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映像と山水とミニマリズムとGifと、あとそれにマイノリティともしかするとゲーム


こんにちは、近藤銀河です。

最近私は短い映像を作るのにはまっています。無限にループする、本当に短い時間を永遠に繰り返す映像。

今回はそんな私の映像の話を山水とミニマリズムとGifと、あとそれにマイノリティの話を、実際の作品と一緒にしていきます!

ループする作品なのでぜひ、動画の上で右クリックしてメニューを開いてループさせて楽しんでください♪


なんでループするの?ミニマリズムとGifと共感性


こちらは私が一番最近に作った作品です。

駅で電車を待つ間、ふと感じた感覚をそのまま形にした作品。駅で聞こえる様々な言語と、見かける様々な言語、そしてニュースの掲示板。それを手掛かりに私が見ることのない、見せられることのないニュースを重ね合わせました。

よく見ると、手前に動かない影が落ちていますけど、これが車椅子に乗って電車を待っている私です。


短い繰り返しを続ける映像は、ネット文化の初期から存在していて、それは常に独自のミーム(あるコミュニティで共有されるある種の流行フレーズ)を生み続けてきました。

もっとも初めの動画、ゾートロープや映画の最初期段階であるキネトスコープもこうした繰り返しの映像でした。

今ではInstagramでもこうした映像は使われ、検索欄を見ていると、種種のCG映像やら日常の映像やらが目に飛び込んできます。

なぜでしょう?私はこうした映像が大好きでした。それらの映像は、数回繰り返せば、もう何も新しいことが起きないのがわかります。そしてその先の繰り返しでも、常に同じことが起きるのです。

でもそれってどういうこと?

60年代から始まった現代芸術の運動にミニマリズムというものがあります。

画像1

Google画像検索結果より


こうした運動では「一度に全体を見渡し、その構造を把握できること」つまり、予測可能で全体が統合されていてある種の規則や単純さによって作られていることが重視されていました。

私は前に言った、繰り返す動画の魅力も同じところにあるのではないかな、と思っています。短い動画を繰り返し見るうち、見ている私はすべてを把握し、統合された全体として時間を見ることができるのです。

まるで時間を操り真理を知る魔法使いのように。

それにもう一つ、こんな話題もあります。デイリーテレグラフ誌は女性がGifのエロティックな映像を好む傾向があることを伝えています。それは短い映像が生む共感性移入性によるものではないかという分析もあります。


LGBTsのイベントTokyo Rainbow Prideに合わせて作った映像作品 背景の六色の虹はLGBTsの象徴のレインボーフラッグ 階段の色はバイセクシャル、パンセクシャル、トランスセクシャル(ジェンダー)のフラッグから 

山水画とのかかわりとマイノリティ性

こうしたループ映像の移入性、共感性と、全体を知る感覚は山水画に似たものもあると思うのです。

昔の人たちは山水画を見るとき、描かれた画中の旅人を自分のアバターと捉え、その人物になったつもりで画中の山水の風景を旅しました。

その感覚、瞑想性はループ映像のそれに少し似ているようにも思えます。繰り返されることで静止に近づく映像と、静止から生まれる映像。

山水に描かれる主人公も、山水を眺める人々も、かつては士大夫と呼ばれる高級官吏やそれに類する知的階級の力を持ったマジョリティたちがメインでした。(むろん女性が関わることも少数ありました)

それは少し現代的な世界からほど遠く、私は主人公たちをマイノリティと呼ばれがちな人々にしました。美術や物語の中であまり扱われない人たち。

これには理由があります。アメリカのLGBTsを扱った短編小説アンソロジー『How Beautiful the Ordinary: Twelve Stories of Identity 』の序文で編者は

