見出し画像

下町音楽夜話 Updated 001「人生は一度きり」

カナダの西海岸近くの地平線まで真直ぐな道を、流すという程度のスピードで走っている車の中で聞こえてくるのは、大抵がガース・ブルックスやウィリー・ネルソンなどの少々古めのカントリー・ミュージックだった。ペキペキと乾いた音のギターやフィドルが奏でる音楽は人懐こく、耳に残る余韻が何とも心地よかった。あるときはジョン・ウェインによく似たオヤジさんの鼻歌とともに、あるときは素敵な女性の顔に似合わぬハスキーな歌声とともに。カナダではよく出くわした光景なのだが、日本ではまずお目にかかれない18輪トレーラーの巨大なホイールが脇を追い越していくとき、通常はBGMがかき消されてしまう。しかしカントリー・ミュージックは中低音よりも高音が強いせいか、メロディーはしっかりと追えるのである。

ベルリンの壁が崩壊し、世の中が騒然としていた頃、研修という名目でカナダに行けるという上司の誘いに、二つ返事でOKと言ってしまった。その時はたった3年の結婚生活に終止符を打った直後で、ただただ現実から逃避したかっただけだった。きっと上司も日々呆けている自分を見兼ねていたのだろう。いざ行くとなると、必死になって英会話を勉強した。少々の不安を抱えながらも行ってみると、ヴァンクーヴァー郊外の姉妹都市サレーでは意外にも流暢な英語を話す人間が少なかった。アジアとヨーロッパからの移民だらけで、みんな簡単な単語だけを並べた英語をゆっくりとしゃべった。みんなが「お前は英語がうまいな」と言った。そしてみんなが「アメリカが嫌いだ」と言った。研修のプログラムは無難にこなすことができたものの、現地の日本人との交流や、優しすぎるカナダ人にうまく対応できず、苦しんだ日もあった。

まもなく研修プログラムが終了するというころ、高級レストランで巨大なアルバータ牛のステーキを頬張りながら、半端でなくリッチなホームステイ先のオヤジさんが、言いづらそうに切り出した。「…養子にならないか」と。「お前なら、この国でも十分にやっていける」と言い、その理由を早口でまくしたてる彼には娘が2人いるだけで、事業を継いでくれる息子がいなかった。自分と一緒に事業がやってみたいと言ってくれた。

唖然としている自分がよほど間抜けな顔をしていたのか、吹き出すように笑い出し、「今すぐに返事をしなくてもいい、日本に帰ってよく考えろ」と言ってくれた。それからは、まともにオヤジさんの目を見て話すことができなくなった。帰国するまでの2・3日がとても長く感じられた。カナダを発つ日、オヤジさんは体調が悪く、なぜか一回り小さく見えた。結局ありていなお礼を言うことしかできなかった。奥さんには、心から感謝している。本当にいろいろと気遣ってくれた上に、自分の下着まで洗濯してくれた。知っている限りの感謝の言葉を並べてきた。感謝の気持ちが伝わっただろうか、今でも心配だ。

帰りの飛行機の中で、カナダ人のフライト・アテンダントからアタックされた。ありがたいことに機内は半分程度しか席が埋まってないという空き具合で、大柄な自分を気遣ってのことか、一人のフライト・アテンダントが足を伸ばせる席に移してくれた。そこは離着陸の際にスタッフが座るところでもあり、キッチンのすぐ近くであった。成田に着陸する2時間ほど前から、当の彼女が隣の席に座り、自分の腕を抱え込むようにして、ネホリハホリ質問してきた。仕舞いには国際結婚をする気はあるか、とまで訊いてきた。そういった状況下でなければ違った対応もできたかもしれないが、困り果てた顔をするしかなかった。

着陸後、成田空港の税関の列の最後尾に並んでいると、スタッフ用のゲートの方に向かって仲間たちと一緒に足早に歩いて行く彼女が見えた。仲間の一人が自分に気がつき、彼女に何か話すと、彼女もこちらに気がつき、両手を大きく振って満面の笑顔で投げキッスを送ってよこした。自分も片手で投げキッスをお返しして手を振った。彼女は仲間の一人と抱き合うようにして、はしゃぎながら去って行った。少しは気の利いたリアクションができたかなとも思ったが、慣れないことをするときは決まってブザマな自分を思い出し、慌ててあたりを見回しながら、顔から火が出る思いがした。彼女のあまりの明るさに救われた気もするが、一生忘れられない光景として目に焼きついた。

カントリー・ミュージックの陽気な音を聴くと、車の窓ガラス越しに追い越していく巨大なホイールと、航空会社の制服を着た彼女の陽気な笑顔が重なるようにして思い出される。あまりに非現実的な自分の過去に、自分を慰めるような、もしくは言い訳をするような気持ちとともに。もちろん、自分は今もこの東京の下町で暮らしている。地元の役所に30年弱勤めたのち、清澄白河でカフェなんぞを始め、忙しい日々を送っている。カントリー・ミュージックをBGMにして広々とした大地をのんびり走るのは大変心地よいが、その一方で3つ先の信号が赤になるのを見て見ぬふりしながらアクセルを踏み込み、BGMは混沌としたフリー・ジャズというのも捨て難い。典型的なフリー・ジャズではないが、ソニー・ロリンズの「イースト・ブロードウェイ・ランダウン」あたりが、この際最もイメージに合っているか。カオスの音の洪水に身をまかせていることの心地よさよ。60年も生きていればいろいろあるさ。「人生は一度きり、楽しまなくちゃ」と口ぐせのように言いつつ、どうしても複雑な面持ちになってしまうのは訳があるらしい。

画像1

(本稿は下町音楽夜話001「BGMはフリー・ジャズ」に加筆修正したものです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?