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物理学者の絶望と未来ー『世界史の構造的理解』(長沼伸一郎・著)を読んでの感想

私は普段は前向きに研究をしているつもりだが,2年に一度ほど深刻な虚無感に襲われることがある.自分は何のために学問をしているのか,何か明確な目的があったところで自分程度の能力で解決できる問題など存在するのか,といった考えてもどうしようもない問題ばかりが頭を巡り,生産的な行動が取れなくなってしまう.いや実際には3カ月に一回くらいこういう絶望感に見舞われるのだが,目の前の雑事をこなすことで気を紛らわせているのかもしれない.今回は,論文を書き終えて一息ついた瞬間だったため,お盆休みが重なったこともあって,割と深刻であった.

『物理数学の直観的方法』『現代経済学の直観的方法』などの著書で知られる長沼伸一郎さんの新しい著作『世界史の構造的理解』が発行された.2年前の病み期を,前作の『現代経済学~』を読んで勇気づけられたことにして乗り切ったことにした私は,本作も早速購入して,一気に読み切ってしまった.

私が長沼氏の著作が好きなのは,他書のタイトルにもなっている「直観的理解」に重点が置かれていることだ.大学で行われる学者の講義には,この「直観的理解」という観点が圧倒的に足りないと思う.モデルの詳細や数式の導出に力点を置くあまり,「要はそれをどういう風に頭に入れて記憶しておけばよいのか」という視点が欠けていることが多い.一つの学問分野を突き詰めている学者とは異なり,これから何を学ぶべきかを選ぶ段階にある学生にとっては記憶すべき情報の取捨選択が必要である.また,若い人は取るに足らない関心事で頭の中がパンパンになっていて,学者の緻密な論理展開に付き合っている場合ではないこともあろう.大学の講義に求められることは,知識がザルのように抜けていく学生の頭の中に「目次」と「索引」を作ることだと思うのだが...とにかく,長沼氏の著作を読んでいくと,トピック毎に一つのイメージ図が頭に浮かび,頭の中に目次が作られていくような爽快感がある.

今作『世界史の構造的理解』の論点は,主に四つだと思われる.(1)地政学 (2)短期的願望の偏重がもたらす社会の縮退化 (3)縮退化の原因としての物理学の不備 (4)社会の縮退を防ぐための宗教とその代替物 の四点である.

(1)の地政学では,なぜ中国大陸では巨大な帝国が成立するのに対して,ヨーロッパでは小国が均衡状態になるのかという問題が議論された.両者の違いが海洋・山脈・河川の形状の違いに求められた.特に,もし中国の海洋が内陸に入り組んだ形状になっていたら,イギリスのような海軍国家が生まれ勢力均衡状態が生まれたかもしれないという議論は興味深かった.

(2)の社会の縮退化については前作『現代経済学~』でも登場した概念である.我々の願望は,「短期的願望」(夜だけどラーメン食べたい)と「長期的願望」(でも健康を維持したい)の2種類に大別されるが,人々の短期的願望の達成ばかりが過度に進められると,社会の諸アクターの多様な関係が単純化されていき(著者はこれを縮退またはコラプサー化と表現),少数の強者が多数の弱者と一対多で直接繋がるようになり一方的な搾取が起こってしまう.これは,日本の地方部において商店街が巨大商業施設に負けて無くなっていた過程にも例えられるし,外来種の流入により多様性を失った生態系にも例えられる.現在危惧されている,巨大IT企業(GAFA等)による富の独占にも例えられるだろう.

(3)このような縮退化が起こってしまう原因として,著者は(天体)物理学の不備を挙げる.この主張に同意できるかどうかは読者を選ぶだろう.しかし,要は言いたいことは,現代の物理学が信奉する要素還元主義に基づくと,「短期的願望も長期的願望も,結局は願望なのだから,同じ」ということになってしまう;そうすると,本来,長期的願望を叶え短期的願望を抑えるようなブレーキが働かなければならないのに,両方の願望のアクセルを押してしまうことが起こる,ということだろう.これが現代のアメリカで進行しつつあるコラプサー化の原因であると著者は主張する.この部分の主張には,自然科学の概念が社会の支配構造を規定する,という著者の強い世界観が反映されているように思う.しかし,このことは長沼氏が過去のブルーバックス書籍『経済数学の直観的方法』で主張しているように,現代の経済学で用いられる数学的概念が悉く物理学で成功した理論からの援用であることからそのように結論するのだろうと私は理解した.

(4)過去の歴史を紐解くと,3で述べた短期的願望の暴走を防ぐための装置として,宗教が果たした役割が大きいことが議論される.イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の発祥地であるエルサレムが農耕に適さない砂漠地帯で商業に適した交通の要衝であったことは偶然ではないだろう.これらの宗教はその戒律により,死後あるいは来世での念願成就を約束する代わりに,現世での短期的願望の達成を厳しく戒める.しかし,プロテスタントの誕生により,短期的願望が現世で成就する場を設ける必要性が生まれ,それが資本主義の成立につながっていく.

では,現代においてコラプサー化を防ぐための手段として我々は何を選べばよいのだろうか? 長沼氏は暫定的手段であるとは言いながらも,科学者は科学をやれ!と主張する.私は最初この主張が意図することが分からなかった.しかし,前作『現代経済学の直観的方法』の後書で,著者が「科学者の社会的無力」について落胆した経験を綴っていたのを思い出した.つまり,氏の言うところの帰るべき「科学」とは,現代のタコ壺化されコラプサー化寸前状態のアカデミアの科学を指すわけではないのだろう.掘れる壺を堀りつくし地表で共食い状態を繰り広げるアカデミアを他所目に,まだ見ぬ沃野を探し出して明朗快活に掘る,そんな姿を指すのだろう.そうでないと,長沼氏のように,広範な分野の学問に対して,「私はこういう風に理解しています」と堂々と主張する書籍は書けるはずがない.

さて,私は地表での共食い合戦の現場に戻ろうと思う.次に虚無に襲われるまでのあと2年ほどは...三体問題は無理かもしれないけど,何か解ける問題だってあるかもしれないし.そして,学生に講義をするときには,「私はこういう風に世界を理解しています」と堂々と語り,明るく科学と人間の魅力を語れる人間でありたいと思う.

こうして,私は虚無を脱したことにしておく.

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