になってからも、オンラインによるチケット販売に移行し、先行予約になってからは、発売日の朝10時過ぎにリダイヤルし続ける面倒もなくなった。本当に自分は大きな恩恵を被った。

以前は何種類もの雑誌を定期購読していた自分も、21世紀になってからはどんどん減らしてしまい、ここ数年は英語の勉強のためにとっている海外の雑誌以外は一つも定期購読していない状況だ。一時期は「シティロード」が気になって仕方がない時期もあったが、やはり映画好き、音楽好きにとって、総合的なサブカル情報源は「ぴあ」以外にないだろう。

一方で「チケットぴあ」には許し難いこともある。それはチケットを打ち出しにしてしまったことだ。それまでのバンドのロゴなどをデザインしたチケットは味があってよかった。チケットをとっておく気が失せてしまい、1984年のチケットは捨ててしまったようで、一枚も手元に残っていない。自分にとって、デザインされたチケットの最後は、1983年11月17日、中野サンプラザでのクォーターフラッシュの素敵なライヴのものだった。打ち出しものの最初は、1985年2月4日、同じく中野サンプラザでのクワイエット・ライオットの猛烈なライヴであった。あのライヴ、短かったが「カモン・フィール・ザ・ノイズ」の大合唱は、一生忘れられまい。

ところで、雑誌の「ぴあ」で印象に残っているのは、「はみだしYOUとPIA」だと言ったら笑われるだろうか?読者参加型という側面からも、その限られたスペースの活用法からも、ツィッターのさきがけとさえ言われているこの欄外の奥深い世界は、あの雑誌の価値を一段高めていたように思う。また表紙のイラストも忘れられない。毎号まず車輪小僧を探したものだ。この雑誌の表紙は、1975年から36年間の長きにわたり、現代の浮世絵師、及川正通氏のイラストで通してきた。このイラストは、自分のポップ・アート好きに多大な影響を与えたことは確かだろう。

最終号は、この及川氏の表紙イラスト1300点を掲載している。愛着のある人間なら、この号を買わずにいられるかと思うではないか。ところが発売日にはどこもかしこも売り切れ状態、Amazonのマーケット・プレイスでは、発売日の時点でプレミアまでついていた。まったく…。「えっ、私?」当然買いましたよ、3冊ほど。おじさんは紙媒体が好きだからね。保存版も欲しいし…。ああ、これでまた我々の時代がひとつ終わってしまった。青春の思い出などという気もないが、我々の時代の遺構が失われていくのは、何とも寂しいものである。

(本稿は下町音楽夜話474「「ぴあ」最終号(2011.07.23.)」に加筆修正したものです)

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