「問題意識」とは「問題を読み解く意識」ではなく、「問題を創る意識」のこと

「問題意識」という言葉が安直にやり取りされる。本当に理解しようと思い、考えてみると結構深いと思うし、かなり重要なトピックだと感じる。似たような言葉でよく「問いを立てる」という言葉が使われる。こちらも現実社会で生きる上で本当に重要な言葉だと思うけれど、「問題意識」同様に既視感があり、やや思考が張り巡らされずにスルーされそうだ。

「問題意識」とはそのままで解釈すれば「問題を意識すること」だと思う、本当にそのまま。ただこれがなぜ重要かというと、学校や何かのスクールと異なり、現実世界では問題自体がわからないことが多く、答えのみならず、その問題すら自分で立てなければ先へ進めない場面が多いからだ。

ある程度の会社組織であれば、大体業務が決まっていたり、そのレールに沿って「自分が何をすれば良いか」がわかる。もちろんそれは経営者などが考えてレールを敷いているという前提で、しかも経営者も「正解かどうか」だけでなく、「それが本当に『問題』なのかどうか」すら判断が付かず、経営などに関わったことが無い方には信じられないかもしれないが「エイ!ヤーッ!」で決めていることが少なく無い。つまり、誰にも「答えがわからない」以前に「問題がわからない」というのが正確な所だ。

例えば新入社員が「私は何をすれば良いですかねー?」と言いたくもなるが、その答えを誰も持っていない。むしろ自分で仕事(=問題)を作れるし、自分で仕事を作ったり、自分で楽しめる能力が無いと、そういった自由な世界は逆に厳しいと言える。ここに「問題意識」の重要性がある。「『問題(=仕事)』を自分で『意識』」していないと何もできない、動けない状態=「私は何をすれば良いですかねー?」状態になる。

恐らくほとんどの方が「問題意識」は「問題、課題を読み解く能力」だと思っているかもしれない。特に学生や学校を卒業したばかりの社会人はその可能性が高い。「問題意識」という言葉が本来伝えたい意味は「問題、課題を読み解く能力」ではなく、「問題、課題を創る能力」のことだ。学校で求められるのが前者の「問題を読み解く能力」なので、自然体で会社に入社したら突然後者の「問題を創る能力」が求められるようになる。

今までの自然体のままでいる=「問題を読み解く能力」が使えると思っていると、「私は今までの学生生活のように、問題を読み解ける!読み解きたい!」=「私は何をしたら良いですかねー?問題を下さい!」となる。

「問題意識」が「問題を創る能力」だと意識していると、自然と「私はこれをしたら良いですかねー?問題はこれだと思う!」へ変わって来るはずだ。

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