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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : どうしたものか…

カフェめし屋をやっていて、キッチンで考えることというと、どうすればお客さんに喜んでいただけるかという視点でのことばかりです。「美味しかった」と喜んでいただけるのがイチバン。それは動かしようがない中心線だと思います。ただ、自分の場合は、このハコを使ってどうアウトプットしていくかという表現者的な視点も持っているわけで、ローカル・カルチャーの話題であれ、音楽の話題であれ、アウトプットしなければやっている意味がないという思いがあります。これは飲食提供が主目的の一般的な飲食店経営者と違う部分かと思います。

結局コロナ禍で人を集めるな、密になるな、ということが言われ始めた時点で止めておけばよかったのかもしれません。それは自分の持つコンセプトの根幹部分を否定することですからね。メタバースが一般的になればまた違うかもしれませんが、料理を楽しんでいただくことをヴァーチャルで実現することは不可能ですし、だいいち冷めちゃったら美味しくなくなるメニューばかりです。また、どれだけ高性能なPCやIT機器で聴いていただいても、「これ、いいですぜ」と私がお客さんにおススメするアナログ・レコードの音を再現することは不可能なんです。ウチのお店、不思議なほどスピーカーとの相性もよく、いい鳴りしていますからね。

お店というハコを使って自分がやろうとしていたことと、ラジオ番組で発信していることは、そういう意味では根本的に違っているわけです。ラジオはリスナーが何人いらっしゃるのか判らない状態で、不特定多数に向けて発信しているわけで、自分のトーク・イベントとは似て非なるもののようです。お題を決め、選曲して、曲の背景を調べ、聴きながら解説するという、やっていることは同じですから、自分も勘違いしているのかもしれません。

最近、「もっとリスナーに寄り添った企画もあってよいのではないか」ということを言われておりまして、少々悩ましい思いをしております。ようは「ベタな選曲で行け」ということなんでしょうか。「それなら他の人でもできるじゃん」と一次的には思うわけですが、別に「自分にしかできないことをやれ」と求められているわけではないんですね。だから「はい、そうですか、ではそうしましょう」と受け入れればいいんでしょうけどね。

元々大きな組織に長いこと勤めていたので、こういう話はお得意なわけです。自分色を出し過ぎると、人事異動となった際、後任が困ることになるんです。役所のお仕事なんぞ、特に個人的な才覚などは排除すべきところがあって、個人の力量云々ではなく、安定稼働させることが最優先ですからね。仕事ができる上司がいても、複層的な視点からみて「大丈夫かな、この人」となるこもあって、シンプルに尊敬の対象となり得ないところが不思議な組織でしたからねぇ…。さらに例えていえば、Accessで管理するとラクだなと思う仕事があっても、Accessは使ってはいけないんです。面倒でもExcelでやるんです。少しでも使えない人がいないようにする工夫、堤防理論的な全体の底上げが優先するんです。やれやれというやつです。

ラジオはベタな選曲を少し増やしたりしながらやればできなくはないです。これは自分の裁量にかかっている話なんでしょう。スポンサーへの忖度等があるわけでなし、ベタな選曲の方が時間もかけずに準備できますから、残り少なくなってきた自分の時間を有効活用する意味でも、アリの選択肢かもしれません。せっかく他所ではかけられないものがかけられるのに、勿体ないという気もしますけどね。

結局のところ、そろそろ店をたたむ準備を始めた方がいいのかという気もしています。せっかく予定よりも長くやってこれた店ですから、こちらも勿体ない気がします。でも国や東京都が求めていることを受け入れた場合、成り立たないということも事実ですからね。飲食店経営の話は、食の安全にもかかわっていくので、安易な考え方はできません。そこが難しいところ、悩ましいところでしょうね。老後の楽しみという面からすれば、まだしばらくやっていたい気もしますが、さあ、どうしたものか…。

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