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大人になってから、 学生時代に比べ、 指摘してくれる人が圧倒的に減ったということに気付いた。 最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。 が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。 いつの間にか孤立されていたり。 陰口を言われるようになったり。 話しかけると目をそらされたり。 そして困ったのは、 こうなってしまった 原因が分からないことだ。 教えてくれる人なん
子供の頃から、私は身体が弱く、精神不安定だった。 体調不良はしょっちゅうあって、ちょっとしたことでパニックになったり、癇癪を起したりした。 随分と周りに迷惑をかけたものだ。 一時はこのままだと社会生活も出来ないだろうと悲観的になっていたが、訓練しながら出来る限りのことをやり、何とか無事就職出来た。 経済的にも安定し、身の回りの整理整頓や、自分自身の世話も出来るようになった。 私は、自分を愛してくれた人々に恩返ししたいとずっと願っていた。 そしてようやく
学生時代に見ていたアニメに、「他の人にはそっけないが、主人公の前だと優しくなる」というキャラクターがいた。 そのキャラクターは普段物静かでクールだが、とある出来事をきっかけに主人公に心を許すようになる。 それで主人公を特別扱いしたり、主人公と二人きりになった時にだけ素直になったりと、普段と違う一面を見せるのだ。 私は当時、「あなただけ」といったそのような関係が素敵に見えて、「自分も誰かの特別になりたい」なんて夢をふくらませていた。 けど今は、それはなんて
叱るって難しい。 ただどこがどう間違っているかを指摘するだけなら簡単だが、相手に納得してもらい、受け入れさせる為にはそれだけでは全然足りない。 もちろん緊急時やとんでもない過ちを犯した等、怒鳴らざるを得ない場合もあるが、大抵の場合、 相手がどうしてそのようなことをしたのかを把握する必要があるし、 自分自身の表情や話し方に気を付け、なるべく感情をぶつけないようにしなければならない。 時と場所も考慮しないといけない。 これらの要素をバランス良く調整し
あまり信じてもらえないかもしれないが、私がしっかりとした「感情」を持ったのは、ほんの最近のことである。 長いこと、私はしきりに「感情が無くなれば良いのに」なんて思っていた。 自分自身の為にも、感情なんてあってはならないと信じていたのだ。 きっかけは、10代の頃。 家庭不和、いじめ、仲良かった友達の裏切り…… 不安定な思春期の心に、これらは嵐のように激しく襲い掛かってきた。 私には逃げ場が無かった。 そして、もちろん現実を変えることも出
私は感情発作の常習犯だった。 グルグルと考え込んでしまう悪い癖があるだけでなく、体調が非常に環境に左右されやすいのもあって、常にいつもクラクラのクタクタで、それ故気持ちも不安定だったのだ。 うつ期は特にそうだ。 被害妄想がひどくなり、ちょっとしたことでイライラしてしまう。 ダメだと分かっても、つい周りの人にきつくあたってしまう。 幸いその後、私は理解ある仲間に恵まれ、身体も徐々に改善し、次第にうつ症状も無くなった。 それからピタリと発作が
「何かをやり遂げたければ、それを周りに宣言しろ!」と、ある自己啓発書で読んだことがある。 その本の言い分によると、周りに「自分はこうする!」と伝えれば、「言ったからにはやれずにいられない」というプレッシャーが湧き、怠けたくても続けられるようになるのだとか。 確かに一理あるかもしれないが、余程その夢や目標に対する熱情が無いうちは、こういった宣言は逆効果でしかない。 宣言をすればする程、 皮肉や非難を浴びさせられるからだーー 「その目標何の意味があるの
「あ~もう!ダメ!全然ダメ!」 なんとも発狂寸前の叫びである。 「私には出来ない、decoちゃんが代わりにして!」 こう嘆いているのは、私の韓国人の友人、S氏である。 教会の牧師先生から、動画に日本語ナレーションを入れるお手伝いを依頼されたが、未だに満足いく発音が出来ないのだそう。 学習を始めて、10年近くになっただろうか。 熱心に日本語の勉強をしているS氏は、語学研修の為日本にしばらく住んでいたこともあり、すごく流暢に日本語が話せる人だ
打たれ強く、何があってもめげずにいられる人はどんどん大きくなれる。 立ち止まらずに突き進んでいけるので、成長が止まることはないからだ。 そんなタフなメンタルを持ちたいと憧れてはいるが、残念ながら私は何かあればとことん凹んでしまう性格なので、立ち直り力が育つまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。 辛いことがあると、大抵の場合、私は閉じこもってしまう。そして思う存分落ち込む、泣く。 そして気が済んだら涙を拭いて「よし、また頑張るか」と、ようやく再出発する。
限界まで頑張る人達がよく「偉い」と称賛されているのを見てきたものだから、ずっと力を出し尽くして働くことが美徳なのだと思っていた。 それ故、私も長い間随分無茶をしてきたものだ。 発達障害の故か、私は鈍感で、疲れてもそれを感じにくい。 限界の限界まできて、ようやくそれに気付くので、 「なんかだるいな…」を感じた時点で、 既にオーバーワークしている。 それでも「まぁこれぐらいなら」と踏ん張り続けるのだから、心身ともに大ダメージを受ける。 身体が動かなくなり、
「また練習に付き合わされたのよ」 妹が中学生だった頃、よく放課後にこう愚痴をこぼしていた。 「また?」 「そう。例の子。 自分で書いた曲だかなんだか知らないけど、いちいち私に弾かせるの」 妹が言う「例の子」というのは、クラスメイトの一人だ。 女の子で、音楽が大好きらしく、よく自分で作曲をしているらしい。 そしてピアノが出来る妹にお願いして弾いてもらい、曲の効果をチェックしているのだとか。 「毎回すごく時間がかかるの。彼女が満足するまで曲
「もっと良くなりたい」。 これは全ての発展において、欠けてはならない大事な気持ちだ。 その気持ちが原動力となって、人が成長し、社会が進歩し、文明も発達出来た。 時代の流れに取り残されない為にも、向上心は不可欠である。 だから、どんな時でも「このままでいいや」と満足せず、上を目指すべきだと、私は思っている。 けど、これを行うにあたって、忘れてはならないことがある。 心の器を大きく強く磨いていくことだ。 大きな夢をえがいては、 「今す
粗探しのように生徒の不足に目を付けては、叱りつける。 どこの大学院にも、必ずといって良いほど、こんな教授は一人ぐらいはいただろう。 私が通っていた大学院にも、そんな厳しさで有名な教授が一人いた。 その教授はブログを運営していたが、研究課題関連の記事だけでなく、何か院生に対する不満や、「いまどきの若者のけしからん」ところをもつらつらと記事の中で述べていた。 耳が痛くなるような内容が多く、出来ればその方のブログは読みたくないものだったが、何故か全院生には当教授の
私は急な不安に襲われることがあるが、その中のほとんどがフラッシュバックによるものである。 過去の嫌な出来事が、ありありと思い浮かんできて、あたかも今起こっているかのような錯覚を起こす。 その苦しさのあまり、動悸に襲われたり、冷や汗が出たり、時には過呼吸になったりもする。 そして、辛い記憶が増えれば増える程、フラッシュバックも頻繁に起こる。 心を蝕むようなトラウマ。 辛い記憶がなく、楽しい思い出だけがあったのなら、もっと明るく暮らせたかもしれない。 そん