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セレンディピティとカフェ。

カフェや喫茶店、バーで、なぜか人が自然と集まってきて賑わうお店がある。そういう場所は、「物事をうけいれる状態」をつくってくれる場所なんだ。

そういう場所というのは、いわゆる人気店や、ブームによって繁盛しているお店ではなくて、また雑誌などに頻繁にのるようなオシャレなお店でもないように思う。

そこにいくと、なんか落ち着いたり、居心地がいいと感じる。なにか、面白い話が聞けたり、くだらない話で笑えたりできそうな場所だ。

居心地のいい空間には店主の存在がある。店主が大切にしている気持ちがお店の空間に息づいていると、人と場所の一体感がエネルギーのように循環しているように思える。

そして、この落ち着ける場所、居心地がいい場所というのは、自分が平常心や素の状態を保てる、出せる場所でもあるんだ。平常心や、素の自分でそこにいる、ということは、そこで見たもの、起きたことを素直に「受け入れ」、素直に「捉えられる」状態にあり、心をひらいているということ。

こころを開いて「受け入れる」状態というのは「気づき」や「発見」の本質的に同じなんだ。

人は目の前の出来事を拒否した場合、自分には関係ないことだと片付けてしまうだろう。でも、受け入れた場合は、それがなにかしら自分に関係のあることだと捉え、そこにどんなメッセージがあるのか、と考え、解釈しようとする。そこに「気づき」が生まれるんだ。

同じ場所で同じように過ごしていても、くだらない話が、幸せの発見になる人もいるし、くだらない、時間のムダだなあと思う人もいる。

目の前に行き交う情報や出来事、なんでもない、十分知っているようなことでも、あらためて素直にうけいれることで、聞くたびにあたらしい発見になる。

そのとき「ハッと」して「気付き」が生まれる。「気付き」は、小さなしあわせの種、セレンディピティだ。それを、どれだけ見つけられるかが巡り合わせを変えていく。

みんな、自然にそんな体験を求めて、「自分の居心地のいい店」に集うようになる。そこではみんなが日常的な話を心から楽しんで、そこから学び合い、きづきあうことができる。セレンディピティの空間。

「巡り合わせ」はきっとそんな場所で進化していく。

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