見出し画像

続・子どもの心を診る(5)

診断書

診断書については、少し詳しく書きたいため後日改めて取りに来てほしいと言われていた。それで後日取りに行ってきた。こちらは親も読める状態にしておくと言われていたため、遠慮無く読ませていただいた。

内容としては、学校の先生宛に今後の対応としてお願いしたいことが書かれていた。「ギフテッド」という言葉も使われていた。

ギフテッド児がどういった特性を持つことが多いのかの説明に加えて、こういった特性が一見ADHDの特性と思えたとしても、ADHDの特性が強い子として見るのではなく、ギフテッドの特性でもそう見えることがあるのだということが書かれていた。自閉的特性はないことも書かれていた。

また、授業において、長男が興味の持てる課題を個別に提示してほしいと、授業のことに踏み込んで書いてくださっていたことには驚いた。

既に担任の先生から授業中に読みたい本を持参しても良いとは言われていたが、本当にこれに甘え続けて良いのだろうかとか、先生が変わると難しいだろうから期間限定でしかないと思っていた。

同時に、こうやって医療と学校が連携することは可能だったのだということに初めて気がついた。今までは、病院で言われたことは腐心しながら親が決心して直接学校に伝えるか、親の言葉では伝わらないからと諦めるしかないと思っていた。

また診断書には、IQが高かろうと、全てが得意ということではないため、適宜サポートをしてほしいということ、「ギフテッド」ということにとらわれすぎずに、他の子と同じく頑張ったら褒めて、注意すべき所は注意して、〇歳の子らしく楽しく学校に通って思いっきり遊ばせてほしい旨が書かれていた。

これは本当にそう思う。そして幸いなことに、今の長男の担任の先生はこういったことをやってくださっている。

ここでは要約して書いたが、B医師の言葉は優しく、大変丁寧で、お人柄がにじみ出ていた。

最後に、「ドラ(長男)さんが自信を持って挑戦し、才能を育てていけますようご協力頂けましたら幸いでございます。」と書いてくださっていた。

こういった診断書を書いていただけるとは思っていなかったため、病院に行って良かったなと思っている。思えば、病院では数多くのポジティブな言葉をいただいた。

当初私が文書15枚にまとめた内容は深刻なもので、長男のことも親のことも曝け出しすぎたかなと思うほどに書いていた。それにも関わらず、A医師もB医師も最初から長男の味方でいてくださったように思う。

むしろ私が生活面での困りごとを述べたりすると、先生の表情が少し厳しくなったようにすら思って、困っていると感じる自分が改めなければと思う場面もあった。

そして、B医師が長男と初回診察で会話して、次に長男を待合室に待たせて私と二人きりになるや「ギフテッドで間違いないすね」と、私の目をまっすぐ見て言ったのが今も印象に残っている。

診断書を学校に提出

診断書は担任の先生に提出した。事前に電話で提出する旨を伝えて、担任の先生には既に長男に色々としていただいて、今となっては診断書が必要な状況でも無くなっているのだが、と改めて謝意を伝えたところ、先生としてもそういった資料があることは助かると言ってくださった。

もう診断書に書いてあるので、「ギフテッド」という言葉を使って話をした。これが初めてだった。一か八かで言ってみたが、先生がギフテッドという言葉自体は少なくとも既にご存じであったことが分った。

担任の先生は、これまでも長男のために心を砕いてくださっていた。ただ、そういったことが特別対応にあたることもあり、学校内では難色を示す先生方もいたのだと思う。

そういった意味でも、診断書に個への対応の必要性が書かれてあったことは、担任の先生がこれからも診断書をベースに動きやすくなることを意味するかも知れず、やはり診断書がいただけて良かったなと思っている。

(6)につづく