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しょうがのむし、創業のきっかけ

創業のきっかけは、妻との生活でした。
(病気だったけど生姜を飲んで健康になった、という話ではありません笑)
代表の周東孝一(以下、私)の妻は台湾出身です。

30代前半だった頃の妻
(嘉義の実家で端午節のちまきを包む)

二〇一七年の旧正月、妻の実家へ帰省したとき山積みになった生姜が私の目に飛び込んできました。あまりに大量だったので、どうしたのかと聞いたところ、農家からのお裾分けであるとのこと。使い道に困っていると言われた私は、どうにか大量に消費できる方法はないものかと考えました。その時、昔バーで飲んだことのあった「ジンジャービア(発酵ジンジャーエール)」の存在を思い出し、インターネットのレシピを参考に造ってみたところ、親戚やご近所から「おいしい!」と絶賛されました。

2017年に初めて造ったジンジャービア
(かなり飲んだ後なので瓶が汚い)

台湾では(特に田舎では)普通のジンジャーエールでさえ知名度が低いため、台湾人にとっては初めて飲む味わい。抵抗があるかもしれないと思いましたが、意外にも飲んでくれた全員が「おいしい」と言ってくださり、これはすごい飲み物だと思いました。

台湾で唯一手軽に入手できる
ジンジャーエールはシュウェップスでした

帰国後、私はそんなことはすぐに忘れて元通りの日常を過ごしていました。私は小さなころから植物、特に食べられる草花や木の実が好きで、自分でもよく育てていました。もちろん野菜も大好きで、土曜日になると妻と毎週のように自宅から数kmほどの「見沼田んぼ」の農家の元へ通い、採れたての野菜を買い求めていました。
しかし秋になったとき、いつも通り農家の元へ車を走らせていると、ふいに一枚の畑の存在に気が付きました。毎週毎週、同じ道を走っていたから気付いたのです。

さいたま市に横たわる見沼田んぼ

そこには春にも、夏にも、秋までも、何も植えられていませんでした。
「うへぇ、これが休耕地ってやつか…」一度その存在に気付くと、もう止まりません。そういえばこの畑も、あの雑草だらけの場所もそうだったのか、と至るところに休耕地があるのが目につくようになりました。こんなに土地が余っているなんて、もったいない!土地を所有したことのない私は安易にそう思いながら、自分だったら何を植えるか、と思いを馳せました。

すると、農家さんの言葉を思い出しました。「この辺りは昔よく生姜を植えていた。通船堀を通して、江戸に出荷していたそうだよ。」という言葉です。その生姜というキーワードから、台湾での出来事が頭をよぎり、休耕地、生姜、ジンジャービア、、どんどん繋がっていきました。

もしもこの休耕地で生姜をつくってもらい、それを買い取ってジンジャービアを造り、販売すれば・・・休耕地は減り、農家の収入は増え、私はいつでもおいしいジンジャービアが飲め、自分の生業にもなり、名産の少ない地元埼玉県にも貢献できるのではないだろうか・・・
それからは寝ても覚めてもジンジャービアのことが気になって、メインで営んでいた翻訳会社そっちのけでジンジャービアについて調べ、それでまた興味が湧き、さらに調べる、という連続で、気が付くとビジネスプランを立てて借金をして醸造所を造っていました(笑)

2021年7月に竣工した醸造所
ビールのブルワリーに近い設備

補足
気付いたら醸造所を造っていた、なんて簡単そうに書いてしまいましたが、アジアで初めてのジンジャービアの本格的な醸造所でしたので、右も左も分からず、誰に聞いても何もわからず、何もないところからのスタートだったので大変でした。あまりに大変だったからか、操業を開始した2021年の夏の記憶はほとんどありませんが、限界を突破している私を見兼ねた、たくさんの優しい方々が手伝ってくださったおかげで、なんとか今も継続できています(笑)

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