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【Review】 トラウマはのりこえられる


トラウマには、時効があるのではないか。
あるTEDtalkに出会って、そう確信した。


これまでの私はとにかく過去の栄光ににすがっていた。
結婚式での自分は人生で一番可愛かったと思うし、フルマラソンを完走した自分は非常に根性があると思うし、熊野古道で遭難して一人で帰還した時は勇気があったと思う。自分はまだできる、と過信していた。今なんとなくきついのは、きっと修行期間だからだ。我慢の時だ、と。私は過去の栄光に執着していた。

一方で、過去のトラウマにも悩まされてきた。
小学生の時に、ひょんなことで担任の先生に犯人扱いされた経験から、「私は人に信じてもらえない人間だ」と思い続けてきた。ピアノの発表会で頭が真っ白になって動けなくなったことがある。高校生の時に、トイレの個室にいた時にあまりに酷い言葉を言われたこともある。今でも私のトラウマだ。ずっと怖かった。同じように、私が他人を傷つけてきた罪悪感も数知れない。

大きく傷ついたことだけでなく、小さくへこんだことも、とんでもなく長い間、引きずっている。
家族旅行で、弟がデジタルカメラをレストランに置いてきてしまった時の怒鳴った父の顔を今でも忘れられない。怒った顔でいうと、とある駅のプラットフォームで、向かってきた人と肩がぶつかり「このブス!」って叫んできたお兄さんの顔もうっすら覚えている。会社のプレゼン資料でsugar(砂糖)をsugerと綴って発表したことを、数年引きずっている。論語と算盤を、最近まで「論語とさんばん」と読んでいた。
私はとにかく人に怯えていた。言葉を発することによって恥を感じるなら、バカにされるなら、衝突してしまうなら、私は人と関わらない方がいいかもしれないと思い、人とはそれなりの距離を保ってきた。


どうやって身を守る?

ずっと私の目標は「強くなること」だった。パイレーツオブカリビアンのエリザベスや、ワンダーウーマンの主人公のような強い女性が好きだ。強くなり武装することで、傷つくことも減ると思っていたのだ。でも最近、それは違うことに気づいた。私のように自信のない人は、このプレゼンテーションを是非見ていただきたい。


結論を言ってしまうと、、、
人は痛みを伴うから嬉しさがわかる。
痛みを知っているから、人に共感できる。
誰かと関わることによって、新しい自分を知る。

弱さを知ること。
弱さを認めること、見せること。
これらは、自分のためだけでなく、環境に良い流れを生む。つまり、不完全さ、とは、素晴らしいことだ。


残念ながら、こんなことをこの歳まで気づかなかった。少しだけ、この事実に気づいていたかもしれないが、納得したのは初めてだ。失敗を恐れて生きてきてしまった。
一方で、この歳で気づくことができてよかったとも思っている。


トラウマもギフトだ。

そこには愛がある。
何か、自分にとってあまり喜びを伴わない何かをを伝えてきた相手だって、何かしらのエネルギーを使っているのだ。ましてやそれが友人や親などの近しい人だとしたら、それは”関係性にヒビが入る”ことを覚悟しても伝えてくれている。
聞く耳を持つか持たないかは自分自身にある。耳の痛い話であっても、そこに自分の何かきっかけが隠されているかも知れない。かもしれない、だ。全てを受け入れる必要というよりは、ただその事実を眺めていたい。
もっと人と関わりたいなぁ。自分と出会ってくれたってすごいことなんだよなぁと思っている。


栄光にも、時効がある。

あまりに執着しすぎると、柔軟でなくなってしまうし、決めつけることも増えてしまうし、なんだか窮屈になっていく。うま〜く今の自分と切り離す必要がありそうだ。



いまさら、こんな簡単なこと。と思っている。当たり前だな、と自分でも思う。
なぜ急に気づいてしまったかというと、一人の友人の「じょうしきしらず」という8文字の愛のあるフィードバックから気づいたものだ。
最初は心地悪くて、嫌な気持ちがしたが、いまはその人の優しさと愛をしっかりと感じている。
そんなこんなで私は、これから飛ぼうと思ってる。どこまで行けるか楽しみだ。

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