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【小説】「ヒーリング・サークル」 第1章 エリさん

「あなたは無知だから、その事を自覚しないとね。」
 エリさんはさらりと言って、私が渡した数枚のお札を雑に揃えて、重しに小さなパワーストーンを乗せて、ベッドの上に置いた。
 私が彼女のマッサージを受けに来たのは、今日で3回目だ。2時間、18,000円のロミロミ。ハワイ由来のオイルマッサージで、体にオイルを塗って、温めた小石をのせたり、手で揉みほぐしたりする。オイルに混ぜるアロマは自分の好きな香りを選ばせてくれる。疲れている時に「この香りがいいな」と思う香りは、たいていその時の自分に必要な作用があるものなのだそうだ。
 今日、私はマッサージを受けに来たのはもちろんだが、相談事をいくつかエリさんに聞いてもらいたくて来たのだった。私は体調を崩して会社を休職したばかりで、心身ともにくたびれ果てていた。エリさんのサロンは私の家から車で1時間もかかるけれど、多少無理をしても彼女に話を聞いてもらいたかった。
 まだ会うのは3回目なのに、どうして彼女にこんなに頼ってしまうのだろう?と自分でも思っていた。
 多分初めて来た時に、施術後、予約の時間の枠を超えてずっと話を聞いてくれたからなのだろう。あの時に、自家焙煎した豆でコーヒーを淹れて飲ませてくれて、そのフルーティな豆の風味を、とてもよく覚えている。
 無知だから、のセリフは私が義母との関係を相談した後に出てきたものだった。夫との新居のマンションの合鍵を、義母が持っている事。夫婦が不在の時に勝手に家に入られて手作りのお惣菜を置いていかれる事。夫婦の間でうまくいかないことは、全部私のせいにされること。それらが私は苦痛でたまらなかった。
 私がその相談をしたら、エリさんは自分の前の結婚の時のことを話し始めた。姑に、誕生日プレゼントを慎重に選んで渡したら、「こんな物よりお金が欲しいわ」と言われたこと。
 「それに比べたら、あなたのお義母さんは、素直で親切で、可愛らしい人だと思うわ」
と、エリさんは言った。そして、あなたは無知だから、と言ったのだ。
 その日は何となく、彼女の言動に最初からモヤモヤとしていた。施術の前にタロットカードを引いてみる?とエリさんが言って、彼女が混ぜたタロットカードの塊の中から、私が一枚を引いてめくった。
「責任の放棄ね。」
とエリさんは言った。
「どういう事ですか?」
と私は聞いた。
エリさんがちらりと私を一瞥して、
「だって、周りの人の迷惑を考えずに休職してるじゃない」
と言った。
 私はその言葉が、マッサージ中もずっと頭の中をぐるぐるしていて、いつもよりリラックス出来なかった。
 私は、体調を崩してもギリギリまで休職をしなかった。同じ課の人たちに迷惑をかけることがわかっていたからだ。少ない人数で回しているのに、自分が今抜けることなんて絶対にできないと思っていた。結局は、医師の勧めで診断書を提出して休職したから、責任の放棄には違いないのだけれど。
 すっきりしない気分のまま、私はエリさんのサロンを出た。もう真っ暗で、薄雲がかかってぼやけた三日月が出ていた。今日癒やされると思っていた心身の疲れはまだ残っていた。
 これから1時間、ひとり運転をして帰るのか、と悲しく思いながら、私は駐車場に向かって歩いて行った。

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