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中学受験、国語

国語は記憶している限り、入塾して一ヶ月くらいはコツを掴むのに苦労したが、割とすぐに視界が開けた様子だった。

なぜか算数になるとあまり書かない長男であったが、記述は全般的に得意だし好きだったと思う。国語なのに記述がほぼ無い過去問に遭遇した際には、素っ頓狂な声で「記述がない!つまらん!」と言っていた。

国語は教えたり、採点するのが難しそう

我が家は長男に国語を手ほどきすることはほぼなかった。採点も算数より難しく感じられて、私は一切関わっていない。

夫は割と上手に教えられそうな雰囲気はあったし、少なくとも採点はできていそうだった。一度学校別模試で長男が珍しく国語で転けたことがあり、その時に夫に見てもらったら上手に教えているようだった。しかし結局、継続的に長男に国語を教えることはしていない。

塾に通っていた頃は、先生の添削があり、その色使いや記号、マークなどから、何かしら指導法があるのだろうなとは思っていた。そして国語だからなのか、先生のスタイルなのかは分からないものの、問題文にも長男の記述にも、びっしりとメモや線が引かれていた。

また、自己分析的なことも国語ではやっていたのではないかと思う。自分の解答をより良いものにブラッシュアップするにはどうすれば良かったかを自己コメントとして書くような課題も多く、とにかく国語は大学ノートを1時間あたり3ページ以上びっしり埋め尽くすほどに書く課題が多かった。よってとても時間のかかる科目となっていた。

本命校2日前に、これまでのやり方ではない方法を提案

これは夫の判断というか、提案、そして最終決断は長男に委ねる形で行ったのだが、きっかけは、長男が国語の文章を読む際に、最初から線を引いたり丸で囲ったりして印をつけながら読んでいるのを見て、夫が問いと関係ないかもしれない所に印をつけるのは、あまり意味がないのではないかと疑問を持ったことだった。

これまでそのやり方で安定して高得点が取れていて、上手くいっていることも確かだったのだが、本命校の国語を見た時に夫がレベルが高いと言い、小手先と言っては失礼なのだが、そういう技術で対処するような文章ではないと思ったようなのだ。

表現が難しいのだが、「こういう文章はこう読むと良い」のようなアプローチは通用せず、と言えば良いだろうか。

代わりに、全く印をつけるなとは言わないが、ほどほどにして、内容をしっかり読み込むことに専念し、読み終えて問いを見てから必要な所だけに印をつけてはどうかと提案していた。

ただこれは今までと違うやり方となるためリスクもあった。夫は「まず一回、お父さんのやり方でやるだけやってみて、感想を教えてくれないか。やりにくかったら無理することはない。」と伝えていた。

これが本番の2日前だった。長男はやってみてやり易いと感じたようで、本番も父親のやり方でやってみようと思うと言っていた。

そして本番も父親のやり方でやったそうだ。もともと安定していた教科ゆえ、結果については本人が培ってきたもの、塾の指導、父親のアプローチ、様々なものが寄与したであろうと思う。

しかし本番2日前の父子揃っての方針転換、その判断と決断力、また柔軟性は、怖いもの知らずというか、大したものだなと思う。