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プログラミングの本当の面白さ

プログラミング学習200時間達してない頃は目に見える物が出来上がる事を目的にして、それが面白さだと感じていましたが、

今は、慣れない英語の文字を追いかけながら未知のエラーを攻略するプロセスや自分で設計を考え、プログラミングで創り上げる過程の方が面白いと感じています。

つまりプログラミングの面白さにおいては、目に見える物が出来上がったかどうかよりも、空想と現実を行き来しながら、自分で創造して行く過程が最も楽しいと思います。

ただ、仕事や客観的な成果となると、話は大きく変わって来ます。プログラミングを行う行為が自己満足の楽しさを追求することが目的ではなくなるからです。

プログラミングを行う本人にとっても、プログラミングを教える側にとってもこれはジレンマだと感じます。

特に学習時間が50時間に見たないくらいの段階だと、目に見える完成物や仕事の成果、客観的に目に見える評価、が楽しいと感じることの方が圧倒的に多いです。

プログラミングをしている本人も楽しいし、この楽しさにお金を払っているとも言えます。プログラミングを教える側にとっても受講者さんが楽しんでいるし、その様子は自分自身にとっても嬉しいはずです。

際どいのは、プログラミングの、その先の面白さ、本質的な本当の楽しさ、を本人がどう掴み、教える側はどう掴ませるか(もしくは別の意図のある無しに関わらず掴ませないのか)。

プログラミング学習300時間くらいまでは、言い方は悪いですが、騙し騙し、表面的な楽しさを「これがプログラミングの楽しさ」とお互いに確認し合うのも良いと思います。とにかく続けることで、違う視点が見え、考え方が徐々に変化ことも多々あるからです。

これはプログラミングを教える側からは、(受講者も喜んでいるし自分も嬉しいから)言いにくいか、(教える側もそもそもこの違いに気付いていないか何らかの圧力で)言えないか、(サービス提供&利用者の関係としてお互いの目的と外れるため)言う必要が無い、内容です。

しかし、プログラミング学習者や受講者側は、これを考えておいて損は無いし、今後プログラミング学習を続けて行けば、その違いに感覚的に気づけるタイミングが訪れる可能性があります。

考えることも、創造することも、経験することも、最終的には自分自身でしかできないことです!

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