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いま走りたい道

いま、と言われたら。

ここ。

つー15地図

A地点からB地点まで。
途中、一直線に見えるのは、中央道の恵那山トンネル。


東側から西向きに俯瞰するとこんな感じ。

つー15

地図だと、山の中を走るのだけれど、実際にはこの画像のように緑色だったのではなく、国道153号線の両側は、夕焼けに燃えたオレンジ色だった。柿の実がなる。10月の下旬から11月の初めだろう。

そのときのメモ書き。




わたしにとっての紅葉は、乗鞍から始まった。10月の10日過ぎ、国道158号からそれて、乗鞍林道を走った。初めて走った時、なんと美しいところかと思って、ヘルメットの中で涙が浮かんだ。涙腺がゆるくなる前の若い頃だったのに。

そこから、もっと美しい紅葉はないだろうか、と思って手当たり次第に走りに行った。上にあげたものは、そのうちのひとつ。文章は紅葉に焦点をあてたものでもなく、全体的にぼやけてはいるけれども。

そうやって走り回って何年もしてから、わたしは浄土平での景色に遭遇したのだった。


走りたくなる景色、走りたくなる道、それは地図をみて、雑誌を見て、魅力を感じるものもある。

けれど、その日、その時間に偶然出会った一瞬、いつになっても思い出せる。そのときの一瞬、心の中で弾けるもの。いま、生きているという感情。

生きていると実感する時、自分と世界とはひとつになるのだ。

この世界は自分であり、自分は世界である。

岡本太郎「火の祭り」

岡本太郎がどのような文脈で言ったか、というのはあるけれども、わたしはじぶんの体験からそう実感した。




明日になれば、明日走りたい道がでてくるだろう。
道が通じている限り、迷うことは無い。

迷うことが無いとはどういうことか。
かならず家に帰ってこられる、
自分の居るべき元の場所へ戻ってこられる、
ということである。