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続・下町音楽夜話 0328「ものの価値」

緊急事態宣言続きのせいか、相変わらず鬱々とした気分で過ごしている。いい音さえ聴いていればゴキゲンな人間なので、ここまで機嫌の悪い日々が続くことも珍しい。昔なら気晴らしにドライヴでもと言いたいところだが、そういうことも憚られる。店の売上がどうのという話になれば、先行きの不安からどうしても不機嫌になってしまうが、店はそこそこ混んでおり、ずっと不安が続くわけでもない。

むしろマスクもせず、パーテーションを勝手に外してしゃべっているような馬鹿者どもが来ることが腹立たしい。迷惑行為として警察に通報したいところだが、警察もこの暑い中、くだらないことで呼ばれても困るだろうからしない。ただし「パーテーションが嫌なら出ていけ」ということは言う。飲食店経営者がどんな気持ちでこの不快なアクリル・ボードを設置しているか考えて欲しいものだ。実に腹立たしい。

結局のところ、レコードの仕入れなどで憂さ晴らしをしているが、こちらもそうそう気分がよいことばかりではない。店のレコードも買ったばかりのものに結構な傷がついていて落ち込んだり、期待外れの盤などもあって、一概に楽しい作業となっているわけではないのだ。一方、先週からいくつかオークションで落札したものがあり、次々届いているが、これに関しては予想外の収穫とも言うべきものが多く、むしろ申し訳なくなってしまうほどだ。出費は抑えつつ、随分いい仕入れができた。特に古い7インチ盤のセット・オークションの箱に全く期待していなかったジャズものが数枚含まれており、これは嬉しかった。ディジー・ガレスピー、チェット・ベイカー、ゲッツ/ジルベルトあたりの7インチ盤など見たこともない代物だ。しかも盤質も悪くない。

また、ハーブ・アルパート&ティファナブラスの7インチ盤も嬉しかった。こちらは「ア・テイスト・オブ・ハニー」や「ビタースウィート・サンバ」などの定番曲が意外に手に入らないのだが、恐ろしくコンディションのよいものが入手できた。こちらは、どうやったら50年以上も前のレコードをこんなにいい状態で保管できるのか、不思議になるほどだった。不気味とでも言いたくなるクオリティで、むしろ呆れている。

さて新入荷が届けば、不思議と貰い物も増えたりする。常連さんから頂いたものもあるが、笑えるのがスペーサーである。いくつかまとめて落札した箱の中に、見覚えのないボックスが2つ入っているので間違ったかと思ったが、しっかり「スペーサーです」と書いた紙が添えてあった。なんと中身もしっかり入っているボックスをスペーサーに使っているのだ。ものはかぐや姫。どういうわけか、同じものが2つ入っている。「伊勢さん、こうせつさん、ごめんなさい」といったところである。

古いレコードに勝手な値段を付けて売っている身としては、タダというのも考えさせられるが、仕入れ値も随分粗いものがある。その一方で、猛烈に高額のお値段で競り落とされるものもあるのだから、考えさせられるのだ。いったいどこにそれだけの違いがあるというのか。先日ウォッチしていたデヴィッド・ボウイの「スペース・オダティー」、すなわち彼の代表曲「スペース・オディティ」の一回目にリリースされた1969年の盤が、最終的には668,000円で落札されたのである。この盤、別口も上がっていて、スタートが85万円ほど、即決価格は200万円なので、66万は安かったというべきなのだろうか…。それにしても、7インチ・シングル一枚のお値段だろうか?

他にもビートルズなども80万円台スタートのオークションがあったりするが、こういうものはどこにその価値を見出しているのだろうか?レアはレアだが、それにしても高い。音そのものは再発盤やLPでもさほど変わらないクオリティで聴くことができる。したがって聴くためではなさそうだ。もちろん所有することに意味があるのだろうが、その盤を持っているから凄いファンだと認められるのだろうか?なんだかそれも違う気がする。結局、歴史的にみて重要な盤であることは判るが、その側面で活用する機会がおありなのだろうか。文化センターの講座の講師でもやるならまだしも、知人友人に自慢する程度なら、むしろ無いほうがよさそうな気もする。

レコードの価値は単に音楽等を再生するにとどまらず、ジャケット・アートなども含め、所有欲を満たしてくれるものである。それを対価という物差しで見たときに、2枚のLPレコードが入ったボックスがタダ(しかも2つ同時)というのも寂しい気がするし、シングル盤一枚が何十万円もしてしまうことにも驚き以上に疑問符噴出の理解不能な感覚が伴うことになる。全くマニアックな世界の経済は、一般消費経済からかけ離れたものだと理解はしていても、限界を超えないようにしたいと自分を戒めている。

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