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生きづらさの紐とき

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「生きづらさ」について考えたことや、自分自身が感じてきたこと、当事者研究によって共感を得たことなどを綴ります。
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#発達障害

「帰れ!」と叱るひとの頭の中。まだまだ言葉のリテラシーの低い世界。

上司とか先生から「帰れ!」と言われた時にほんとに帰ったらいけないのか?という、あの話なん…

生きづらさはつらいと言えないつらさ。

鬱やパニック、また発達障害の特性によって抱えてしまう「いきづらさ」というのは、 生きてい…

生きづらさの紐とき 第6考「理由は『つらい』で十分」

つらさは本人のものいきづらさは、その人なりにそれぞれ違うものだけれど、共通していることも…

生きづらさの紐とき。第4考「ゲームでいうしばりプレー」

*気分の良くない生活毎朝4時から6時ごろに、みぞおちのあたりから不安感がこみ上げてくる。平…

生きづらさの紐とき。第3考「あるある、の癒し」

*本当はそれぞれオリジナルないきづらさ単に「いきづらさ」といっても、社会と適応できないつ…

生きづらさの紐とき。第2考「過敏な心のアレルギー」

*空気を読むことと「いきづらさ」会話のやりとりがズレているとき、なんとなく、重いしんどい…

生きづらさの紐とき。第1考「うまく思えない」

*いきづらさを紐解きたい。鬱や発達障害というカテゴライズは、それが原因でいきづらさを感じている人にとって、よりそいを考えるきっかけをつくるものだと僕は思う。 安易に病気だ障がいだと当てはめてしまうことがあったりと、負の側面もあるけれど、公に理解を深めるためにはカテゴライズにも意味がある。 これから「いきづらさ」について考え、紐解いていくことをやってみたい。 全ての生きづらさに当てはまることはないだろうけど、共感は安心をつくりだせると思うし、分析は支援するひとたちの参