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【小説】「ヒーリング・サークル」第2章 チラシ

 エリさんのことを知ったのは、夏実さんの紹介がきっかけだった。
 去年の夏。職場の先輩の夏実さんとは、課が違って、それまで仕事で何回か短い会話を交わしたことしかなかった。その日、夏実さんが気軽な感じで昼休みにうちの課にやってきて、仲良しの事務員さんにこれよかったら、と小さなチラシを渡していた。その流れで、隣の席の私にもそのチラシをくれたのだった。
 そのB5の大きさのチラシには、上の方に大きく「ヒーリング・サークル」と書いてあった。自宅でパソコンで打ったような、簡単なデザインの手作りチラシだった。
 タイトルの下には、次のような内容が書かれていた。

毎月第3土曜 13時〜、サロンHalにて
グループセッション開催
(定員4名まで)
3000円/1名
忙しい日々に、癒し合う時間を持ちましょう。お申し込みは090-XXXX-XXXX(野沢)まで

 「これって、どんな感じの会なんですか…?」
 私は夏実さんに聞いた。これまでの人生で「セッション」という名のものに参加したことがなくて、想像がつかなかったのだ。
 「気取らないお話会だよ!エリさん…野沢さんて言うヒーラーさんのサロン兼お家でやるの。定員4名って書いてあるけど、私と同じ課の沙織と、経理課のめぐみさんが毎月参加してるから、実質空き枠1名なんだけどね。美味しいケーキとコーヒーも出るよ」
 そう言って、夏実さんは微笑みながら、クリッとした瞳でこちらを見つめた。夏実さんは30代前半で、30歳の私より少し年上だった。でも笑顔はどこかあどけなくて、無邪気な少女のような雰囲気がある。
 「エリさんと私仲良いから、チラシ配ってるの。エリさんすごく良い人だから、ぜひ来てみてね。」
 「ありがとうございます。でも今月の第3土曜は用事があって…。また来月にでも、行ってみたいです。」
 「そっかあ。毎月やってるから、来れる時に来てみてね。あとエリさん、マッサージもやっててすごく上手だから、おすすめだよ。ここの電話番号にかけたら予約できるから。ホームページはこれ。」
 そう言って、夏実さんは私にエリさんのサロンのホームページのアドレスを教えてくれた。
家に帰ってから、パソコンでホームページを見てみた。サロンは古民家を改造した場所で、こじんまりとしてあたたかい雰囲気だ。料金表のページをチェックする。思っていたより高価だった。
 「ちょっと高いなあ…。」
 そう思ってもう続きを見るのをやめて、その後数ヶ月、サロンのことは忘れていた。
 エリさんのサロンのことを思い出したのは、仕事と家庭生活の忙しさに体が悲鳴を上げだした、10月のことだった。
 月曜の朝、ベッドの中で体が動かない。中々起き上がれず、始業時間に間に合わず当日に時間給を取ったこともあった。その年の夏はとても暑くて、でもオフィスの中はがんがんに冷房が効いていて、寒暖差に弱い私は夏バテをしたのだが、その疲れが尾を引いているのかと考えたりした。内科で検査をしてもらっても、異常はなかった。
 なんとかしなくては。焦っていた。仕事は遅れ、周りにも迷惑をかけ始めていた。なんとかしなくては。まず体を整えよう、と考えて、その時やっと、あのサロンのことを思い出した。チラシは、手帳カバーのポケットにずっと挟んだままだった。仕事場を出て帰りの電車に乗る前に、駅のトイレで少し緊張しながら、電話をかけた。呼び出し音が5回鳴ってから、エリさんが出た。
 「あっ、はじめまして…。野沢さんの携帯でしょうか…。仲岡さんの紹介で、ご連絡させていただきました。藤井と申します。」
 「はじめまして!こんにちは。野沢です。ご連絡、ありがとうございます。マッサージのご予約でしょうか?」
 「はい、そうです。直近だと、いつ予約が空いていますか?」
 「そうですね…土曜の朝ならいけるかな。10時から、いかがでしょう?」
 「はい、大丈夫です。ありがとうございます、よろしくお願いします。」
 その後、サロンの場所の詳しい説明をしてくれて、電話は終わった。切った後、ほっと脱力した。これでなんとかなる、少しは、きっと。
帰り道は少し足取りが軽かった。そして、残りの平日を土曜日を待ち遠しく思いながら過ごしたのだった。

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