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くたくたに疲れ果てようとも(2)

まだ宿題の多さを普通と思えるまでには至っていない

塾の先生方には感謝しても仕切れないのだが、ただこれは不信感ということでは全くないことを断っておきつつも、やはり塾から出される課題が多すぎるのではないかという思いが拭いきれない。

我が家の場合は長男が宿題をやったと言っても実際にはやっていなかったり、”見せ勉”をしていたり、親が見ても時間の使い方はもう少しやりようがあったのではと思うこともあり、さらには先生も本気で長男の家庭学習の成果にはがっかりしておられるようなので、その状態で「大変」と述べることには躊躇もあるが、親は大変と感じている。

宿題に追われて寝不足になり、その疲れから宿題未完了に繋がるといった悪循環はあるように思うのだ。それなのに長男が塾に行く間際になっても宿題を強行に終わらせようとするために、遅刻だ忘れ物だという問題も発生しやすくなってしまう。

もともと長男は自己管理全般が苦手だが、塾の大変さによって問題が増幅されて家庭でさらに大変に感じる側面があるのではないかと思う。

受験の目的を改めて訊いてみた

家で見ている長男は、やる気の時もあれば、宿題が多くて苦しんでいるときもあれば、他の誘惑に負けている時もある。割合として見てみると、以前よりは自主的にやっている様子ではあるものの、まだまだ先生に怒られないために気力を振り絞ってやっているのではないかと思うこともあるのだった。

それである時、長男が自分が受験することについて自分なりに目的を持っているのか気になって、「なんで中学受験するのか自分なりに目的はあるんだっけ?」と訊いてみたことがあった。

長男はうなずいてこう言った。「俺にはやりたいことがある。実験したい。そういうことができる学校に行きたいから受験する。それに、俺は公立の中学校に行ったら荒れるってわかってるから受験する。」

淀みなく回答していた。実験は、今でも本格的にやりたいのを我慢しているようだ。中学に入ったらあれしたい、これしたい、こんな試薬が欲しいと話している。試薬も調べてみると数万円するものもあるようで、やっぱりこういうのは公立だとなかなか難しいし設備もそこまで対応していないのではないかと思う。

公立の中学校に行ったら荒れると宣言されても苦笑いするしかなかったが、自覚があるのだろう。ルールや枠に当てはめられる環境だと長男は難しいだろうし、親ももう耐えられない気がする。

(3)につづく