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算数、"最終兵器"投入

長男が超高速で自己採点する姿に私自身が恐怖を覚えて以降は、スピードを落とす事を第一使命にせよと通達を出すことにした。

私 :問題文読む時、鉛筆で文字を追いながら読んでくれない?そうすればスピード落ちると思うから。

長男は一つ返事でやってくれた。しかしあろうことか問題文の左から右に一気に勢いよく線を引いた。その勢いのまま問題文の全行にシャーッシャーッっと、これまた超高速で線を引いたのである。ドン引きである。これでは「直線BD上にない点P」を「直線BD上にある点P」と読むわなと思った。

私 :何ちゅう読み方をしとんの。その読み方でミスっても自業自得よ?

長男はキョトンとしている。夫もやってきて言った。

夫 :なんで全部に線引くんだよ。大事な所だけ印付けながら読みなさいよ。国語の文章読んでる時に全文に線引いたりしないでしょ。それに全部に線引いたら数字やら文字が読みにくくなって逆効果だよ?

それもそうなのだが、はっと気づいたのが、長男は算数の問題文には一切印や線を引いていなかった。大事な数字やポイントだけでも印をつけておくと埋もれないのではないかと思い、以降、試すように促している。

能動的に読んでいないのでは?

何よりもこの時、長男の算数の問題文の読み方が根本的に良くないのではないかと思った。唐突だが、英語には「リスニング」と「ヒアリング」という言葉がある。リスニングが能動的に聞こうと思って聞くのに対し、ヒアリングは聞こえてくるといった受動的なイメージなのだが、長男の算数の読み方がヒアリング状態なのではないかと思った。

母国語であればヒアリングでも問題なく正確に文意が取れるし、文意を変えずに自分の言葉で再現することも難しくない(よほどの専門的な内容でなければ)。しかし外国語ではそうはいかない。なんとなく分かったつもりになっているだけで、実は細かい所やニュアンスが取れていなかったりする。しかし残念ながらこれを自覚することは少ないだろう。自覚するとしたら自らが再現してアウトプットする必要に迫られた時なのだ。理解していれば、外国語で再現は厳しくとも母国語でなら文意を変えずに再現できるはずである。

長男にとって国・社・理は母国語の感覚で眺めるように読んだとしても、背景知識との整合性チェックもかかるし理解や整理が容易だったのではないかと想像する。一方で、算数は外国語も同然だった。ならば同じ読み方をしてはいけない。読み方を意識的に変える必要があると考えた。

因みに、この外国語の例えは長男には伝わらないだろうと、夫からは不評だった。それでも能動的に問題文を読むことを体感させないと、難易度の高い問題では文意の読み取りで太刀打ちできないように思った。

お口もごもごしながら読もうか

アクティブに読みに行きつつ、スピードを落とす方法としては、口を動かして問題文を読ませるほかないように思った。口を動かせば必然的にスピードが落ちる上、流し読みを防ぐ効果もある。また口を動かす行為はアウトプットも兼ねているように思った。

しかしこの案には長男が明確に難色を示した。これまでは、親が受験の素人であるにもかかわらず、退塾後は驚くほど素直に親の提案を受け入れていたのに(逆に心配になるほど)、ここにきて初めて抵抗した。

私 :いいじゃないの、マスクしてんだから周りにはわからないよ。

夫 :声は出さなくて良いんだから、まずはやってみなさい。

そのうち、やらないんだったら受験しても無駄だから、受験しなくてよろしいというやりとりもしたような気がする。

こうして本命校までの残る日々は、過去問等をやる際に、長男が口をもごもご動かしているか親がチェック、完璧に定着するまで見張ったのだった。