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あきはゆうぐれ。

そういうふうに習った。
たしかそうだった。

最初から言ってみようかと思った。まだ覚えているだろうか。

昔の物語なのだから、
今年、同じように感じるとは限らないのであった。
去年までなら「あるある」と言ってもらえたのかもしれないのに。
世の中には、
タイミングというものが存在することであるなあ(詠嘆)

何を言うておるのか。
覚えているかどうか書いてみよう。

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春はあけぼの(に辛い感じになる)。

花見だなんだと飲んでいるうちに日付が変わって
終電を逃している(ことに気づくのであるが誰も言わない)。
哀れである。
そうして東の空が白む頃、雲がたなびくとか見てる余裕もなく
寒くて風邪を引いていることもある。
おしゃれを気取って薄着なんてするからである。
自己管理ができていない、とかなんとか後ろ指さされてしまい
数日後に思い返すのは(想像するだに哀れである)。


夏は夜(に辛い感じになる)。

ビヤガーデンなんてところに浮かれて行ってみる(のも趣があるだろう)。
そう思うのだが私は行ったことがない。
浮かれて行ったら、いったいどうなるのであろうか。
想像してみるしかできない(のは哀れである)。
蚊に刺されたり、
記憶がどこかでほっつき歩いたり、
そうでなくとも
ほどよく飲んでいい感じになったのに
うっかりゲリラ豪雨に遭ったりするのであろうか。
そんな想像ばかり(で、なんとも哀れな感じがしてしまう)。


秋は夕暮れ(に辛い感じになる)。

夏の火照りもどこへやら
あしのまろ屋に秋風ぞ吹く、と自宅でつぶやき
そ知らぬ顔でひとり酒である(のは哀れなものだ)。
秋の連休だ、などと勝手にそわそわするのみならず
休みの真ん中に調子に乗ってお昼から飲んだりすると
夕日が目に染みる、というより
私はいったいなにをやっておるのか、と思うに至り
目頭が熱くなる(のは、傍から見ていて哀れである)。


冬は早朝(に辛い感じになる)。

忘年会だの何だのと、
寒いのにも関わらず帰るのが遅い時間になる
(のは哀れであるし、肌によくない)。
そうして帰宅してからも
会費ばかり高いのになんだか満足感がないなあ、
でも人数と予算と場所を考えると仕方ないよねえ、
なんてぐるぐる考えているうちに眠ってしまい
かけ布団がどこにあるかなど意識の外側である(のは哀れである)。
早朝になって
布団をかけていない寒さで目が覚めてしまう(のは、趣がない)。


※この作品はフィクションです。
 実在の人物・団体・事件、
 実在したかどうかわからないけれど
 きっといた平安時代のブロガーなんかとは
 一切関係が、関係が、・・・ありませんよ、ええ。

 しらんけど。