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【小説】「ヒーリング•サークル」第4章 夏実さん

第四章 夏実さん
 
 十一月。エリさんのマッサージを初めて受けてから、一ヶ月が経っていた。マッサージの直後は体が軽くなったけれど、時間が経ち仕事と家事に追われていると、あっという間に元通りの重苦しい体に戻ってしまった。エリさんのマッサージをまた受けたいのに、費用の高さに躊躇っていた。気分が塞ぎ、ちょっとした仕事の失敗や毒のある上司の一言が、頭を離れないことが増えた。近所の心療内科を受診しようかと考え始めていた。学生の頃、卒論や人間関係に悩んで、鬱病と診断された既往歴があった。もっと早くに受診すればよかったのだが、抵抗があった。自分はもう治ったのだ、と思いたかったし、もし受診して診断がついて休職になれば、あの人は精神疾患になって休職したのだと、すぐに小さな会社の中で広まってしまうだろう。そのことに不安があった。
 迷っていた時に、仕事帰りに寄ったカフェで、たまたま夏実さんと遭遇した。私が気分転換にふらりと入ったそのカフェを、夏実さんはしょっちゅう利用しているらしかった。
「北川さん」
 空いた店内でテーブル席に座っていたら、夏実さんに声をかけられた。
「北川さんもこのカフェ来るんだね。お邪魔じゃなかったら、一緒に座ってもいい?」
「もちろんです。」
 夏実さんが座れるように向かいの椅子に置いてあった荷物を動かした。今日はただ真っ直ぐ家に帰りたくなくて来ただけだし、夏実さんとも一度ゆっくり話してみたかったから、嫌ではなかった。
「先月セッションに行った時にエリさんから聞いたんだけど、ロミロミ受けたんでしょう?どうだった?」
「すごく良かったです。気持ちよかったし、終わってから出してもらったコーヒーも美味しくて。」
「コーヒー、美味しいよね。私もエリさんのコーヒー大好きなんだ。その後、何か体に変化とかあった?」
「実は、ロミロミ受けるまで、生理が二ヶ月遅れてたんですよね。でもそれが、受けた次の日に来て。びっくりしました。」
恐らくストレスで遅れていた生理が来た時は、驚いた。エリさんにマッサージしてもらって、子宮がまた正常に動き出したんだ、と思った。
「そうなんだ!本当にエリさんのマッサージって、効くんだよね。私も月に一回は受けるようにしてるの。日頃頑張ってる自分へのご褒美だと思って。」
 そして夏実さんは少し声を落として続けた。
「私ね、エリさん曰く、霊に憑かれやすいみたいなんだよね。だから、定期的に除霊してもらってるの。」
「そうなんですか?私も前回、霊が憑いてるって言われたんです。たしかに施術が終わってからすごく体が軽くなって。」
 夏実さんの発言に対して、違和感はなかった。この世に霊がいることもあり得るかもしれない、と思い始めていた。あまりにも、彼女たちが自然に霊の存在を口にするから、もしかしたら実在するのでは、と考えるようになっていた。
「よかった、ちょっと安心したわ。なんだか北川さん、ずっと辛そうだったから。」
 そう言って夏実さんはにこっと笑った。そうか、違う課の夏実さんから見ても、私はしんどそうに見えたのか、となんだか恥ずかしくて情けない気持ちになった。
「何か悩みがあったら、私でもよかったら言ってね。」
優しく夏実さんは言ってくれた。
 この人になら、相談してもいいかもしれない。狭い職場だから、人間関係の悩みを同じ職場の人に相談するのは控えていた。でも、夏実さんにならしてもいいかもしれない。
 私は自分の仕事の悩みをポツリポツリと打ち明けた。一通り話終わったところで、夏実さんが大きく頷いていった。
「なるほど。大体、わかったわ。」
 そうして、ブラックコーヒーを一口飲んだ。
「鏡ね。あのね、全ての現象は、自分の鏡なの。北川さんの周りに起こってることは、全部北川さんの言動が跳ね返って起こっていることなのよ。」
 鏡に跳ね返ってきたこと…私の身に起こっている事が?先輩が他の人がいない時を見計らって嫌味を言ってきたり、上司が人前で怒鳴ってくることが?
「あのね、受付の葉山さんいるでしょう。あの子も、少し前まであなたみたいにすごく悩んでいてね。でも、葉山さんの言動は、全部鏡に跳ね返って起こっている事だったの。彼女もあの頃一度セッションに来ていたわ。まだ少し辛そうだから、続けて来て欲しいって思っているんだけど。」
 そう言って、夏実さんは残りのコーヒーをグッと飲み干した。
「北川さん、あなたも、一度セッションに来てみない?色んなことがわかるよ。世界は自分の写し鏡だってことが理解できるよ。」
 言い残して、夏実さんはコーヒーカップの乗ったトレイを持って去っていった。取り残された私は、なんとなく失望したような気持ちで座っていた。全ては自分の振る舞いのせい。それは、私だけが悪いということなんだろうか。
 何が正解なのか、わからなかった。職場の事情を知っている夏実さんがそういうなら、やっぱりそうなんだろうか。自分だけが悪いんだろうか。私が責めるべきは、自分自身なんだろうか?
 答えは靄の中だった。自分が悪い、と思うと胃がキリキリと痛んだ。もうここを出よう、と店を出て空を見上げた。曇っていて、月も星も見えない。自分のたどり着くところはどこなんだろう、と思いながら帰るために車に乗り込んだ。

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