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私の育った環境と幼少期。

私は、所謂就職氷河期世代。これは諸説がありますけれども、一部団塊ジュニア世代が入られる1974年~1984年生まれを言うそうです。親の世代は、団塊の方が多いです。

ちなみに80年代は、日本とアメリカのプラザ合意によりバブルを招いた時代でした。中曽根総理、竹下登大蔵大臣の頃です。地価が上がり今の時代では考えられない恩恵を受けていたと聞いています。そんな頃、大都市に生まれ育った私のみの上話を書いていきます。

父親は、有名な占術家、大学の先生、行者さんをやっていました。行者さんは、悪く言うと拝み屋と称しますが、祈祷や祈願をするお坊さん、そして信仰と共に生きる人として私は見ています。

母親は、普通の主婦でしたが、元々緊急病棟で働いてた看護士だったようです。霊感が強く感受性がありました。そして意志の強い素敵な女性でした。

私の小さい頃は、未熟児で生まれてとても小さいこどもだったと聞いています。3歳ぐらいまであんまり口が聞けなかったこともあり、親は心配していました。幼稚園に入りますと、饒舌になり始めて、多くの友達が出来ました。

今思うと、感受性が強い子供だったと思います。今でも名残がありますが、HSPのような所があるのかなと思います。そして音に敏感だったので、運動会のピストルやお祭りの花火、爆竹は大の苦手でした。これは、うちのイトコも苦手だぅたようなので、遺伝かもしれませんね。

この頃、仮面ライダーBLACK(後のRX)とドラゴンボールにハマる。

テレビは、当然今と違ってブラウン管の古いカラーテレビでした。87年は、当時の小学生と幼稚園園児に衝撃が走った出来事がありました。それは、5年以上~10年未満ですけど、久しぶりに仮面ライダーが放送されたのです。昭和の最後のライダーです。あまりにも人気ぶりに連続して88年~89年頃RXが放映されていました。俳優は倉田てつを氏。

ヒーローショーや映画、週一回の放映。胸躍る毎日でした。
また、アニメでも今では、世界中に人気作でもある鳥山明先生のドラゴンボールが放映されました。86年かな?。前作のアラレちゃんが大ヒットしていましたが、物心ついたのは、これが終わりかけた頃だったと思います。

日々、ヒーローポーズや「カメハメ破!」と友達同士で遊んでいた様子です。占いのうすら存在しない面白い世界観です。小学生になる頃には、夏休み、春休みに東映アニメーション祭りがありまして、家族や友達同士で見に行くのがとても楽しみでした。

ガンダムのカードダスもたまりません。プラモデルを作っては、批評し、カードダスバトルも麻雀のような形で強い点数や配列を競った記憶があります。プラモデル大会でも優勝したことがあります。某デパートで開催してコミックボンボンさんに掲載したことがあります。

以上が、バックボーンとなりますが、次は違った側面で書いていきます。

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