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「細やかな人」と「細かい人」について。

しらずしらずのうちに大きな影響になってしまう、日々の概念やニュアンスの使い方。特にそれはことばのつかい方や所作にあらわれてしまう。同じようなことなのに、相手との間にズレがおこり、もしかしたらそのズレはおおきなヒビとなるかもしれない。

「細やかな人」と「細かい人」

細やかな人と、細かい人は、なにがちがうのだろう。
なぜか、細やかな人には良いイメージがありポジティブで、細かい人には悪いイメージがありネガティブなんだ。

細やかな人は、自分の信念において、自分に妥協をゆるさないひと。自分が気持ち良くありたいため、自分の納得のために、細かな配慮やこだわりをもち、その結果「こまやかな」行動、言動があり、人にたいしても、それを伝えるときには、こまやかな指摘ができるひと。

おそらく、細やかな人というのは印象に残り、あの人を見習いたいという思いを感じるのではないでしょうか。それを見習うことで、多くの人も細やかな配慮を学ぶように思う。

その人の態度そのものが、人を育てているのだろう。

細かい人は、自分の信念において、自分の妥協をゆるさないのと同じくらい、相手の妥協をゆるさないひと。不満が多く、納得できず、周りの人の行動に細かく指摘をします。それは、自分が気持ち良くありたいために、気持ち悪いものを「不満」に感じてしまう。

「理想どおりできていないこと」が次々と不満に変わり、気になって口を挟まずにいられないのだろう。つまり判断に「せっかち」である場合が多いように思う。

せっかちだから、全体の状況がみえる前に、今見ている一点だけを見つけては不満を口にしてしまう。それは例えば、全体像を見て意味を感じるような絵画の、すみっこの筆使いをみて、ケチをつけるようなもの。目に付いた瞬間に不満となるので、ほうっておけばうまくいくようなことも、これからやろうとしていることも、とにかく指摘しなければ気が済まない。

その人の態度が、人を遠ざけてしまうのだろう。

しかし、もともとは「細やかな人」も「細かい人」と同じようにたくさんのことに気がつく視点をもっていて、たくさんのことが気になっているはずなんだ。「細やかな人は」それを指摘するタイミングや方法を、未来のことや全体像までを細やかに考えてから行動しているように思う。「細かい人」は、細かい一点だけに囚われて全体や物事のつながりをみていないから、どこの何をみても気になってしまう。

「細やかな人」は細やかだからこそ配慮できる。今何が起きているのかを細やかに精査をする。どのような目的のためか、どのような全体像の一部なのか。そして、最善の行動をとる。「細かいひとが」不満ときめつけてしまうことがらを細やかに精査し、なぜそのようになったか、どうやれば解決できるか、と、考えているのではないだろうか。

おなじように信念をもち妥協しない人でも、「こまやかな人」と「細かい人」が近くにいたら、いったい周囲にはどのようにみえるだろう。

自分なら、どちらの人と一緒にいたいとおもうだろうか。

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