本のページの中に自分の反射を見出す事は読書をする大きな理由の一つ、になるかもしれない。自分が一人ではなく、あなたが──あなたが恐れるように──たった一人の孤独な種族でない事を見出す事は、なんという安らぎだろうか。けれどもし、図書館いっぱいの、本の中の自分の姿を求めて探し回り、なのに結局、探索が無駄に終わったとしたら、どうだろう?それが、あまりにも長い間、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス、の若い人々が立たされてきた苦境だった。

と述べています。私はこの文章に出合った時胸を撃たれました。まさにこれは私のことだったからです。私は自分のいない表現の世界の世界で飢えて死にそうになっていたのが昔の私でしたから。

この機能は美術でも変わらないでしょう。そこに自分が自分と似た属性の人が表現されているのを確認するということ。それが社会と文化の中に存在するの見ること。それは断たれがちな社会とのつながりを取り戻す行為であり、鏡像を通して自分のアイデンティティを確認する行為でもあります。


上野を舞台にした作品 戦後、上野が男娼の森と呼ばれていた時代、警視総監とカメラマンが宣伝目的で視察に訪れた際、女装者たちと衝突した事件がモチーフ


ゲームとリアルタイム


こうした作品のすべてを、私はゲーム制作用ソフト「Unreal Engine 4」(以下UE4)で作っています。

ドラゴンクエストの最新作やファイナルファンタジーのリメイクなど、超大作にも使われるこのソフトは現在無償で配布されています。

山水画の《移入》《想像》《風景を歩く》という要素が、ゲームのそれと近く思えたのがこのソフトを使っている理由の一つです。

またゲームでは、近景と遠景の遠近法関係は実は破たんしています。遠いものは詳細に描画したり立体的に描く必要がないので、板でできています。こうした近景と遠景の遠近の乖離も、実は山水画的要素です。

Youtubeにアップされた動画はそうではありませんが、これらの映像はすべて本来リアルタイムに生成されるものです。繰り返される映像はどれもランダムな要素を含むため、その映像の世界は常に一瞬一瞬計算され、その場で生まれているのです。

もちろんそんなものは嘘っぱちで、多くのものは事前に計算されたものでできています。でも、その目の前で起きていると錯覚させてくれる性質がライブアクション的、ハプニングな感じがして私は好きなのです。


私がかかっている病気ME/CFSの啓発用動画 画中に描きこまれた漢詩は夏目漱石が病に伏せった時に詠んだ詩



画面を明るくしてお楽しみください Eye adaptationと呼ばれる生理機能(明るいところから暗いところに入ると初めは暗いけど次第に明るく感じられるようになるあれのこと)を扱った映像 赤いランプがついて照らされている間は風景や建物に描かれたスローガンは見えない


おわりとおまけ

ふんわりといろいろ語ってきましたけど、特に結論めいたものはありません。この作品群は今後も増えていく予定ですし、ここで考えてきたことはこれからも考え戦っていくことです。

ただ、現代の芸術作品が(過去のそれも含めて)、現代の社会や政治と関わり過去の美術の歴史と関わり、文化と関わる複合的なものなんだな、と何となくわかってもらえたら幸いです。


ここからはおまけ、というか押し売りのコーナーです。

以前、新丸の内ビルで展示を行った際に出展した三作品(うち一個はME/CFS啓発動画のベースとなったもの)の映像をYoutubeの限定公開(URLを知っている人しか見れない)でアップロードしています。この後ろにそのリンクを掲載します。

三つの映像は展示のクラウドファンディング(リンク先にも詳しい企画意図などが載っています)のリワードとして販売したものです。

ので

ここから先は有料販売にさせていただきます。

現代芸術に何となく触れた後に「買って所有する」という現代芸術の根幹にも触れていただけたら、という次第です。

よろしくです!


近藤銀河

アーティスト文筆家 ジェンダーやフェミニズム、マイノリティ的なことを考えながら研究と創作をしています。

映像や文章、写真のお仕事も募集中です。もし私の考えに共感してくださったり、映像を見て気になった肩がいらしたらご連絡ください。

Twitter https://twitter.com/SpiralGinga

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