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「好き」を続ける難しさ
勉強が好きだと心から言えることに心底驚いているGingaです!!
そろそろ好きとか嫌いとかで勉強やる時期は終わってしまう頃でしょうが、改めて「好きな」勉強をしている実感を得たいと思いながらこの記事を書いてます!!
では早速行きましょう!!!
どうして勉強するのか
高校までに習った勉強って社会に出ても使うのだろうか?
もちろん教師のような直接的な職業を除いてだが、自分の中ではそんなに活かされるものは無いと思っている。
せいぜい数学で習う計算とか長い分を読むという意味では現代文ぐらいだろうと半ば本気で思っている。
現実として、大学に行かず、高卒でそのまま就職する人は全国の高校3年生のうち半分だ。
言い方は悪いかもしれないが、その半分の方々は受験勉強などという面倒事をしなくとも問題なく生きているのだ。
ではなぜ勉強するのか、その答えは「人生を豊かにするため」に他ならない。
もちろん高卒で働いている方だって充実した人生を送っていることは承知の上だ。
言葉選びが悪いが、そういうことだ。
英語を学べば好きな外国人スポーツ選手のインタビューやどこかの国の大統領の演説がテレビの字幕を通すことなくある意味「生の声」が聞ける。
政経を学べばニュースの最後に出てくる株価の数字が意味を持つものになる。
生物を学べば自分の体について深く知ることができ、効果的なトレーニングができる。
地学を学べば、砂浜に転がる石ですら意味を持つものとなるのだ。
もはや生物や地学の話は趣味レベルの話である(恐らく日本史もそうだが)。
勉強なんてそんなもんだ。
自分は長いこと野球をやってきたが、なんで野球なのか、なぜ好きなのか、なぜ続けられたのかと聞かれると意外と答えにつまる。
ただ「好き」という気持ちだけでやってきたような気もするが、それだけで11年も続くというのも不思議なものだ。
好きな物に理由なんてない。
こうして深いことは考えないで勉強していくうちに人生が豊かになっていくんだと思う。
好き≠楽しい
では好きなだから楽しいのかと言うとそういう訳では無い。
好きなことでも楽しくないとか、面白くないとか感じることはいくらでもある。
自分が高校球児だった頃のポジションはキャッチャーだったのだが、かつてこんなことがあった。
練習試合の9回に守備固めとして10点リードの状態から送り出された。
この時自分と同時にピッチャーの交代したのだが、そのピッチャーが調子が悪かった。
キャッチャーというのはピッチャーが投げる球を決める「配球」をしたり、打者や風を観察して守備位置を指示したりと結構試合を動かす司令塔の役割を果たす奥の深いポジションであるのだが、ピッチャーが配球通りに投げられないとなればどうしようもない。
とりあえず思い切り投げろとジェスチャーを送るもののやって来る球はボール球ばかり。
四死球でランナーを溜め、苦し紛れにストライクを取りに行った甘い棒球をかっ飛ばされるなんてことが延々と続き、10点のリードがじわじわとなくなっていく。
たまに打者のミスで打ち取った打球は守備のエラーでアウトに取れず、気づけばその点差は1点になった。
最後は何とかリードを守ったが、終わってみればこの1イニングで9失点。
高校野球をやってきた中で唯一本気で泣いたし、ひたすらに辛かった。
長くなってしまったが、こんな状況で楽しいということはないということだ。
野球は好きでもそういうことがあれば楽しくも面白くもないし、負ければ悔しい。
勉強だってそうだ。
ある問題に躓いたら悔しいし面白くない。
それでもやめないのは勉強が好きだからだ。
野球もおなじだ。
嫌いだったら楽しくなくなったら諦めてしまう。
本当に好きなもののみ続けられるのである。
「できない」は面白い
できないことがあると嫌な気分にはなるが、それはまだその上を目指すことができることも意味している。
できないことができるようになることが面白いなら、分からないことがあればまだまだ面白いと感じることが出来る。
もしかしたら自分が野球を続けられたのはそういうことだったのかもしれない。
ヒットを打つために、相手を抑えるために、自分の動作や考えを振り返り、それを次の日の練習に還元させて技術革新を進めていく。
それと共通するものがある。
自分が浪人生活を始めた頃はそういう「面白い」要素が多く、刺激的だった。
勉強ってこんなに面白いものなのかと感心した。
将来に役立つかとか大学に受かるとかそんなことよりも今が楽しいから勉強しようと思ってここまでやってきた。
それがここまで集中が切れずに続いている主たる理由かもしれない。
それでも意識せざるを得ない受験
好きとかなんだとか綺麗事を並べたって受験は受験、得点という数値化された指標で無慈悲に合格と不合格をバッサリ分けてしまうものだ。
当たり前のことだが自分が受かるには周りのライバル達を蹴落とす必要があるのはどうしたって避けられない。
ただ、自分は勝負が嫌いじゃない。
闘志を滾らせて、勝つことだけを純粋に追い続けるのはある意味精神統一になって好きだ。
そして気合を入れて本気で勝負する時には自分に新しい力が備わると半ば本気で信じている。
自分はまだ人生19年目、若手選手のようなものではあるがこの19年の中でも「正念場」や「勝負所」あるいは「土壇場」と言われるような場面は山ほどあったと思う。
それでもそういうタフな場面で上手くいったことが自分は多い。
それは過信ではなく、ちゃんとやれば実力が120%出るものだという証明だと思っている。
だから今回も真面目に、全力でやり続けていれば大丈夫だと言いきれる。
まだまだ負けられない。
最後に
浪人生活はここからが勝負です!!
最後まで粘り強く、往生際悪く、愚直に走り抜けたいと思っています!!!
今日はワクチンの副反応で予備校休んでしまいましたが、明日からまた気合い入れて頑張ります!!!
以上ありがとうございました!!!
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