「100日後に死ぬワニ」の純粋ファンが「電通案件」騒動を考えてみた。それは、うまく言葉にできないみんなの心の声なのだ。

まさか作品の完結時期が、こんなに日本が殺伐としているとは思わなかったが、無事に完結した「100日後に死ぬワニ」である。
もう本当に先に言っときたい。
作者のきくちゆうきさん、おつかれさまでした。そして素晴らしい作品をありがとうございます。

書籍化するだろうと思ってましたが
しましたね。嬉しいです。

ぼくLINEスタンプ買いましたヨ。
だから、ここにいろんなことを書きますけど本当にファンなんです。

「100日後に死ぬワニ」は愛嬌のあるワニくんの日常を描いた4コマ漫画。ただし100日後に死んでしまうことが読者にだけ知らされていて、新しい話が更新されるごとにカウントダウンも進んでいく。
知らない人はぜひリンク先から読んでみてくださいね。

「100日後に死ぬワニ」公式

とにかく、たった100日間で日本中を魅力の渦に巻き込みました。

「自分が死ぬことを知らない主人公」と「主人公が死ぬことをわかっている読者」との対比構造。

ワニくんがいいやつで、良くも悪くも、昔で言うモラトリアムな一般人でいること。

誰でも心当たりのある「日常」が淡々と過ぎていき、同時にそれが「死」へのカウントダウンであること。

ワニくんの周りにいる友人たちがこれまた良いやつばっかりで、なんか嬉しくなること。

などなど、僕たちはその作品の魅力に引き込まれた。そして、自分はどうだろう?と考えた。

いつ死ぬか、は誰にもわからない。
なのにただ消費するような日常。

もっと自分の人生を真剣に考え変えないといけないと思った人もいるだろうし、
こんな何気ない日常こそがほんとうの幸せだから大切にしよう、と思った人もいるだろう。

僕はカウントダウが進むにつれ、なんかもう祈るような気持ちになったけど、絶対にワニくんはあっさりと死んでしまうなと思っていた。

作者のきくちゆうきさんから感じられるのは(会ったことも話したこともないのにすいません)どんでん返しのハッピーエンドなど絶対に存在しないこと。
この愛嬌のあるキャラクターがある種フィルターとなることで、読者の意識よりもかなり奥に刺さるように届けられてくるのだけど、それは本当にリアルな「死と日常」、そして生きることはどういうことで、死ぬことはどうにもできないという、投げかけだから。

こんな深いテーマをこれまたTwitterというなかなか日本ではクセの強いSNSで発信するというのは、その拡散力と引き換えにしても、 たいへんだ。
賛否や勝手な深読みなど有象無象と押し寄せてくるだろうに、相当なメンタルの持ち主なんだなぁと、すごいなぁと思った。

かくいう僕もひとつだけライトな深読み?をした。
ラストにワニくんが助けたヒヨコは、2日目に助けたヒヨコのこどもだなという推測。
なぜなら、書籍化特設サイトに並んでいる写真。これは99日目にワニくんが用意していた写真だけど、その中にニワトリ(2日目のヒヨコの成長後)に子供のヒヨコがいる写真があるからです。

で、やっと本題なんですが、この「100日後に死ぬワニ」ついにラストを迎えた直後に「電通案件」という批判が飛びました。

そして作者本人や周辺の方々が、そうではないと公式に否定することにもなっているようなのですが、
なぜこんなことになったのかというと、100日目が投稿されてすぐに、MV制作、グッズ販売、イベント、書籍化、映画化などの発表が矢継ぎ早に行われたためです。

僕自身は、さすがに入念にしくんで広告代理店がこれを打ったわけはないと思いましたが、その反面、人気が出たので商品化ふくめ広告代理店が途中からついたのかな、とは感じました。

でもね、僕は、これがもし仮に「電通案件」だったとして、何か問題があるのかなと思う。
たくさんの人にこれだけの影響を与えるものは間違いなく良作傑作であり、それが作者個人だろうと企業の戦略だろうと、まったく関係ないのだから。

そしていい作品はどんどん広まった方がいい。そのために書籍化も映画化も構わないと思う。それをやるためには営業も告知もいる。売れてお金の回収はもっとも必要だ。だからどんどんやっていい全部オッケーだ。

だってほしいもん。ワニくんグッズ。

しかし、だ、これが、
その発表のタイミングが、絶妙にモヤモヤしてしまった。

何度も言うけど「ファン」なんだ。
これ「ファン」だからこそ、モヤモヤするのだ。

みんなワニくんが死ぬことをわかっていた。みんなそれを見守っていた。死んでしまうとわかっていながらワニくんの日常を応援した。そしてある意味、どんな死に方をするのか見たくないといいながら期待していただろう。

だからこそ。
この100日目は、お通夜でもある。

お通夜は故人に寄り添って、みんなしんみりと語り合うものだ。
SNSにだって空気がある。情報消費の早いTwitterでさえ、この日この時はそういう空気だったのだ。中にはネズミが轢いたとか無茶言うてる人もいるけど。

僕は書籍化もグッズ化なども、知った瞬間もろもろ嬉しい。みんなもそうだろう?

そう、嬉しいんだけど…
いまは、いまだけは、そんな空気じゃなかったのになぁ。。。

って、そういうことじゃないかな?

つまり「電通案件」という言葉自体にはさほど意味はなくて、応援して見守っていたファンたちが感じた言葉にならないモヤモヤを「電通案件」というカタチにして爆発させてしまったんじゃないだろうか。

MVすげーじゃん、グッズ欲しい!本も欲しい!そう言いたいのに
その「情報」は、いま1番欲しくない。

しかし、本来ならベストなタイミングなのだ。ビジネスとしても物語が完結して機会損失をしないうちに告知をしたいし、制作側としてもできるだけ早く読者にお披露目をして喜ばせたいと思うだろう。

そして読者も、喜ぶはずなのだ。
普通ならば。

でも、この作品はその意味で「斬新で」「普通ではない」作品だった。

その作品性ゆえに、最高の発表タイミングが、読者にとって「いちばん聞きたくないタイミング」になってしまったのだ。

しかしそのモヤモヤは、読者のワニくんへの愛情が深かったからこそである。
みんなワニくんの死を受け止めきれないお通夜の最中に、なんだかその死が無かったかのような元気な告知に、複雑な感情を処理しきれなかったのでしょうね。

喪主がハッピ着て入ってきたような感じです。

しかし、なにはともあれ良い作品であることは間違いなく。映像化なども期待しています!

ぼくの記事がお役に立ちましたら、お賽銭を投げ込んでいただけると嬉しいです。 それを眺めてなんどもニヤニヤすると思います。